「いつやるか?今でしょ!」を林修先生から譲り受けたという(撮影・徳重龍徳)

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波田陽区インタビュー後編

 2004年に「ギター侍」としてブレイクした波田陽区さんは、福岡に生活の拠点を移し活動している。“最高月収2800万円”だったという当時のブームの熱狂とその後の暗転を語った前編に続き、後編では移住後の苦しい時期を救ってくれた意外な“恩人”から、さらに林修先生から決め台詞を譲り受けたという話まで、福岡での現在の様子を聞いた。

【画像】出身は山口県下関市出身。福岡に来て「今年の4月で11年目に入ります」。活き活きとした表情でインタビューに応じてくれた

――福岡に来て、どのくらいになりますか。

波田:2016年からだから、もう10年ですね。今年の4月で11年目に入ります。福岡の住み心地は最高ですね。地下鉄の駅近くに住んでいるので、天神も近いし、新幹線に乗る博多駅も近いし、福岡空港も近い。それに東京ほど混んでいませんし。あと、どの飲食店に行ってもはずれがない。とにかく生活はしやすいです。

「いつやるか?今でしょ!」を林修先生から譲り受けたという(撮影・徳重龍徳)

――福岡移住は間寛平さんの言葉が後押ししてくれたそうですね。

波田:寛平師匠には東京にいる時から、本当に末代まで足を向けて寝られないぐらいお世話になっていて。ご飯はご馳走してもらえるし。僕は吉本の芸人でもないのに、仕事に呼んでいただいた上で、スタッフさんに「波田、仕事がないから頼みますわ」って僕みたいなわけわかんない人間のために頭を下げてくれていました。

 東京で仕事がなくなってからも、何とか事務所のおかげでギリギリ生活はできていたんですが、子供が成長するとともに「あれ? お父さん、家にずっといるな」と気づくじゃないですか。それで仕事のふりをして公園に行っていたりしたんですけど、これじゃ恥ずかしいなと思っていて。

 うだつの上がらない生活をしていた時に、寛平師匠から「福岡に行くのも一つの手じゃないか」とアドバイスをいただいて、40歳で福岡に思い切って移住しました。東京にいる時は自分の10年後の姿が見えなかった。わらにもすがる気持ちでした。

仕事ゼロのスタート 空港で「週5アルバイト」

――とはいえ、福岡に来たからといって、いきなり仕事が増えるわけではないですよね。

波田:仕事はゼロでした。事務所のスタッフさんが「アルバイトをするのも大変だろうから」と事務所の後輩のイモトアヤコがCMに起用されていた「イモトのWiFi」の社長さんのところへ連れて行ってくれて「こいつが福岡に行くんでバイトさせてください」と頼んでくれたんです。それで福岡空港で「WiFi宣伝部長」という、たすきをかけて週5でアルバイトをさせてもらえるようになりました。

 朝7時から夕方5時までが基本で、空港でスーツを着て、タスキをつけてWiFiルーターを渡していました。僕のその姿を見てケラケラと笑う人もいたんですけど、大半の人は「頑張ってね」と言ってくれました。

「ちょっと売れ出したぞ」そっくりさんにあやかって

――福岡の仕事はどのくらいから好転したんでしょうか。

波田:たまにテレビやラジオに呼んでいただいたんですが、週1回とか2回で。ギリギリの生活でした。ただ、そんな時にリオ五輪で卓球の水谷隼選手が日本人として初めてシングルスで銅メダルを獲ったんです。するとSNSで「水谷選手、波田陽区に似てる」とブワーッと広まって。水谷選手もそうした声にリアクションをしてくれていたんです。

 リオ五輪のメダリストの中でも、水谷さんはマスコミにすごく取り上げられた影響で、スポーツ新聞では水谷さんと一緒に僕の顔を並べていたり、ワイドショーでも「水谷選手が波田陽区に似ていると話題になってます」と取り上げてくれたんです。

 すると事務所のスタッフから「波田、お前、なんかちょっと売れ出したぞ」と電話がかかってきて。どうやら、水谷さんがメダルを獲った翌日からオファーが急に増え出したみたいで「どんな仕事ですか?」と聞き返したら、「水谷選手の偽物の仕事が増えた」って(笑)。

 営業先で「今日は水谷選手のそっくりさん来てます!」って出ていったら大盛り上がりで。ギター侍ブームの頃に1日5、6件の仕事していましたけど、水谷さんのときもそれに近いぐらいに忙しくなりましたね。NHKの夜のニュースでも「SNSの影響力」という特集で取り上げてもらって超ラッキーでした。営業も含めて1年ぐらいは水谷さんのおかげで仕事がありました。

