心に沸いてくる「ねたみ」と上手に付き合う韓国の知恵――【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」

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人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、韓国のいまを伝えます

流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。

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#23 ペガアップダ(배가 아프다)

 韓国ドラマに字幕を付けていると、時々「배가 아프다(ペガ アップダ)(おなかが痛い)」というセリフに出くわす。同僚の昇進や、同級生がマンションを購入したという話題のあとに差し込まれることばだ。

 画面の中の人物は、おなかを押さえて痛そうにしているわけでもない。単なる体調不良でないことは、見ているほうにもすぐ伝わってくるだろう。

 韓国語には、こうした身体感覚で表す感情表現が少なくない。この不思議な言い回しはいったい、どんな気持ちを言い当てているのだろうか。今回は「おなかが痛い」という表現から、韓国における「嫉妬」と「祝福」のあいだにある微妙な感情を探ってみたい。

由来となった韓国のことわざ

 「배가 아프다(ペガ アップダ)(おなかが痛い)」はもともと「사촌이 땅을 사면 배가 아프다(サチョニ タンル サミョン ペガ アプダ)」という、韓国でよく知られたことわざに由来する。

 直訳すると「いとこが土地を買うとおなかが痛い」。これは「身近な人がうまくいくとねたんでしまう」という意味で、いとこや友人など親しい人が成功すると、素直に喜べず嫉妬心が湧く心理を指している。

 このことわざがいつ、どこから生まれたのかについて、はっきりした記録は残っていない。辞書や国立国語院の解説でも「身近な人がうまくいくときに覚える嫉妬ややっかみ」を表すという意味だけが示されている。

 一部のネットやコラムでは、かつての農村では人糞が貴重な肥料だったことから「いとこが手に入れた畑をよく耕せるように、自分はおなかを壊してでもたくさん肥料を出してあげたい」という昔話風の解釈を紹介する文章を見かける。

 身近な人の成功を、おなかを壊してまで助けたいという「善意」の物語にしておきたい――そんな解釈をあえて信じようとする姿勢こそが、いかにも「情」に厚い韓国人らしい。

心の動きを体調の話に置き換える

 このことわざは、日常会話では「배가 아프다(ペガ アップダ)(おなかが痛い)」「괜히 배 아픈 소리하지 마(クェニ ペ アップン ソリハジ マ)(ひがみっぽいこと言わないで)」のように、後半を切り取ったかたちでもよく登場する。
 面白いのは、その使われ方だ。自分で「あぁ、おなかが痛い(うらやましい)」とこぼすときは、本音を身体感覚に置き換えることで、嫉妬という毒を「かわいげのある本音」に変えてしまう力がある。

 一方で、誰かの成功に冷ややかな反応を見せて、周囲から「おなかを壊すような(ひがみっぽい)こと言わないで」とからかわれるときは、図星を指された気恥ずかしさが混じる。言われた側も「そうだよ、痛くてたまらないよ」とジョークで返せたりもする。

 いずれにせよ、感情をストレートに「嫉妬」と名指しするのではなく、あくまで「おなかの具合」という共通の身体感覚に置き換えることで、人間関係のトゲを丸く収めているのだ。

 日本語にも「うらやましい」「やっかみ」といったことばはあるが、感情をはっきり言い切る分、使う場面を選ぶ。「ねたましい」と言った瞬間に、空気が固まってしまうことがあるからだ。「おなかが痛い」は、ねたみややっかみを性格の問題として断罪するのではなく、体調の話にすり替えて「そう感じてしまう自分がいる」と表に出す言い方なのだ。

 では、なぜこの感情が「腹の痛み」になるのだろうか。嫉妬とは、理屈で生まれる感情ではない。頭で考える前に、勝手に湧き、しかも正当化しにくい。韓国語では、そうした抑えきれない感情を内臓の感覚として言い表す表現が多い。

 たとえば、不安なときに「속이 쓰리다(ソギ スリダ)(胃の辺りがひりひりする)」と言ったり、驚いたときに「간이 떨어지다(カニ トロジダ)(肝臓が落ちる)」、がっかりしたときに「속이 상하다(ソギ サンハダ)(胃の辺りが痛む)」と表現したり。韓国語には思考や意志よりも先に、内臓の感覚として感情を捉える言い回しが日常的に使われているのだ。

自慢話する人を揶揄することば

「おなかが痛い」とこぼす聞き手が存在する一方には、その痛みの原因を無自覚に振りまいてしまう「語る側」も存在する。韓国語には、彼らのことをユニークな表現で捉えることばがある。それが「팔불출(パルブルチュル)」だ。

 もともとは「10か月を満たさない、8か月で生まれた子供」を指す語から来たとされ、現代では「ちょっと頭の足りない(おめでたい)人」や「配偶者や子供など身内をやたらと自慢する人」という意味で使われている。

