「誤報」と否定する高市首相に「そのとおりです」と政府が追随…「政府が否定=誤報」となる時代の違和感
今回考えてみたいのは、「本人が違うと言ったら、それで話は終わるのか?」問題である。
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最近気になるのは首相本人や政府の公式アカウントが報道を否定すると、それがまるで“答え”のように扱われることだ。

高市首相 ©時事通信社
「本人が違うと言っているんだから」
「政府が否定したんだから誤報なんじゃないの」
というような反応である。当人が疑問について答えてくれた! と安心する人もいるだろう。だが、そう単純な話ではないように思える。
SNSで話題の内閣広報室の「試行アカウント」
もちろんケースによっては本人の説明に大きな意味があることもある。スポーツ選手などの場合だ。
今年1月、メジャーリーグのダルビッシュ有投手が自身の「引退報道」についてXで説明したことがあった。引退は決めていないと本人が現状を説明した。こういうケースはわかりやすい。本人の説明が100%絶対とは限らないが、少なくとも「当事者の自己説明」として意味がある。
しかし、これが政府、もっと言えば権力者側の発信となると話は変わってくる。そこには最初から政治的な利害が絡むからだ。
このところSNSで話題なのは、内閣広報室の「試行アカウント」である。首相官邸は5月、このアカウントの運用を試験的に始めた。説明によると、「内閣広報官が総理の近くから見る総理の姿などを、より柔軟にタイムリーに発信するため」だという。
実際、投稿されているのは、首相のぶら下がり取材を横からとらえた写真や、政府専用機に乗り込む姿など、いわば“舞台裏ショット”が中心だ。ここまでは、SNS時代の新しい広報なのだろう。
だが、注目されたのはそこだけではない。このアカウントは、首相に関する報道に反応し、特定の記事を引用して肯定し、別の報道には否定的なメッセージを返している。
少し驚いた。政府の公式アカウントが新聞報道の“答え合わせ”をする光景を、あまり見たことがない。
内閣広報室の「試行アカウント」が「そのとおりです」と投稿
政府広報の役割は、本来、政策や事実を説明することだろう。だが、報道の“答え合わせ”まで始めることは「説明」なのか、それとも「政権の自己防衛」なのか、「けん制」なのか。
具体例を挙げよう。4月に雑誌界隈で話題になったのが、「高市早苗首相と今井尚哉参与が大喧嘩?」という報道だった。
月刊誌「選択」は、高市首相がホルムズ海峡への自衛隊派遣を考えていたところ、今井氏が強く反対し、激しいやり取りになったと報じた。高市首相は国会で「誤報」と否定した。
ここまではよくある話だ。政治家が不利な報道を否定すること自体、珍しくはない。
興味深いのは、その先である。
今度は「週刊文春」が今井氏本人を直撃した。今井氏は首相との確執を否定したものの、
「秘書官の仕事、参与の仕事というのは、耳が痛かろうがどうだろうが、国にとって重要なことについてはきちっと進言しなきゃいけない」
と語った。この言葉、妙に含みがある。
すると動きがあったのは5月1日だ。産経新聞電子版が「実際には訪米前、首相は今井氏と面会する機会を持たなかった」とする記事を配信すると、内閣広報室の「試行アカウント」がその一節を引用し、「そのとおりです」と投稿したのである。
首相本人の否定だけでなく、政府の公式アカウントまで出てきて“答え合わせ”を始めた形なのだ。ここまでくると、単なる説明なのか、それとも「火消し」なのか、考えてしまう。
しかもタイミングが絶妙だった。同じ5月1日は、「選択」最新号の発売日でもあり、そこでは前回報道をさらに補強する記事が掲載されていたからだ。
この流れを見て、日刊ゲンダイは《アカウント開設を「選択」の発売日にかぶせるあたり、「やはり『選択』の報道を打ち消そうとしているのでは》という見方を載せた。
タブロイドらしい下世話な嗅覚(失礼)だが、権力の発信の“意図”を考えるという意味では、こういう存在も大事なのかもしれない。「本当にそうか?」と嗅ぎ回るメディアがいることは、むしろ健全とも思える。ちなみに、内閣広報室の「試行アカウント」は、日刊ゲンダイの記事には今のところ反応していない。
SNSでは、追加の質問も追及もない…
さてここまで読むと、空気を読まない姿勢も必要という「タブロイド的な嗅覚も案外必要なのか、という話」に見えるかもしれない。だが少し真面目なことも書いておく。
政府はスポーツ選手のような一個人ではない。政策を決めるだけでなく、情報そのものを集め、整理し、発信する側でもある。そんな政府が“答え”まで示すようになる。
報道が間違っているなら、もちろん訂正は必要だ。ただ、SNSはずいぶん便利な場所でもある。会見ならそうはいかない。「何が違うのか」「なぜそう言えるのか」と問われるからだ。実際、高市首相もXでの発信を多用している。直接発信そのものが問題なのではない。だがSNSでは、追加の質問も追及もなく、“答え”だけを示すことができる。しかも最近は、首相個人だけでなく、政府の公式アカウントまでそれに加わっている。となれば、その影響はもっと大きくなる。
実は、スポーツ選手のケースでも、本人の説明だけですべてが完結するわけではない。大事な自己説明ではある。だが、そこにプレーヤーとしての思惑がゼロとは限らない。だからこそ、取材席からの論評や検証も必要になる。まして相手が政府や首相ならなおさらだろう。
権力の側が「答え」を発信し、それがそのまま“正解”として広がっていく。監視されるべき側が、“正解”を示す側になってしまう。それで本当にいいのだろうか。
(プチ鹿島)