――水谷さんには直接感謝を伝えたんですか。

波田:東京の仕事で共演する機会があったんですが、水谷さんが本物のユニフォームを2セット用意してくださっていて。「波田さんを通して卓球に興味を持つ方もいらっしゃると思うので、これを着てどんどん好きにやってください」と言っていただきました。

 水谷さんは今もテレビなどで活躍されているので、今でも営業で「どうも水谷隼です」といったらウケます。水谷さんのおかげで今も営業ができていると言っても過言じゃないですね。

一発屋芸人は出づらい時代かも

――ダンディ坂野さん、ムーディ勝山さん、など一発屋芸人で集まって「一発屋会」という組合でテレビに出ることもありますね。

波田:去年も2〜3回は“組合”でテレビに呼ばれました。20年くらい前は一発屋芸人がいっぱい出ていましたね。逆に今は全然いないですよね。若手の芸人はいっぱい勉強をして、一発屋にならないようにしている。

 それにテレビだけの時代じゃなく、YouTubeでゲーム実況のスター、TikTokでメイクのスターとスターが細かくいっぱいいる。逆に一発屋芸人ってもうなかなか出づらい時代なのかもしれないですよね。僕の子供もテレビでなく、YouTubeばかり見ていますし。

――「流行語大賞」で取り上げられると一発屋で終わるというジンクスもあります。昨年はひょうろくさんが「ひょうろく」としてノミネートされましたが、一発屋で終わると思いますか?

波田:たしかに僕も流行語大賞には「残念!」でトップ10に入りましたね。ただ、ひょうろくは残ると思いますよ。我々、一発屋芸人は「こいつは一発屋だな」という匂いを嗅ぎ分けられるんですけど、ひょうろくはそんな感じしない。ちょっと異質なキャラでこれからも活躍すると思います。

――「流行語大賞」でいえば、林修さんの決め台詞「いつやるか? 今でしょ!」が今は波田さんのものになったと聞きました。

波田:そうなんですよ。ぜひ記事でも太字で書いておいてください(笑)。林先生が大阪の番組で福岡の事務所に来られた際に「あんた、ギャグやらないならくれよ」って、カメラが回ってる前で言ったんですよ。そうしたら林さんが「どうぞどうぞ、使わないんで」と言ってくれて。

 カメラの前のノリかなとも思ったんですが、改めて別の福岡の番組で、林さんのマネージャーに確認したら「もし波田さんの仕事に役立てるなら、ぜひ使ってくださいとうちの林が言ってます」と言ってくださったので「今でしょ!」は僕のものです(笑)

 だから2026年は「今でしょ!」で仕事を増やしたいですね。「ゲッツの法則」というのがあるんですよ。

――どんな法則ですか?

波田:まず、ポジティブな言葉が良いらしいんです。15秒のCMで使う時に「ゲッツ!」だと2秒で終わるし、ポジティブな言葉だから広告で使いやすい。逆に「残念!」って4、5秒は必要だし、ネガティブだから広告業界としては、ちょっと敬遠されがちなんです。でも「今でしょ!」は3秒以内に入るし、ポジティブなので、これでCMに今年は出たいです。

福岡で1億円は稼げないけれど…

――最後に。福岡に移住してよかったですか?

波田:よかったです。福岡の皆さんは優しくて、温かい方が多くて。街を回るような仕事があっても「頑張ってね」と野菜くれたりとか、酒屋さんだったら「これいっぱい飲めよ」とお酒をくれたり。そういう優しさにメンタルの面でも救われました。

 東京で成功すれば、お金はめっちゃ稼げると思います。福岡でたぶん1億円は稼げないと思うんですけど、でもお金だけじゃない。暮らしやすい、人にも恵まれているし、自然も近いし、総合的な幸福度でいうと、福岡は相当高いですよね。東京が例えば10とかにしたら、今は、ほぼ100ですよ。

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 前編記事【最高月収2800万円から転落…居酒屋で隣の客に“お前が残念!”と笑われて 波田陽区が「腐っていった」ギター侍ブーム終了後の10年間】では「エンタの神様」出演での売れっ子時代とその後の暗転について語っている。

徳重龍徳(とくしげ・たつのり)
ライター。グラビア評論家。ウェブメディアウォッチャー。大学卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。記者として年間100日以上グラビアアイドルを取材。2016年にウェブメディアに移籍し、著名人のインタビューを担当した。その後、テレビ局のオウンドメディア編集長を経て、現在はフリーライターとして雑誌、ウェブで記事を執筆している。著書に日本初のグラビアガイドブック「一度は見たい! アイドル&グラビア名作写真集ガイド」(玄光社)。noteでマガジンを連載中 X:@tatsunoritoku

デイリー新潮編集部