ジャニーズ事務所(C)日刊ゲンダイ

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 9日午後、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が都内の病院でくも膜下出血のため亡くなった。87歳だった。

ジャニー氏の病状を語ったのが櫻井ではなく松潤だったワケ

 訃報を受けて元SMAPの中居正広(46)、ベテランの近藤真彦(54)、嵐のメンバーの動向に注目が集まっているが、TOKIOの城島茂(48)もそんなタレントのひとりだ。

 TOKIOは、昨年5月に元メンバーの山口達也(47)が退所した後、グループ活動を休止しているが、その原因のひとつが城島にあるといわれている。TOKIOは今年がデビュー25周年イヤー。“活動再開”を希望するファンの声は強いが、城島が「(TOKIOは)ひとりでもメンバーが欠けたら終わり」となかなか首を縦に振らないのだという。

 城島は常に笑顔の印象が強いが、実は結構な苦労人だ。複雑な家庭環境に生まれ、その境遇から抜け出す方法のひとつがジャニーズ事務所に入り、アイドルデビューすることだったという。

 奈良県の高校在学時にテレビで見た「少年隊」の歌や踊る姿に刺激され、「将来、俺も東山さんや錦織さんみたいになる!」と決心した彼は、すぐに事務所の住所を調べて履歴書を送ったという。それが偶然ジャニー氏の目に留まり、「すぐに上京しちゃいなヨ!」の言葉をもらって入所を許される。すぐに合宿所のメンバーに加わった。

 ジャニー氏は入所したばかりの城島をテレビ局回りに帯同させ、「少年隊」や「光GENJI」ら先輩アイドルグループの本番やリハーサル風景を見せながら、「ユーもこういうふうになるんだヨ!」と城島の背中を押したといわれる。

 だから城島にとってジャニー氏は“人生の師匠”であり“命の恩人”でもあったようだ。

 母子家庭で育った城島から見ると、ジャニー氏は父親みたいな存在で、憧れていた東山は兄貴分として慕っている。

 だから山口が事件を起こしたときは、“TOKIOの看板を汚した!”という思いよりは、“ジャニーさんを悲しませた!”という憤りの方が大きかったという。

■TOKIOの原形は「城島茂バンド」

 ちなみにTOKIOの原形は、1989年に城島が山口とコンビを組んだ「城島茂バンド」。翌年、これに松岡昌宏(42)、国分太一(44)が合流し、バンド名は「TOKIO」になるが、メジャーデビューは許されなかった。いつか埋没しかねないグループの危機を救ったのが、94年にボーカルとしてグループに加入した長瀬智也(40)の存在だった。城島は長瀬のグループ入りが決まったことに「本当に肩の力が抜けた。これでいける! と確信した」と漏らしたという。実際、そこからTOKIOの輝かしいキャリアはスタートした。

 ただ、実父以上の存在だったジャニー氏が亡くなり、TOKIOも自然消滅状態だと、リーダー城島の活動に影を落とすことにならないか。

「城島は日テレ系『ザ!鉄腕!DASH!!』のようなバラエティー番組に出演し続けるか、MCとして活動を広げていくことになりそうです。NHK朝ドラ『芋たこなんきん』で見せたような軽妙な演技力を生かし、役者として生きていく路線も考えられます。事務所内でも役員待遇の東山を兄貴分と慕い、スタッフのウケも非常にいい。“俺が俺が”で目立つことが当然の芸能界で城島は自分を殺し、引き立て役をいとわない。だから敵は少ないし、誰からも好かれる。今後も事務所のサポート下で十分な活躍が期待できるでしょう」(芸能プロ幹部)

 もっとも、ジャニー社長が亡くなったことで、城島は裏方に回る可能性もあるという。

「城島は年上なのに威張らないので、これからタレントのプロデュース面を担当することになる『ジャニーズアイランド』の滝沢秀明社長からの信頼も厚い。家庭環境に恵まれなかった彼は、密かに“自分と同じような環境にある少年たちに光を当ててあげたい”という思いも温めているようです。今後行われるであろう話し合いの中で、滝沢社長から“だったら僕をサポートしてください”と申し出る展開もありそうです」(前出の芸能プロ幹部)

 にわかに注目を集める城島の動向。カリスマを失った今のジャニーズ事務所に求められているのは、彼のような調整役なのかもしれない。

(芸能ジャーナリスト・芋澤貞雄)