「今度、弟が初高座なの」あれから36年、伊集院光が落語に帰ってきた - 松田健次

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※この記事は2021年07月01日にBLOGOSで公開されたものです

伊集院光が落語に帰ってきた。

2021年6月13日(日曜)、有楽町よみうりホールで「三遊亭円楽 伊集院光 二人会」が昼夜公演で開催され、伊集院は昼夜で各一席ずつ約30年ぶりの落語を公式に口演した。(非公式?には、この二人会に向けて5月10日、横浜にぎわい座での三遊亭円楽独演会にシークレットで高座に上がり「厩火事」を披露している)

よみうりホールはキャパ1100席だが、緊急事態宣言下での開催となり収容人数は50%以下、つまり、昼夜合わせて1000席から1100席がMAXとなった。伊集院の落語復帰に特別な思いを抱く多くのファンにとって、その席数はとてもじゃないが足りておらず、チケットは発売開始後、秒で即完となった。

自分は夜の部に伺った。開演前の場内を見渡すと、このホールで開かれる数々の落語会に比べ客層が若い。いつもは60代がメインだが、この日は40代が中軸の年齢層に見えた。誰もがマスクで会話を控え、黙々と本番を待っている。静かなのに胸が騒ぐ。時計を何度も見てしまう。物販で購入したパンフレットは師弟の対談が掲載されていた。落ち着いて読めそうにない。公演後に取っておくことにしてバッグにしまう。

開演の定刻(17時30分)となり出囃子が鳴る。曲は「前座の上がり」だ。出演順がわかるプログラムは配布されていない。「前座の上がり」が鳴ったということは、開口一番で前座の誰かが高座に上がるのだろう、そう思った。出囃子に合わせて緞帳が上がり高座が姿を現す。高座は明るいえんじ色の毛せんに覆われ、その後ろにはよみうりホールおなじみの白い障子屏風が立ち、奥のホリゾントはブルーとグリーンが上下に染まっている。

前座の誰かは登場しなかった。下手袖から現れたのは三遊亭円楽、そして伊集院光だった。その姿を確認した観客の拍手は針が振り切れたかのように高まり、ちょっと聞いたことのない響音が耳を覆った。強くて大きいのに拍手の音が澄んでいる。ああそうだ、歓声がないんだ。みんな口をつぐみ、声を出さず、そのぶん手の平に力を込めている。高圧のシャワーで耳を包むような拍手からこの会は始まった。

17歳で三遊亭楽太郎に弟子入り

伊集院ファンには知られているが、伊集院光は17歳の時に三遊亭楽太郎(現・六代目三遊亭円楽)に弟子入り、1984年から1990年まで落語家として過ごした時代があった。芸名は三遊亭楽大。だが、途中から始めたもうひとつの顔「伊集院光」に専念する道を選び三遊亭楽大の名を返上した。師匠の一存でそれは落語との絶縁ではなく休業となり、師弟のつながりはそのままとされた。

その後、六代目円楽と伊集院光の間に流れた年月と、その時々の温度のようなものはわからない。近年、三遊亭円楽の体調の激変――肺がん(2018年)、脳腫瘍(2019年)、肺がんの再発(2019年)――があり、新型コロナという未曾有のパンデミックがもたらした何かがあり、かつて40代だった師匠は70代となっていて、20代だった弟子は50代になっていた。

そうして長い時を経て、2020年5月5日に放送された「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)が、この師弟の間を再び「落語」でつなぐ時間をもたらした。

コロナで最初の緊急事態宣言のさなか、円楽は電話収録で出演。コロナによって落語をする機会を失った現状を軸に、落語への思い、落語の魅力、自身の体調のことなどで円楽と伊集院がじっくりと語りあい、そのゲストコーナーの後半、番組アシスタントの竹内香苗がひとつの質問を投じた。

< 2020年5月5日放送「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)より >

竹内「落語と伊集院さんの関係って、これからどうなっていくのかなーって思ってる方もいるのかなあーと思うんですけど・・・」

円楽「だから前もうちで新年会か何かの時に言ったんだけど、風間杜夫さんも(落語を)やってくれてるしね。落語をやって上手い役者さんも昔からいっぱいいたし。(学生の)落語研究会出身の・・・、俺もそうだけど、そういう声優さん、山ちゃん(山寺宏一)みたいのもいるし。三宅(裕司)もいるし、ナベ(渡辺正行)もいるし。そういう人が集まって落語会ってのも面白いと思うよね、うん。そこへ伊集院も出てね・・・」

