ストロング系に出会う前の筆者

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「酒……。酒を体に入れないと!」
コンビニに駆け込み、「ストロング系」と呼ばれる缶チューハイを買い、そのまま胃に流し込む。ようやく吐き気も震えも止まる。完全にアルコール依存症の状態だ。それを1日に何度も繰り返す。

いくら飲んでも酔いつぶれることができなくなった。しかし、体は確実に蝕まれていくーー。

本連載では、20代でアルコール依存症になった、ひとりの編集者の転落と回復の日々を追う。

◆一応、夢を叶えた。酒浸りだけど…

サブカルチャーにのめり込む以前の幼少期の筆者は、お笑い芸人に憧れていた。それは、面白いというだけではなく、自身のコンプレックスを笑いに変えていくのが好きだったのだ。当然、そこには卑屈さはあるが、それを飲み込んで笑いに昇華していた。

「芸人さんみたいな人間になりたい」

ただ、さすがにその世界で成功するのは難しいとはわかっていた。その一方でお笑い番組は好きだったため、時差のあるアメリカにいるにもかかわらず、朝方に起き上がって『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を生放送で見たりしていた。

そのうち、リアルタイムで見られる番組として朝(米国東部標準時)に放送されていた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)を知った。同番組には旬の芸人だけではなく、編集者やライター、イラストレーターもよく出ていた。

「みうらじゅんや渡辺祐って誰だ?」

その後、偶然見つけた雑誌「宝島」(宝島社)の「VOW」の本編単行本で彼らの存在を知るわけだが、この頃は「バラエティ番組にも文化人枠があるのか」という思いを抱きながら、なんとなく「ライターや編集者としてテレビに出るのもありだな」と考えていた。

そして、大人になって東京で出版社の編集者になれたため、大好きなお笑い芸人にもたくさん取材できたし、コメンテーターとしてインターネット番組だが、テレビ局に収録で行くこともできた。子どもの頃に夢見ていたことはだいたい実現できた。酒浸りのため、毎日脳が麻痺しているということを除けば……。

◆健康診断は「5年連続D判定」で済んだ。済んだ?

コロナも終息しかけた頃には筆者も28歳になり、雑誌という斜陽産業に新入社員は入らないため、最年少の下っ端には変わりないが、ようやく原稿も整い出した。なんだったら先輩たちにダメ出しできるほど成長……。いや、ただ面の皮が厚くなっただけだ。

それでも、自分の原稿に対する「ダメ出しされるかもしれない」というプレッシャーは大幅に減ったため、校了期間中かつてほどのストレスは感じなくなった。むしろ、「もっと良いものを作ろう」と前向きだった。

ただ、筆者が入社した頃から編集部は随分と変わった。隔月誌になったのもそうだが、何人かの先輩編集者たちは卒業していき、結果的に5人以下の少数精鋭となり、任されるページ数も増えた。百何ページの雑誌で1折半(24ページ)をひとりで、号によっては2折り(32ページ)担当するときもあった。

卑屈な自分にとってみれば、これは自信につながり、何本も企画を任されることが自己肯定感につながった。土日、ゴールデンウィーク、盆暮正月も休みなく、毎日働いていたが、辛いと感じたことはなく、むしろ楽しかったのだ。いや、さすがにゴールデンウィークが一切なかったのはキツかったか……。

とはいえ、仕事以外にこれといった趣味はなかったため、常に忙しさだけを求め、そして昼から深夜まで馬車馬のように働き、一通り仕事を片付けてから就寝前1時間でストロング系を5本ガブ飲みするが「快楽」だった。

ここで「疲れた」と思って辞めてしまうと、学生時代に味わった漫画喫茶に戻らなくてはいけない……。極端な考え方だが、むしろそれがモチベーションとなり、ますます仕事にのめり込むようになった。