時代の転換期、「人」を大事にできるかが問われる

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オリエンタルランドの経営

『経営は人なり』と言うが、時代の転換期にあって、『人』を大事にする経営かどうかで、企業の評価は決まると思う。

 今、コロナ禍が一段落し、日本は首都圏をはじめ各地で、インバウンド(訪日観光)の外国人で賑わいを見せている。

 東京ディズニーランド、東京ディズニーシーのテーマパークを持つオリエンタルランド社もそうだ。

 同社はコロナ禍で外出を自粛する人が増え、大きな打撃を受けた。コロナ禍初年度にあたる2021年3月期は入園者が激減し、営業赤字に転落。苦しい日々が続いた。

 以後、徐々に業績を回復し、今年は、国内はもとより、インバウンド客も増えて賑わいを見せている。

 23年3月期の入園者数は2200万人を超える見込み。アトラクション、催し物の楽しさもさることながら、同社独自の入園者に夢を与える〝おもてなし〟が好評を呼ぶ。

 コロナ禍で人と人のつながりが弱まり、また生き方・働き方を模索する日々の中で、何か安らぎや癒しを求める人々の受け皿に同社がなっているのではないかと思う。


加賀見俊夫さんの経営観

 オリエンタルランド社で働く人は約3万人。テーマパークで人々に夢を持ってもらうことを使命とすることから、同社は社員のことを『キャスト』と呼ぶ(このうち正社員は2割)。

 コロナ禍で赤字に転落した時も、同社は人員を削減しなかった。

「人は、一番大切ですからね。人件費というのは、当社では必要経費(必要コスト)として見ていますからね。だから、コロナの時もずっと継続できました」

 1960年(昭和35年)の会社設立から同社に携わってきた代表取締役・取締役会議長の加賀見俊夫さん(1936年=昭和11年生まれ)は、「人を大事にする経営」に徹していきたいと語る。

「やはり生活がありますからね。(雇用を)切られると、他の企業に勤めてしまうわけですね。経営がよくなったから、戻って来てと言っても、なかなか戻ってこられませんからね」とキャストの気持ちも推しはかる加賀見さん。


人と人のつながり

 東京ディズニーランドが開園したのは1983年(昭和58年)で40年前のこと。日本経済は2度の石油危機を経て、いわゆる鉄鋼、化学、電機などの〝重厚長大〟産業中心から、ソフト・サービス産業が勃興し始めようとする時期。

 時代の転換期ではあったが、何と言っても、同社を一大発展させたのは関係者の『夢』であった。「ええ、夢の実現のためにどうするか。これが、わたしたちに与えられたテーマでした」と加賀見さん。

 同社の草創期から、文字通り艱難辛苦を共にしたのは元社長の郄橋政知さん(1913―2000)と加賀見さんのお2人。親子ほどの年の違う2人はコンビを組んで、東京湾浦安海岸(千葉県)の埋め立てから、国や県との交渉、そして埋め立て造成が終わって、「ディズニーランドを日本につくる」という事業化に奔走。

 同社の親会社は京成電鉄で、三井不動産と二大株主として同社の経営に関わった。

 しかし、京成電鉄は途中、経営不振になり、オリエンタルランド経営に関心が薄くなった。

 会社存続が危ぶまれる時は、親分肌の郄橋氏が家屋敷を担保に資金を工面。渋谷・松濤の自宅は担保流れで手放すことになってしまった。また、名画家・コレッジョ(イタリア)の宗教画も担保流れになったという逸話が残っている。

「郄橋さんは、お父さんが戦前、台湾総督を務めた人で、旧制山形高校、東京帝大法科の出身で、実に豪放磊落な人でしたね。夢があるし、強引な所もお父さんの血を引いているんですよ」