伊集院「あのう・・・、わたし伊集院と申しますけども・・・」

円楽「ああ、ご無沙汰しております(笑)」

伊集院「ご無沙汰してます(笑)。あの、仮にですけど 僕、落語やっていいんです?」

円楽「いいんだよ」

(中略)

円楽「・・・俺も戦後、落語に触れて好きになって噺家になって、その師匠たちに可愛がってもらって、いい時代にタイミングよく落語に出会ったと思ってるからね。・・・だからお前も(落語)やれよ」

伊集院「最後にすげー爆弾落としてきたな・・・。もし自分が稽古してきたら 聴いてくれますか?」

円楽「いいよいいよ・・・聴かなくたってわかるよ。(伊集院は落語を)やっていたし、聴いていている人は、できるできる、充分」

伊集院「じゃあどっかでやります。僕、落語やります。がんばってやりますので。それこそ(新真打の三遊亭)楽大クンの披露目のやり直しとかそういう機会でもあれば、一回、高座を」

円楽「チケットソールドアウトだね(笑)」

伊集院「だけど師匠が元気でいてくれないと。僕の立場から言うと、師匠が元気で『(落語)やっていい』っていうことがすべてだから」

円楽「じゃあこのコロナ騒動が終わって落ち着いたら、二人会やろう」

伊集院「怖ぇなあ~」

円楽「怖くないよ。俺わざと下手にやってやるから(笑)」

ちなみに、番組に出演オファーをかけたのは円楽サイドからだという。それを受けて、番組スタッフと竹内アナの間で事前に用意したのが「伊集院と落語の関係はどうなっていくのか?」という質問だったのだろう。その質問の行方は蓋を開けてみないとわからなかったが、伊集院がどういうスタンスで臨んでいたかは、伊集院自身の発言に込められているように聴こえた。

そして、弟子がひとつのハードルを越えようとしたら、師匠がハードルの高さを倍にしたのは、想定外だったと思う。ここから伊集院の30年ぶりの落語復帰、師匠円楽との二人会が具体化に向かっていった。

幕が上がったよみうりホール二人会

2021年6月13日、4度目の緊急事態宣言のさなか「三遊亭円楽 伊集院光 二人会」は実現した。昼公演のプログラムは、円楽・伊集院によるオープニングトーク、三遊亭一太郎「元犬」、伊集院光「厩火事」、仲入り(休憩)、ナイツ、三遊亭円楽「一文笛」。

夜公演のプログラムは円楽・伊集院によるオープニングトーク、三遊亭楽大「牛ほめ」、三遊亭円楽「行ったり来たり」、仲入り、爆笑問題の漫才があり、19時過ぎに夜の部トリを務める伊集院光の出番となった。

めくりは「伊集院光」。陽気な出囃子「金毘羅船々」にのって伊集院が高座へ向かう。着物と羽織は明るいグレーの銀鼠色。(着こなしているというよりは着られているようにも見えて、伊集院と落語の間に流れた年月を感じたりもした。)

迎えの拍手が鳴り響き、いよいよ・・・という期待の視線を集めながら伊集院が座布団に正座する。一礼して、高座が始まった――

(・・・なお、いつか同演目の高座があることも想定し、伊集院独自の演出については出来るだけネタバレにならぬよう記述しますが、先々真っ白な状態で伊集院光の高座に接したい方は、このあたりでここから離れて頂ければ・・・と思います)

――噺のマクラ(落語に入る前のトーク)は本編に向かう補助線として、江戸時代の通貨「一両」の価値についてと臨死体験についての解説だった。そういう雑学を端的にわかりやすく伝えるしゃべりは伊集院の十八番で、言葉を確かめるようにして話を運ぶいつもの口調が安堵をもたらす。早い段階で自身のフィールドに引き込むようだった。

と、こちら察するほど、伊集院はまだ走り出してなかったのかもしれない。マクラを終えて落語の本編に入る際、急にかしこまるように「噺を始めさせていただきます」と発した。いざ落語、いざ本編、というその瞬間、ここから一歩目を踏み出すことに戸惑うような、そんな語調だった。しゃべることに関して百戦錬磨に見える伊集院でも、こと「落語」は特別なのだという一瞬がそこから感じられ、ちょっとびっくりした。

