月収の3分の2「47万円」受け取れるはずじゃ…月収70万円・45歳会社員夫が〈うつ病〉で休職。翌月、妻が「夫の給与明細」を見て打ちひしがれたワケ【FPが“傷病手当金の落とし穴”を警告】
病気やけがなどで休職を余儀なくされた場合、多くの会社員は健康保険の「傷病手当金」を頼りにします。しかし実は、この制度だけではこれまでの生活水準を維持することは困難です。額面では「給与の約3分の2」が支給されますが、いざ給与を受け取る際、実際の手取り額に驚く人も多いようで……。本記事では健一さんの事例とともに、傷病手当金制度の落とし穴といまからできる対策について、FP dream代表FPの藤原洋子氏が解説します。※個人の特定を避けるため、内容の一部を変更しています。相談者の名前はすべて仮名です。
「自分が心を病むはずがない」そう思っていた…
IT企業で課長職を務める健一さん(45歳・会社員)は、妻の真由美さん(43歳・会社員)、中学生と小学生の二人の息子と、都内のマンションで暮らしていました。教育費負担のピークを控え、住宅ローンの返済もあと20年。仕事の責任が増すなかで、彼は「自分が家族を支えなければ」という強い使命感を抱いていました。
しかし、大規模プロジェクトのトラブルが重なった半年前から、健一さんの歯車が嚙み合わなくなってきました。深夜まで続く残業、休日も鳴り止まないチャット通知。次第に夜は眠れず、朝は鉛のように体が重くなり、大好きなごはんの味もしなくなりました。「ただの疲れだ」と自分に言い聞かせ、エナジードリンクで無理を重ねる日々。そしてある朝、ついに玄関で靴を履くことができなくなり、病院で下された診断は重度のうつ病でした。
「まずは休養を」という医師の言葉どおり休職に入りましたが、自宅にいても仕事のメールが気になり、家族の生活音にさえ過敏に反応してしまいます。焦燥感から自分を傷つけてしまいそうな衝動に駆られるようになったことで、医師は「自宅では十分な休養が難しく、安全面にも配慮が必要」と判断し、入院による静養を勧めました。
「入院が必要です」――精神科医の一言で、真由美さんの生活は一変します。彼女の手元に残されたのは、入院費用の概算と、赤字へと傾く家計シミュレーションでした。健一さんの給与は止まり、傷病手当金が入るまでには時間がかかります。しかも、手取り額は以前の3分の2以下。塾の夏期講習代、ローンの引き落とし、そして新たにかかる入院費……。
「パパ、いつ帰ってくるの?」と不安げに尋ねる次男の頭を撫で、真由美さんは健一さんの給与明細を確認しました。そこにある残高は、このままでは数ヵ月で底をつく現実を物語っています。働き盛りの40代を襲った「心の病」という嵐は、健一さんの心だけでなく、一家の平穏な日常をも飲み込もうとしていたのです。
過信は禁物?「傷病手当金」に潜む落とし穴
会社員には、病気で働けなくなった際の強い味方「傷病手当金」があります。これは、連続して3日休んだあとの4日目から、最長で通算1年6ヵ月のあいだ、給与の約3分の2が支給される制度です。これを聞いて「収入の7割弱ももらえるなら、少し貯蓄を切り崩せばなんとかなる」と安心していませんか。
ここで見落とされがちなのが「手取りの罠」です。健一さんの場合で例をあげます。彼は月収70万円の会社員ですので、支給額は月額約47万円程度になります。しかし、休職中も健康保険料や厚生年金保険料の本人負担分は支払いが必要で、さらに住民税も前年の所得に基づいて課税されます。その結果、47万円の支給額から社会保険料や住民税で17万円程度が差し引かれ、手元に残るのは30万円ほど。もともとの手取り53万円と比べると、実質的に毎月23万円収入が減る計算になります。
住宅ローンの支払いが月20万円、子どもの教育費が月10万円かかっているので、家族全員の生活費や医療費は、真由美さんの収入(毎月の手取り20万円)で賄わなければなりません。傷病手当金を受け取っても、これまでの家族の生活を維持するにはあまりにも心もとない数字といわざるを得ません。
精神疾患の「長期化」が家計を直撃する理由
身体の病気やケガであれば、入院期間やリハビリの目安がある程度予測しやすいものです。しかし、精神疾患の最大の特徴は「出口の見えにくさ」にあります。
厚生労働省の「患者調査」(令和5年)によると、一般的な病気の平均在院日数が30日前後であるのに対し、精神および行動の障害による平均在院日数は290日(約10ヵ月)を超えています。近年は早期退院と通院治療への移行が進んでいるとはいえ、ほかの疾患に比べて療養が長期化する傾向は依然として顕著です。
さらに、子育て世代にとって深刻なのが「復職のハードル」でしょう。退院したからといって、すぐに以前と同じようにフルタイムで働けるとは限りません。医療機関などの「リワーク(復職支援)」プログラムで生活リズムを整えたり、職場復帰後も短時間勤務や残業制限などをしたりと、段階的に働き方を戻していくケースが一般的です。その間、ボーナスの減額や昇給の停滞が続くことで、生涯年収ベースでは数百万円単位の差が生じるケースも少なくありません。
