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原則65歳から受け取れる老齢年金は、受給を遅らせる「繰下げ受給」を選ぶことで最大42%増額されます。しかし、厚生労働省の「厚生年金保険・国民年金事業の概況」によると、実際に70歳で繰下げを選択している人はわずか「4.2%」にとどまります。なぜ、多くの人が途中で断念してしまうのでしょうか。地方の賃貸マンションで妻と暮らすサトシさん(仮名・68歳)も、増額を狙って待機していたものの、「思わぬ壁」にぶつかり後悔することになりました。

「働けるうちは稼ぐ」年金の繰下げ受給を決意した〈貯金1,200万円〉68歳男性

「年金の受け取りを遅らせて、多くもらったほうがお得だと信じていました」

地方の賃貸マンションで妻(67歳)と暮らすサトシさん(仮名・68歳)。地元の運送会社を65歳で定年退職し、貯蓄は退職金を含めて約1,200万円ありました。サトシさんがもらえる年金の見込み額は月約14万円、妻の分を合わせると世帯収入は月20万円ほどです。

「老後の出費を考えると、この金額では心もとない。働けるうちは稼いで年金の繰下げ受給をして、備えようと考えました」

70歳までの5年間後ろ倒しすれば、受給額は42%アップの月約19万8,000円になります。月約6万円のプラスは老後の安心材料でした。

健康に自信があったサトシさんは、地元のホームセンターで週4日のアルバイトを始め、月11万円の給与で生活費を補いながら、70歳を迎えるプランを立てました。

「どこも雇ってくれない…」不採用続きで“無収入の恐怖”

ところが67歳のとき、予期せぬ事態が起きます。勤務先が業績悪化のため廃業。地方の過疎化による、客足減が原因でした。

「仕事を選ばなければ、次の働き口はすぐ見つかるだろうと思ってたのですが、そう簡単にいきませんでした。どこも雇ってくれないんです……」

65歳を超えた高齢者向けの求人は、地方ということもあり驚くほど少なく、ようやく見つけた求人に応募し、面接を受けても不採用が続くばかり。

気づけば半年間も仕事が決まらず、世帯収入は妻の年金である月約6万円のみに激減してしまいました。当然ながら、たった6万円で夫婦2人の生活費や家賃を賄えるはずがありません。サトシさんは年金を受け取っていないため、不足する日々の生活費や医療費などはすべて貯金から捻出しています。

毎月20万円以上のお金が減っていく事実に、サトシさんは漠然とした恐怖を覚えました。

「貯金が底をつく…」プレッシャーに耐えきれず繰下げ受給を断念

「あと3年耐えれば年金は増えますが、その前に貯金が底をつくかもしれない。健康には問題がなくても、働く場所がないだけでここまで追い詰められるとは……」

結局、貯金が尽きるプレッシャーに耐えきれず、70歳を待たずして68歳で受給開始手続きを行いました。

「意欲さえあれば、ずっと働けるというわけではなかったんです。年金の受給額アップばかりに気を取られ、働き口がなくなるリスクまでは考えられていませんでした」

中途半端に増額された年金を受け取って怖い思いをするなら、65歳でもらって少しでも現金を残しておけばよかったと、サトシさんは後悔を口にしました。

シニアの再就職の壁と、繰下げ受給の待機中に潜むリスク

 「年金は遅らせてもらうほど得をする」という繰下げ受給のメリットばかりに目が行き、サトシさんのように「無収入になるリスク」を見落としてしまうシニアは少なくありません。

実際に、受給額がアップする「繰下げ受給」を選んでいる人は、世間のイメージほど多くはありません。厚生労働省の「厚生年金保険・国民年金事業の概況(令和6年)」によると、令和6年度末時点で70歳の受給権者のうち、実際に繰下げを選択している割合は、老齢厚生年金でわずか4.2%、老齢基礎年金(基礎のみ)で5.5%にとどまっています。

多くの人がサトシさんのように途中で断念するか、そもそも資金繰りの不安から最初から65歳での受給を選んでいるという実態があります。

サトシさんの老後計画を崩したのは、「健康ならいつでも仕事が見つかるはず」という思い込みでした。内閣府の「令和7年版高齢社会白書」によると、「今後仕事をしたいと考えているが、現在仕事をしていない理由」として、「健康上の理由(30.8%)」に次いで多かったのが、「年齢制限で働くところが見つからないから(28.4%)」でした。これは「仕事の種類(職種)で合うところが見つからないから(26.9%)」を上回る割合です。

どれほど本人に働く意欲と体力があっても、社会の側には「年齢制限」という見えない壁が確実に存在しています。特に地方ではその傾向が顕著であり、一度職を失うと再就職は難航するでしょう。

無収入の状態で毎月の生活費や家賃を貯金から取り崩していく恐怖は、年金増額による“安泰な老後プラン”を揺るがすプレッシャーとなり得ます。「意欲があれば働ける」という楽観的な前提で繰下げ受給をするのは、老後生活を送るうえでのリスクの一つであることを認識しておきましょう。

[参考資料]

内閣府「令和7年版高齢社会白書」

厚生労働省「厚生年金保険・国民年金事業の概況(令和6年)」