伊集院が入った演目は「死神」だった。「死神」は明治時代に活躍し「落語の神様」と称される名人・三遊亭円朝がグリム童話を元に創作した落語で、今も多くの演者に手掛けられる大ネタだ。

円朝は三遊亭を含む「三遊派」の宗家であり、三遊亭でもある伊集院はその直系に位置する。落語の神様と伊集院が一体どういうつながりになるかと言うと――、三遊亭円朝の弟子(四代目円生)の弟子(四代目橘家円蔵)の弟子(六代目円生)の弟子(五代目円楽)の弟子(六代目円楽)の弟子が伊集院光だ。

その円朝から始まる演目ゆえ、「死神」という演目を選んだ意味は深さを帯びる。

伊集院の高座姿があらためて目に語りかける。銀鼠の着物も、煤竹の扇子も、この一席に合わせられていた。

夜の部トリでかけた「死神」とは

「死神」という落語は、伊集院の師匠の師匠の師匠にあたる六代目円生がその「型」を完成させた。その次世代(柳家小三治以降)は円生のフレームを踏襲し噺の精度をいかに高めるかで円生を仰いだ。その次々世代(立川志らくが筆頭か)は、寿命のロウソクを前にする最後の場面でサゲをどうアレンジするか、そこで個々の「死神」を競うような流れがあり今に至る。

この、サゲのアレンジは増えれば増えるほど「支流」感が広がり、逆に円生が築いた「本流」の強度を高めているようでもある。

現代の落語家で円生版「死神」を最も跳躍させているのは三遊亭白鳥だろう。古典の改作による新作落語で、ある夫婦と死神が出会い、ロウソクの洞窟から人類史にリーチが伸びて、神と人間の壮大な妄想ファンタジーに突き進む。

そして伊集院による「死神」――、噺の冒頭から舞台の構図を更新する独自のシーンで始まる。さらに「アジャラカモクレン~」という落語ファンには経典のような死神の呪文が「?」という方向に書き換えられる。噺が進む中で、ひとつ、ふたつ、みっつと気掛かりなフラグが残されていく。

だが、やがてそれらは伊集院が再構築する「死神」の中でクライマックスに向かい必然となっていく。

伊集院は若い頃からストーリーメーカーだ。ラジオパーソナリティーとしてニッポン放送の顔になり「伊集院光のOh!デカナイト」(1991~1995)を担当していた時代、「幸福(しあわせ)のツボ」というショートショートの短編集を出版している。イメージするアイドルとの甘いひと時を妄想で綴った一冊だが、当時これを読んだ時、この人はこんなにも完成度の高い「物語」「場面」を量産出来るのかとその才に驚いた。

妄想のスペシャリストで、ゲーマーで、100分de名著(Eテレ)のMCで、古今東西の物語に出会い続けてきた伊集院が、古典落語「死神」と対峙して見出した新解釈の一席は、「死神」という噺の芯を見つめ、登場人物たちを見つめ、行間を見つめ、「死神」の主題である「命」への思いを深めるエピソード1を加え、全体のフレームを再構築し、聴きごたえのある1時間弱の長講となった。

それが伊集院版「死神」だった。

すべて聴き終え、ああ、こんな「死神」もあるのか・・・と、新しい世界に触れた喜びで胸が高鳴った。

そして、伊集院が伊集院光になることなく、もし落語の道をずっと歩んでいたとしても、おそらくこういう落語を志向する落語家になり、それこそ現在の落語界を牽引する50代60代の猛者たちとしのぎを削っていたのだろうなと、落語ファン的妄想にひたった。

1985年9月10日 寄席「若竹」から始まった物語

この「三遊亭円楽 伊集院光 二人会」を機に、個人的に思い返す記憶があって、それはかれこれ36年前に遡る。

その年の夏、茶道研究会の会室でTさんが言った、――「今度、弟が初高座なの」。

その年というのは1985年で、自分は大学2年で、茶道研究会は所属していたサークルで、流派は表千家で、会室は大学敷地の隅にある木造のボロい長屋の一室で、Tさんは学年同期の女子で、Tさんの弟はこの前年(1984年)に三遊亭楽太郎に弟子入りしていた。

