あの痛ましい海難事故から1か月以上が経った。辺野古(沖縄県名護市)で修学旅行中の高校生を乗せた船が転覆し、生徒と船長の2人が死亡した事故である。

【画像】亡くなった武石知華さん(遺族のnoteより)


二隻の船が転覆

「メディアはこの事故をあまり報じていない」は本当か

 この事故を巡っては発生直後から気になる言説がある。「メディアはこの事故をあまり報じていない」というものだ。SNSやネット上でよく見かける。地元紙の琉球新報や沖縄タイムスも同様だ、という声もある。

 転覆した「平和丸」と「不屈」の2隻はともに、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する市民団体「ヘリ基地反対協議会」に所属し、普段は海上での抗議活動に使われていた船だった。だから基地問題を報じる沖縄2紙は今回の事故や背景に触れたがらないのではないか、という見方につながっていると思われる。

 果たして本当にそうなのか。確かめるため、国会図書館で1か月間の紙面を確認してみた。

 結論から言えば、沖縄2紙は連日大きく報道していた。検証企画は事故直後から早々に始まっていた。琉球新報は『検証 辺野古転覆事故』、沖縄タイムスは「なぜ 辺野古船転覆」。いずれも3日連続の企画(3月18日〜20日)だ。

 その内容も、「学校側「船使用料5000円」 反対協「無償」説明と矛盾」(琉球新報3月19日)や、「安全管理の認識甘く 船の出航基準 明文化なし 乗船名簿も把握せず」(沖縄タイムス3月19日)など、市民団体と学校双方の責任を厳しく問うものだった。

 さらに、旅行を担当していた会社が学校側に直接手配させており、旅行会社を通じた安全管理が十分に機能していなかった点も問題にしていた(沖縄タイムス3月31日)。

 これらの記事を読んでまず感じるのは、海という大自然を相手にしながら、子どもを預かる側の安全管理が極めて脆弱だった可能性だ。「平和学習」とは究極的には命の話だろう、なのになぜ、と痛切に感じた。二度とこのような事故を起こさないために何が問題だったのか。

 運航していた市民団体は海上運送法に基づく事業登録をしていなかった。2022年4月に北海道・知床半島沖で起きた観光船沈没事故を契機に、従来の届け出制から登録制に改正されている。今回の修学旅行生を乗せる活動が「事業」なのか「ボランティア」なのかという認識は曖昧だった。そもそも登録制への移行はどこまで周知されていたのかという疑問も残る。

産経新聞を追っていると気づくことがある

 地元紙を読むと、あの日は実は海上保安庁の船も転覆していた。それほどの天候変化もあった。「過失」かどうかを巡り、専門家の間でも見解が異なることを3月23日の沖縄タイムスは伝えている。出航時の判断で防げたという声もあれば、海保元幹部は出航時の天候が即座に取りやめる判断要因にはならないのでは、という見方も示す。いずれにしろ捜査は長期化しそうという。だとしたら今問われるのは経緯であり、長年の油断はなかったのかという点もあるだろう。

 辺野古転覆報道は全国紙もしている。知床の事故当時と比べても社説などの本数もあまり変わらない。今回、目立つのは産経新聞だ。

『危険出航 ずさん管理 「知床の教訓」生かされず悲劇』(3月23日)

辺野古抗議団体 生徒に座り込み「お願い」 高校、過去のしおりに掲載』(3月28日)

『抗議団体 事故・違反10件超 平成26年以降 海保が実態調査』(4月24日)

 沖縄の地元紙に劣らぬ勢いで連日報じている。そんな産経新聞を追っていると気づくことがある。事故原因の究明もさることながら、沖縄の平和学習に対する視点だ。

 産経は事故翌々日、初めての社説で『辺野古沖で転覆 「平和学習」はき違えるな』と書いていた。抗議船に生徒を乗せることが「平和学習」になるという学校側の姿勢もおかしいとし、「教育に求められる政治的中立を逸脱している。(略)文部科学省も指導を強めてもらいたい」としている。

 いつの間にか、修学旅行で沖縄に関する平和学習や基地問題を学ぶことに問題があるというような「イデオロギー」や「思想」の問題に比重がおかれていることに注目したい。こうした論調がネットでも広まっているように思える。つまり「メディアは辺野古転覆を報じていない」を言い直すなら、「メディアはなぜ産経新聞ほど報道をしないのか」なのだろう。

「イデオロギーではなくアイデンティティー」

 平和学習がイデオロギーまみれという批判に対しては、沖縄タイムスで川満彰氏(沖縄国際大学非常勤講師)が、沖縄の根強い基地に反対する思いは「イデオロギーではなくアイデンティティー」という歴史を書いていた。

 沖縄戦には「基地があるところから戦争はやってくる」「軍隊は住民を守らない」「命どぅ宝(命こそ宝)」という教訓がある。県民にとって反対運動は沖縄戦を踏まえた沖縄人としてのアイデンティティーを取り戻すための行為であり、平和学習とは本土とは異なる沖縄のいびつな歴史の過程を知ることだと解説していた。