そして、もう一つ見逃せない事実があります。前述のとおり、傷病手当金は最長でも1年6ヵ月で支給が終了するという点です。
つまり、療養が長期化した場合、ある日突然「夫の収入がゼロになる」というリスクが潜んでいます。住宅ローンや教育費など、固定費の大きい家庭ほど、その影響は深刻になります。傷病手当金は確かに重要なセーフティーネットですが、これまでどおりの生活水準を維持するには、決して十分とはいえないのが現実なのです。
病気やケガは、誰にでも突然訪れる可能性があります。だからこそ、万一の収入減に備えた貯蓄や家計の余裕を、平時のうちから意識しておくことが重要です。制度があるから安心ではなく、制度だけでは足りないかもしれない可能性を知っておきましょう。
制度・保険による「外部の備え」
制度だけでは足りないもしものときへの備えとして、子育て世代が取るべきアクションは3つあります。それは、支出を抑え、入るお金を増やす仕組み作りです。
1.公的制度のフル活用
精神疾患の治療が長引く場合、まず検討したいのが「自立支援医療(精神通院医療)」です。通常、医療費の窓口負担は3割ですが、この制度を利用すると精神科の通院や投薬にかかる費用の自己負担が原則1割に軽減されます。
さらに、世帯所得に応じて月額の上限額も設定されているため、継続的な通院が必要な場合でも医療費の負担を大きく抑えることが可能です。また、症状の程度によっては「精神障害者保健福祉手帳」を取得できる場合も。手帳を持つことで所得税・住民税の控除や各種料金の割引などの支援を受けられることがあります。
また、高額な医療費がかかった際には、負担を軽減できる「高額療養費制度」も活用できます。これらの制度を組み合わせることで、収入減と医療費増という二重の負担をある程度和らげることができるでしょう。
ただし、これらの制度はいずれも「申請主義」であるため、自ら手続きを行わない限り利用できません。万一のときに慌てないためにも、制度の概要だけでも平時から知っておくことが大切です。
2.「就業不能保険」による収入の補填
医療保険の多くは「入院」に対して給付金が支払われる仕組みですが、精神疾患は通院を続けながら自宅療養が長引くケースが多いのが特徴です。そのため、入院給付だけでは収入減を補えないことも少なくありません。そこで検討したいのが、働けない状態が続いたときに毎月の収入を補う「就業不能保険」や「所得補償保険」です。
ただし、保険商品によっては精神疾患が支払い対象外とされていたり、支払い期間に制限が設けられていたりする場合があります。加入している保険について、「精神疾患が保障対象になっているか」「何日間の免責期間があるか」を一度確認しておくことが大切です。保障内容が不十分と感じる場合は、特約の追加や保険の見直しなども検討するとよいでしょう。
3.住宅ローン「団体信用生命保険」の再確認
「もし働けなくなったらローンが払えない」という不安に対し、意外と見落としがちなのが団信の保障内容です。最近の住宅ローンには、がん・急性心筋梗塞・脳卒中の「3大疾病」に加え、「全疾病保障」が付帯しているものも増えました。
商品によっては、精神疾患による就業不能も保障対象となる場合があります。こうした保障が付いていれば、一定期間働けない状態が続いた際に毎月のローン返済が保険で補填されることも。保障内容は金融機関や商品によって異なるため、自分の住宅ローンにどのような団信が付いているのか一度確認しておくことが大切です。
家計そのものを強くする「内部の備え」
最後にお伝えしたいのは、制度や保険といった「外部の備え」だけでなく、家計そのものを強くする「内部の備え」です。
子育て世代の会社員であれば、まずは「月間支出の6ヵ月〜1年分」の現金を確保することを目指してください。健一さんのケースを再び例に挙げます。傷病手当金で不足する分が月23万円だとすれば、1年間の療養には最低でも276万円の「上乗せキャッシュ」が必要になる計算です。この予備費があるだけで、病床で感じる精神的な焦りは劇的に軽減されます。
収入が減ってから節約を始めるのは至難の業でしょう。健康ないまのうちに、「家計の損益分岐点」を下げておきましょう。生活コストが低い家計は、それだけでリスクに強く、回復力の高い家計といえます。
いざ精神疾患になると、本人が手続きや判断を行うのが難しくなる場合もあります。どの口座に生活防衛資金があるか、加入している保険の証券はどこか、勤務先の福利厚生(付加給付など)はどうなっているか。これらを夫婦で共有しておくと安心です。
心の病は、誰にでも起こりうる「人生の雨天」です。しかし、雨が降るのを止めることはできなくても、あらかじめ大きな傘を用意しておくことはできます。「自分は大丈夫」と過信せず、不調を感じたら早めの段階で医療機関の受診を検討してください。そして、傷病手当金のリアルな手取り額を計算し、不足分を保険や貯蓄でどう埋めるかをシミュレーションしてみましょう。お金の不安を物理的に取り除くこと。それこそが、万が一の際に安心して治療に専念し、再び家族と笑顔で過ごすための最短ルートになるはずです。
藤原 洋子
FP dream
代表FP