Tさんが続ける、――「若竹って知ってる? そこに出るんだって」。

僕は茶道研究会に籍を置きつつ落語研究会でもあった。茶研には落研の面々も常にうろついていて、Tさんの話に落研の連中はテンションを上げた。身近な知り合いの弟が本職の落語家となり初高座に上がる、めったにあることではないぞと。

寄席「若竹」は五代目・三遊亭円楽が私費と借金を投じて1985年春に開館。オープンしてまだ半年程だった。「若竹行ったことないから行こう! Tの弟を応援に行こう! 三遊亭楽大を応援に行こう!」、そんな感じだったと思う。

応援と言っても「お姉さんに聞いてやって来ましたー」と名乗るわけでも、楽屋に差し入れをするわけでもなく、ぞろぞろと出かけて客席を少しでも埋めよう、若竹も見てみたいし、という感じだった。こちらの話はおそらく楽大からしたら知る由もなかっただろう。

1985年9月10日――、大学の講義をフケた落研の面々5~6名で江東区東陽町の寄席「若竹」に出かけた。楽大は平日の昼席で高座に上がるという。Tさんは「弟が嫌がるから」と身内対応でメンバーには加わらなかった。

若竹のちょっとタテに長い客席は150席ほど。前のほうに大人が20人ぐらい座っていたと思う。僕らは中ほどの席に思い思いに散らばり、開口一番で登場した楽大の高座を見た。大柄な楽大は座布団を覆うようにどっしりと座り、こんなマクラを話した。

『ええ、自分はですね、昔から親にこう言われて育ちました、「いいかい、大人になったらくれぐれも、人様に笑われるような仕事だけはするんじゃないよ」。で、今、落語家でございます。』

前のほうの大人たちがウケていた。僕らも笑った。この「人様に笑われることだけはするな」という自虐フレーズは落語界隈でよく使われていた定番で、おそらく稽古で教わってしゃべったのだと思われる。だが、こういう定番を言って誰でもウケるわけではない。しゃべりの素養が左右するものだ。

楽大がウケたのは、初高座には似つかわしくない、落ち着いた、肝の据わった、そんな話しぶりで、妙に堂々としていたからだ。

落語は『釜どろ』だった。間抜けなどろぼうが出てくるおなじみの一席だ。体型と関係があるのかわからないが声はよく通っていて、焦って浮ついたり、言葉に詰まったり、緊張で上がる様子も無く、前座らしく教わったどおりの一席を務め、前座らしく控えめにウケて、ハケていった。

初々しくもあったけど、初々しくない、そんな印象だったっけ。

翌日あたりに茶研の会室で、楽大の高座を見てきた数人でTさんに感想を伝えた。「なんか堂々としてたぞ、ウケてたぞ、初めてであれは見事だ、逆に可愛げがない」とかナントカ・・・。

三遊亭楽大の初高座を若竹で見た、その記憶は鮮やかにあり続けている。その後ほどなく、彼が伊集院光として活躍を始めたことで、「そういえば」と思い出す機会が度々あったからだろう。

「落語に接してください、好きになってください」

二人会用に制作された物販アイテム「特別対談冊子」で六代目円楽は「入口が伊集院でも誰でもいいから、落語っていうものにライブで接して惚れてください、好きになってください」と唱えている。この先、伊集院がどれぐらいの頻度で落語に関わるのかはわからないが、伊集院がきっかけで落語への興味を持つ人が増えることは落語全体にとってとても望ましいことだ。

これは伊集院自身も発していたが、こうして様々なプロセスを重ねて実現した二人会を終え、それこそほぼ初めて落語に接するような観客もそれなりにいる「入口」の役割を担い、その結果、真っ先に株を上げていたのが円楽だった・・・というのが可笑しかった。

夜公演での円楽は「行ったり来たり」を口演。これが演者自身と噺が妙にシンクロして、三遊亭円楽という人の延長上にその落語があるようで、ニンに合う、とでもいうのか出色の高座だった。

伊集院光が落語に帰ってきて、30年ぶりにその扉を開け、精魂そそいで召喚した「死神」は、こっちだけでなくそっちにもいたという・・・? さらに米津玄師も?