江戸時代の遊郭の闇。劣悪環境で男性に性的サービスする最下級の遊女「鉄砲女郎」とは?

写真拡大 (全7枚)

江戸時代の遊郭と言えば、華やかな花魁の世界を思い浮かべる人も多いかと思いますが、実は遊女や女郎屋にははっきりと階級が存在し、最下級の遊女は花魁とはまったく違う環境で生活を送っていました・・・。

最下級の女郎「鉄砲女郎」

この間の記事でも紹介しましたが、江戸時代、男を相手に商売をする遊女には、江戸吉原や各地にあった岡場所などの女郎屋に属するプロの遊女と、色茶屋などで男を相手に商売をしたり、夜道で男を誘う夜鷹などのセミプロ?に加え、個人でひっそりと売春をする素人など、さまざまなタイプがいました。

どんだけ恐ろしい?江戸時代、一般素人の主婦や娘たちが売春することを「地獄」と呼んでいた

吉原や岡場所などに設置された女郎屋で働くプロの遊女と言えど、すべての遊女が花魁のような華やかな環境で仕事をしていたわけではありません。遊女にははっきりとした階級が存在しており、その階級の最下級の女郎は「鉄砲女郎(てっぽうじょろう)」と呼ばれていました。

当時、「花魁」という名称は遊女の中でも最上位階級に属する遊女のみを指す言葉であって(時代によっては「太夫」)、鉄砲女郎は女郎であって、花魁ではありません。

鉄砲女郎の値段は千円〜二千円程度!?

鉄砲女郎が働いていた女郎屋に用意されていた部屋はとても狭く、わずか二畳ほどの女郎部屋で男性の相手をしていました。こういった最下級の女郎がいた女郎屋を「切見世」と言います。局見世とも言いました。切見世は吉原にも存在し、お歯黒どぶの周りにお店が並んでいたそうです。

鉄砲女郎の揚代(遊ぶ時の値段)の相場は場所や時代によって違いましたが、1回千円〜二千円程度で変動していました。

当時、吉原などの遊郭の花魁に相手をしてもらうには、人気の花魁だと数十万を出さなければなりませんでした。しかもお目当ての花魁を見つけたら、始めて登楼する「初会」、二度目の「裏」、三度目の「馴染み」という手順を踏まなければならず、その度にお金を落とさなくてはいけなかったのです。

客にとっても人生勉強の場!江戸時代の吉原遊郭は出費がハンパなかった

人気の花魁と鉄砲女郎の差は歴然ですね。切見世の環境も、高級な女郎屋とはまったく違うものだったようで、繁盛している切見世の店外には女郎を待つ男性客が順番待ちをしている状況で、鉄砲女郎は流れ作業的に男の相手をしていたのでしょう。

一般庶民は吉原へ行っても冷やかしくらいしかできず、花魁と遊ぶなんてことはまずできなかったので、そういった男たちはもっぱら岡場所の鉄砲女郎が働く切見世を利用していたんですね。

鉄砲女郎と呼ばれるようになった理由とは?

鉄砲女郎が働く切見世には需要があったわけですが、ただ、揚代が安い分、鉄砲女郎は多くの男性の相手をしなければ、十分な報酬はもらえません。

そのため多くの相手と関係を持つことで、様々な病気に感染してしまう恐れと常に隣り合わせだったのです。そういったリスクは、鉄砲女郎を買う男性客側にも同様にありました。

病気に感染した女郎に”当たる”可能性がある、病気に”当たる”可能性がある…というところから、”鉄砲女郎”と呼ばれるようになったのです。

江戸時代の遊郭というと花魁や太夫が活躍した華やかな世界にスポットが当たる事が多く、浮世絵などにもそういった華やかな遊女が多く描かれていましたが、劣悪な環境で働かざるおえなかった、鉄砲女郎のような遊女も江戸時代には溢れていたのですね。