1980年、『将軍 SHOGUN』で一気に注目された島田さん。海外作品への出演も続いた(写真・共同通信)

「島田さんとは、よく自由が丘の飲み屋でお酒を酌み交わしましたねーー」

 7月25日に亡くなった、女優の島田陽子さん(享年69)。長年の友人だったA氏は、懐かしそうにそう語った。

「島田さんは海外で活躍する女優の先駆けでした」と振り返るのは、さる芸能記者だ。

「島田さんは、1971年にテレビドラマデビュー。1980年には米ドラマ『将軍 SHOGUN』でヒロインを演じ、ゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞したことで、一躍“国際女優”として注目を集めました。最期は多臓器不全で亡くなった島田さんには、芸能界から哀悼のコメントが多く寄せられています」

 A氏が最後に見た島田さんの姿は、ステージの上に立つ気丈な姿だった。

「昨年の12月27日、彼女から誘われて参加した麻布のライブ・バーでの忘年会でした。彼女はMCの招きで登壇したり、バンドメンバーにお酒を振る舞ったりして楽しそうにしていました。彼女の様子を撮ろうと動画を回すと、恥ずかしそうにこちらを向いて笑っていましたね。そんな姿もその日が見納めでした」

 A氏が島田さんからガンについて打ち明けられたのは昨年10月のことだったという。当時、遺作となった主演映画、『Evergarden』の撮影中だった島田さん。コロナ禍での経営難を苦にして自殺した男の妻が、懸命に生きようとするさまを演じたもので、今年公開される予定だ。

「鹿児島での長期ロケは終えていたものの、撮影半ばでのガン告知だったので、本人がいちばん慌てていました。この映画にかける島田さんの熱意は相当なもので、納得がいかないシーンについては、原案も手がけている横山浩之監督にかけ合って、ストーリーの変更を迫ったりしていました。それだけに、島田さんはこの作品が完成しないうちのガン治療には後ろ向きでした。抗ガン剤や放射線治療で髪が抜けたりしたら、撮影に支障が生じてしまいますからね。

 結局抗ガン剤を避け、粒子線治療に踏み切ったのは、3カ月もガンを放置してしまった、年明けのことでした。さらにその後、300万円もする『光免疫療法』にも挑戦しましたが、今思うと、もしも撮影中に治療を始めていたら……と悔やまれます」(前出・A氏)

 島田さんが最後にすがった粒子線治療だが、そこには不思議な因縁が感じられるとA氏は言う。

「女優の樹木希林さんがガン治療のために受けたのも、粒子線治療だったんです。樹木さんといえば、内田裕也さんの妻としても有名でしたが、島田さんは過去に内田さんとの不倫を報じられていました」

 内田さんと島田さんの不倫旅行が報じられたのは1988年のこと。その後、樹木さんと内田さんとの間では離婚騒動が巻き起こり、訴訟にまで発展した。島田さんが“国際女優”として脚光を浴びていたときのことだった。島田さんから当時の話を聞いていたB氏が語る。

「『どうして内田さんに惚れたの?』と一度本人に聞いたことがありました。すると島田さんは、『手紙が素晴らしかったの』と言うんです。手紙というのは、内田さんとの出会いである映画『花園の迷宮』(1988年公開、伊藤俊也監督)で共演したときにもらったもの。内田さんは、島田さんをレイプする役どころでした。島田さんも最初は、相手役の内田さんに不信感をあらわにしていたそうです」

 そんななか、島田さんに1通の手紙が届いた。

「差出人は内田さんで、“この撮影をしても、あなたの品位はなんら貶められません”と訴える長文の手紙が、丁寧な字でしたためられていました。島田さんは、誠意が尽くされたその文面に心を動かされたといいます。そして撮影が終わると、内田さんが花束を持って待っていてくれたりする。そんな誠意に打たれ、交際が始まったそうです」

遺作となった『Evergarden』の「本読み」での姿

 B氏は、島田さんと内田さんの“不倫愛”に関して、ある強烈なエピソードを聞いていた。

「“密会ハワイ旅行”としてスクープされたときのことです。2人は同じ飛行機でハワイに向かったんですが、目立つことを避けて、ハワイでの入国審査ではわざと離れて並びました。島田さんが自分の番を待っていたら、突然ドンと強く背中を蹴られた。

 驚いて振り向くと、そこにいたのは樹木希林さんだったのです。さらに樹木さんは、島田さんを下から覗き込むようにして、“いつも主人がお世話になってます”と言ったそうです。2人の恋路を邪魔しようと、日本から追いかけてきていたんですね」

 島田さんと長年つき合いのあったA氏だが、葬儀に出席することはかなわなかった。

「島田さんの葬儀は、かなり難航したと聞いています。というのも、熊本にある実家の妹さんが、島田さんの葬儀を執りおこなうことを拒否したというのです。たしかに島田さんは、実家とはもう何十年も連絡を取っていないと言っていましたが……。最終的に、映画関係者十数人で葬儀は執りおこなわれたと聞きましたが、そこにご家族の姿はなかったといいます」

 惜しくも病に倒れた島田さんには、心残りがたくさんあったという。A氏は語る。

「4月に連絡が来た際には、入退院を繰り返しているという話でしたが、そのとき、ネットフリックスでチェ・ゲバラのドキュメンタリーを企画していて、その取材でキューバに行くつもりだと話していました。ほかにもニューヨークのオフブロードウェイでの英語劇や、時代劇の舞台など、いろいろな企画を抱えていたんです。それらを完成できないまま旅立ったことは、無念だったでしょうね」

 そう語るA氏は、最後にぽつりとこうつけ加えた。

「島田さんは2020年の1月にお母さんを亡くしています。妹さんたちとも縁が切れているし、『これで本当に一人になってしまった』と語っていました。寂しい最期にさせてしまって、申し訳なかったと思っています」

 友人らの声は、天国に届くだろうか。