アウディ・クワトロ 40周年 現代にも受け継がれるモータースポーツでの栄光の数々
147kW(200PS)を発生した初代クワトロは、いくつかの技術的な変更を受けながら、1991年まで標準モデルとして製品ラインナップに名を連ねた。1984年、アウディは225kW(306PS)を発生し、ショートホイールベースを備えたエクスクルーシブなスポーツ・クワトロを追加。1986年には、アウディ 80 クワトロが発表され、それまで手動でしかロックできなかったセンターディファレンシャルが、初めてセルフロッキングセンターディファレンシャルに置き換えられた。このディファレンシャルは、純粋にメカニカルな方法で作動し、フロントアクスルとリヤアクスルに50:50の比率で駆動トルクを配分した。負荷がかかると、必要に応じて最大75%までトルク配分が増加して、トラクションが向上している。
モータースポーツにおける覇権
アウディは、1981年に世界ラリー選手権(WRC)に初参戦し、わずか1年後には、圧倒的な強さでラリー界を席巻した。アウディチームは、1982年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、翌年の1983年にはフィンランド人ドライバーのハンヌ・ミッコラがドライバーズタイトルに輝いた。1984年には、両方のタイトルを獲得し、スウェーデンのスティグ ブロンクビストがワールドチャンピオンになった。その年、アウディはショートホイールベースを備えたスポーツ・クワトロを投入し、1985年には、350kW(476PS)を発生するスポーツ・クワトロ S1が続いた。1987年、ヴァルター・ロールは、特別な改造が施されたS1を駆って、米国のパイクスピークヒルクライムで優勝を果たす。この優勝は、長年にわたって大きな成功を収めてきたラリー参戦の集大成となったのである。
写真で見るアウディ・クワトロの歴史
その後、アウディはツーリングカーレースへと戦いの場を移す。1988年、アウディは200で米国のTrans-Amシリーズに初参戦し、ドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルの両方を獲得し、その翌年には、IMSA GTOシリーズで大きな成功を収めた。1990〜1991年にはドイツツーリングカー選手権(DTM)に強力なV8 クワトロで参戦し、2年連続でドライバーズタイトルを獲得した。1996年には、A4 クワトロ スーパーツーリングで7つの国内選手権に参戦し、すべてのシリーズでタイトルを獲得。2年後、ヨーロッパの競技団体は、ツーリングカーレースにおける4輪駆動の使用をほぼ全面的に禁止している。
クワトロはテクノロジーにおけるアイコンでもある。”quattro”という名称は、高い安全性とスポーツ性、高度な専門技術、モータースポーツにおける圧倒的なパフォーマンスを示し、アウディのスローガンである”Vorsprung durch Technik(技術による先進)”を体現している。一連の伝説的なテレビCMや広告キャンペーンに加え、モータースポーツにおけるクワトロモデルの活躍や好調なセールスによって、確固たる地位を築き上げたのである。
1986年、プロのラリードライバーであるハラルド・デムートが、フィンランドのカイポラ スキージャンプ台の急斜面を、100 CS クワトロで登って見せた。2005年、アウディはS6を使用して、同じスキージャンプ台で、この快挙を再現してみせた。サーキットとラリークロスのチャンピオンであるマティアス エクストローム(スウェーデン)は、2019年に同様の偉業を成し遂げている。彼は、オーストリアのスキー場、キッツビューエルの難コース”シュトライフ”の85%の急斜面を、3基の電気モーターを搭載したe-tron クワトロで見事に登ってみせたのだ。