 恋人や子供の話をしていて、成績や就職先、ひいては高い贈り物をしたときの値段まで話してしまうような人を苦笑まじりにからかう表現だ。そこには「悪気がないのは分かるけど、少しは聞く側の気持ちも考えてほしい」という、はっきりとは口にしにくい疲れがにじんでいる。

 華やかな成功談や幸せなニュースは、本来なら祝福してあげたい。それでも、語り方やタイミングによっては、聞く側の心に小さな「腹痛」を生む。韓国社会では、こうした場面があまりにも日常的だからこそ、自慢する側を「팔불출(パルブルチュル)」と茶化したり、聞く側が自分のもやもやを「「배가 아프다(ペガ アップダ)(おなかが痛い)」と笑ってこぼしたりする文化が育ってきた。

 自慢する側も聞く側も、双方が本音と建前のあいだで揺れながら、ことばの力を借りて大きくこじれずに済んでいるのだ。

嫉妬の感情とどう付き合う?

 SNSのタイムラインを眺めていると、家や仕事、家族旅行といった「小さな成功」や「日常の幸せ」が絶え間なく流れてくる。「いとこが土地を買う」の中の「いとこ」は、いまや「同じ年頃の同僚」や「画面の向こうの知人」に置き換わっている。身近な成功が可視化される場面が増えたぶん、「おなかが痛くなる」瞬間も増えている。

 私たちはその「おなかの痛み」と、どう付き合えばいいのだろう? 他人の近況におなかがざわつくとき、「嫉妬してはいけない」と自分を叱るのではなく、いったんその感覚を引き受けてみる。それも一つの手だろう。「自分が本当は何を望んでいるかを教えてくれるサイン」として捉えてみるのもいいと思う。

 友人の昇進に痛みを覚えるのは、自分も仕事で認められたいから。誰かのマイホーム購入にざわつくのは、自分も安定した居場所を求めているから。こうして言葉にしていくと、「おなかの痛み」はただの黒い感情ではなく、自分が本当に手に入れたいものを浮かび上がらせてくれる。

 他人と比べてキリキリとおなかが痛むときは、視線を少しだけ「過去の自分」へとずらしてみるのもいいだろう。1年前、あるいは数年前の自分と比べて、どれだけのことができるようになったか。そうやって自分の歩みを確かめることは、外側からの刺激で波立つおなかを、内側からそっとさすって鎮めていくような作業でもある。

親しさゆえの副作用

 まったく知らない他人の成功にまで、いちいち腹を立てる人は少ない。おなかが痛むのは、相手が自分の射程圏内にいる「身近な誰か」だからだ。

 人と人との距離の近さを指す「정(チョン)(情)」ということばも、おなかの「痛み」と深く結びついている。喜びも心配も他人事にできない。そんな関係だからこそ、相手の幸運に自分が揺さぶられてしまうのだ。親しさゆえの副作用と言えるかもしれない。

 誰かの幸せを見ておなかが痛くなるとき、その痛みは純粋な悪意では説明しきれないはずだ。「どうしてあの人だけ」とすねる気持ちの裏側には、「あの人にはうまくやってほしい」と願ってきた時間の長さや、「自分もああなりたい」と思ってきた切実さが折り重なっている。

 「嫉妬」と「応援」。「悔しさ」と「誇らしさ」。相反する感情が同じ場所に押し込められているからこそ、「배가 아프다(ペガ アップダ)(おなかが痛い)」というひと言に、苦笑いとため息、そしてほんの少しの祝福が感じられるのだ。

「心の揺れ」としての嫉妬

 ドラマの翻訳をしていて「배가 아프다(ペガ アップダ)(おなかが痛い)」というひと言に出会うたびに、その人物がどんな痛みを抱えているのかを想像する。単なるねたみではなく、ことばにしにくい感情を、どうにかことばにしようとした結果出てきたのかもしれない。

 そう思うと、「いとこが土地を買うとおなかが痛くなる」ということわざで「嫉妬=悪」と理解するのは、間違っているように思う。相反する感情を「善か悪か」で無理に裁くことなく、混ざり合ったまま持ち運ぶための、柔らかい器のような役割――それが「おなかが痛い」ということばに込められているのではないだろうか。

 わが身を振り返ってみると、仕事や友人関係のなかで「おなかが痛い」瞬間は数え切れないほどあった。友人の成功を聞いて、素直に喜べない自分に気づいてしまったとき。その一方で、「それでもうまくいってほしい」と願っている自分が確かにいるとき。

 身近な誰かの成功にざわつくおなかは、冷たい心の証拠ではない。むしろ、相手を他人事と思えないほど関係を大事にしたいと思っていて、だからこそ生まれる心の揺れなのだ。そのことを、「배가 아프다(ペガ アップダ)(おなかが痛い)」ということばは教えてくれる。

プロフィール

金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。

タイトルデザイン:ウラシマ・リー