(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

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2025年上半期(1月〜6月)に配信したものから、改めて読み返してほしい「ベスト記事」を選びました。(初公開日:2025年3月27日)******2025年3月26日放送の『徹子の部屋』に出演した、書家・金澤翔子さん。ニューヨークで個展を開くなど世界的に活躍する傍ら、2024年12月には喫茶店「アトリエ翔子喫茶」をオープンし、活動の幅を広げています。今回は、母・泰子さんが翔子さんとの日々を綴った『いまを愛して生きてゆく ダウン症の書家、心を照らす魂の筆跡』から、一部を抜粋してお届けします。

【書影】「魂の書」とともに、母の想いを綴った言葉を掲載した心を照らす一冊。金澤翔子(書)、金澤泰子(文)『いまを愛して生きてゆく ダウン症の書家、心を照らす魂の筆跡』

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白い雲を取る

翔子は彼女の独自の方法で商店街で毎日を確かに生きて、堂々たる37歳の一人暮らしをしている。私は娘が立派に生活していることに感動する。

そんな翔子と私は今、周りに遮るものがなく天空に溶け込むように高台の高い階の部屋に住んでいる。翔子が4階、私が5階。

空に白い雲が低く流れていて、その雲に手が届きそうなある日、翔子が小さなプラスチックを持って5階の私を訪ねて「お母様、白い雲を取ってこのに入れておいて」と素っ気なくそのをおいていった。

翔子の住む4階より私の5階のほうが雲に近いと思ったのだろう。けれどあれほど賢く一人で破綻(はたん)せずに生きているのに、雲をプラスチックに閉じ込めて所有できると思うのかしら。こんな時、私は暗澹(あんたん)たる思いに襲われる。

幸せへの旅立ち

人生はプラスマイナスゼロ」と言う。人生の終結がプラスマイナスゼロならば、マイナスから踏み出してもいいのではないか。誰でも良い方法で最良の方向に出発したいけれど、プラスマイナスゼロ説が正しいのならばマイナスの出発も得策ではないか。

ただ、マイナスからの出発は大きな不条理に出合い、それを乗り越えた人が持ち得る理論だろう。

障害のある娘の誕生で私は地獄の淵から子育てが始まった。この不幸は夢だと思い、夢と現実の間で狂気になっていた。狂わなければ生きられないマイナスの極北から出発した私は今、比類ない幸せになっている。

マイナスからの出発は終盤にはプラスをもたらすものだ。計らずもマイナスから出発しなければならなくとも大丈夫。それは幸せへの旅立ちでしかないのですから。

身の周り5メートルの平和

夕暮れの公園で小柄な男の人が近づいてきた。知的障害を持つと思われる笑顔の彼と翔子は楽しそう。暗い大きな公園に私たち3人だけ。

常識の埒外(らちがい)で生きている二人は、まだ一緒にいたいようだけれど、私は翔子の手を引いて後ろ髪を引かれつつ「さよなら」と別れた。


(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

公園の出口で彼が大声で「金澤翔子さん書道、頑張ってね!」とはっきりと言った。うわー、翔子のこと知ってたんだ。束の間であったけれど、二人はとても平和であった。

平和とは何だろう。遠い地の戦いに一心に平和を叫んでも、悲劇は止まらない。政治など分からない翔子の平和は身の周り5メートル位の中にある。その中にいる人が、また5メートルの平和を願い、その平和を演繹(えんえき)していけば、それが平和な世界の訪れでしょう。平和は遠くにあるのではない。

※本稿は、『いまを愛して生きてゆく ダウン症の書家、心を照らす魂の筆跡』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。