 これを読むと、沖縄の平和運動や平和学習は「命こそ宝」から出発したと理解できる。だからこそ今回の事故は絶対に起きてはいけない事故だった。ただ、事故原因の検証と「思想チェック」のようなものが平気で混同されてしまえば、本来必要な再発防止の議論は見えにくくなるのではないか。

 しかし産経の追撃は止まらない。一面コラムでは「こんな偏向教育をする私学にまで血税が使われるのは、とんでもない」(3月30日)、「家族思いの生徒の人生は、左派活動家らによる独善的で無謀な平和学習とやらに奪われた」(4月4日)。

 那覇支局長は「近年まれにみる人災」というコラムを書き、「移設工事の進む辺野古を見学することが、どうして『平和学習』になるのか。何かはき違えてはいないか」(4月4日)。これらからは沖縄そのものに対する激しい感情すら感じた。

 ここまで読んで、新聞好きなら「産経と沖縄」の因縁を思い出すだろう。知らない方のために少し振り返っておきたい。

 その「事件」は2017年12月、沖縄で起きた。沖縄自動車道を走行中の米海兵隊曹長の男性が、意識不明の重体となる人身事故があった。産経新聞は「曹長は日本人運転手を救出した後に事故に遭った」という内容の記事を掲載した。救出を報じない琉球新報や沖縄タイムスについて「報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」と書いたのだ。かなり強烈な紙面である。

産経新聞の記事はデマだった

 ところが、琉球新報が米海兵隊や警察に取材をするとそのような事実はなかったのだ。産経新聞の記事はデマだった。

 ここでのポイントは誤報という点ではない。新聞にも間違いはあるからだ。問題は、沖縄2紙を罵倒したいがために、真偽不明な情報に飛びついて裏取りもせず発信した姿勢である(どうやら元ネタはFacebookだったらしい)。

 当時の琉球新報は、検証した理由を次のように書く。

《産経新聞が不確かな「救助」情報を前提に、沖縄メディアに対して「これからも無視を続けるようなら、メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」と書いたことが大きい。産経新聞の報道が純粋に曹長をたたえるだけの記事なら、事実誤認があっても曹長個人の名誉に配慮して私たちが記事内容をただすことはなかったかもしれないが、沖縄メディア全体を批判する情報の拡散をこのまま放置すれば読者の信頼を失いかねない》

 記事の最後は、

《産経新聞は、自らの胸に手を当てて「報道機関を名乗る資格があるか」を問うてほしい》

 基地問題でいろいろな考えがあるのは当然だろう。しかし相手を罵倒したいために事実確認が不十分なまま批判して騒ぐ。これは「なぜ沖縄2紙は辺野古転覆にダンマリなのか」という今回のネット上で溢れる言説の構図にも似ていないだろうか。

 最後に重要な発見も書いておこう。今回の件で報道量の多い沖縄2紙と産経新聞を読み比べると決定的に大きな違いがあることに気づく。

 産経は転覆事故を「人災」と書いたが、それでいえばデマ被害も酷い。沖縄タイムスは事故翌日の社説で「事故を巡る誤情報や誹謗中傷がインターネット上などで広がることがないよう注意したい」と書いた。しかし『転覆事故巡り誤情報拡散』(沖縄タイムス4月9日)などデマや誹謗中傷を伝える記事が後を絶たない。これも「人災」だろう。

高校には「責任を取って死ね」という言葉が

 例を挙げるなら「高校生に基地への抗議活動をさせた」「県の予算で実施している」「定員オーバーだった」「宿泊先(民泊)の思想が極端すぎる」「旅行社とオール沖縄結託」や、亡くなった生徒の尊厳をおとしめるコメントや生徒・学校への誹謗中傷・デマが多数あったという。高校には「責任を取って死ね」という言葉が電話やメールで投げつけられた。

 ところがである。産経新聞にはこうした誤情報や誹謗中傷の拡散そのものを問題として扱った記事は見当たらないのである(4月27日時点)。京都・南丹市の事件での誹謗中傷には警鐘を鳴らす記事を書いているのだが沖縄はスルー。今回の沖縄に関してあれほどの報道量があるにもかかわらずである。

 辺野古転覆事故で「メディアはなぜ産経新聞ほど報道をしないのか」にもう一つ付け加えるならば、「産経新聞はなぜ沖縄へのデマや誹謗中傷問題を報じないのか」という問いも浮かび上がってくる。

 今回の事故で大事なのは、誰かを罵倒することではない。沖縄戦の惨禍を知り、ここまでの歴史や現状を学ぶ重要性があるのは間違いない(それは修学旅行生に限らないが)。だからこそ問うべきは、校外学習としての安全管理をどう徹底するかという原点の問題ではないだろうか。
 

(プチ鹿島)