「高校生投手5人」が1位指名されるも鳴かず飛ばず…1984年ドラフト会議で出世頭になった「打者の名前」
プロ野球史上最大のミステリー「KKドラフト」から41年、いま初めて明らかになる物語――。あのとき、球界に渦巻く虚々実々に翻弄されたのは桑田真澄と清原和博だけではなかった。脚光を浴びた2人の周縁で、誰が動き、誰の運命が書き換えられたのか。本当の主役は誰だったのか。
連載『1985 英雄たちのドラフト』
第5回「1984年のドラフト会議」(前編)
「超高校級」と評判だった投手
現在は10月上旬に行われているプロ野球新人選手選択会議(ドラフト会議)だが「以前のように11月下旬の開催に戻してもらいたい」と願っているのは筆者だけだろうか。
日本シリーズを直前に控え、慌ただしい10月上旬より、深々と静寂に包まれた晩秋だからこそ、これまで幾多のドラマを生んできたと信じているからだ。
1984年11月20日、九段下のホテルグランドパレス(現在は閉館)にてプロ野球ドラフト会議が開かれた。
この年は竹田光訓、広沢克己の明大投打の両輪を筆頭に、「大型左腕」の呼び声の高い都城高校のエース・田口竜二、「超高校級投手」と評判の箕島高校の嶋田章弘、青学のエースとして84年春季リーグ優勝に導いた小川博、サイドスローの本格派である近大のエース・佐々木修と「即戦力投手」の逸材が目立った。
PL学園を破って夏の甲子園を制した取手二高のエース・石田文樹と、主将の吉田剛にも注目が集まっていたが、2週間前に「プロ拒否、早大進学」を表明した石田に対して、各球団のスカウトは指名を回避する方向で固まりつつあった。対照的に、早い段階から西武ライオンズが接触していた吉田剛には、他球団も触手を伸ばすようになっていた。
「走、攻、守のバランスがとれた好選手。弓岡タイプの、いい内野手になるんじゃないかな。野球センスが実にいいよ」(当時、阪急ブレーブスの編成部長の藤井道夫のコメント/『週刊ベースボール』1984年8月20日号)
ドラフト会議当日を迎えた。1巡目は抽選が続き、巨人、中日、大洋(現・横浜DeNA)が竹田光訓、ヤクルト、西武、日本ハムが広沢克己、広島と阪神が嶋田章弘、近鉄(現・オリックス)、南海(現・福岡ソフトバンク)が佐々木修をそれぞれ指名、竹田は大洋、広沢はヤクルト、嶋田は阪神、佐々木は近鉄が交渉権を引き当てた。
抽選を外した各球団の外れ1位は以下の通り。巨人→上田和明(内野手/慶応大)、中日→中村武志(捕手/花園高)、広島→杉本正志(投手/箕島高校)、西武→大久保博元(捕手/水戸商)、日本ハム→河野博文(投手/駒沢大)、南海→田口竜二(投手/都城高)。田口は前評判ほど、実際の評価が高くなかったことがわかる。
ヤクルトの主軸打者として2度の優勝に貢献
抽選に加わらなかったロッテは、速球が持ち味の佐波農(群馬)の笠原栄一、阪急(現・オリックス)は豊川高校(愛知)の白井孝幸と、いずれも隠し玉と言うべき高校生投手を単独指名している。
「12球団もある中で、2番目に好きな球団に入れるんだから喜ばなくちゃ。巨人戦に投げる喜びもあるし、星野仙一さんのように燃える投手になりたい」(竹田光訓のコメント/『日刊スポーツ』1984年11月21日付)
「竹田と同じリーグだし、二人で新人王を争いたい。契約金も竹田に負けないようにもらいたい」(広沢克己のコメント/同)
「1指名とは予想外だった。中日には尊敬する中尾さんもいるし、うれしい。投手に安心感を与えられるような捕手になりたい」(中村武志のコメント/同)
「西武は希望通り。しっかりした球団だし、若手でもいい選手なら使ってくれる。田渕さんのような選手になりたい。背番号? 出来ることなら22番がいいですね」(大久保博元のコメント/同)
「僕のように甲子園に出てない投手を1位指名してくれるとは……。プロでやってみたい気持ちです」(白井孝幸のコメント/同)
「南海は意中の球団のひとつで光栄です。先輩(井上祐二)もいて心強い。社会人(日産自動車)に入るか、プロの道を選ぶか、今のところ気持ちは半々です」(田口竜二のコメント/同)
12球団中、高校生投手が5人も1位指名された1984年のドラフト会議だが、プロで勝利を挙げたのは阪急に1位指名された白井孝幸の1勝のみ。「超高校級」の嶋田章弘も、「大型左腕」の田口竜二も1勝も挙げられず早い段階で現役を退き、揃って球団スタッフに転じている。
この年のドラフト1位の出世頭は広沢克己ということになろう。ヤクルトの主軸打者として2度の優勝に貢献、請われて巨人にFA移籍、最後は阪神に在籍するなど、18年にわたり球界を代表するスラッガーの一人に名を列ねた。広沢と対照的に、竹田光訓は期待通りの活躍が出来ず、1勝のみでマウンドから去った。
中村武志は中日の正捕手として長く活躍し、大久保博元は巨人移籍後の1992年にブレイク、一時は4番を任されてもいる。河野博文も日本ハムのローテーションを担ったのち、FAで巨人移籍後は、リリーフ、中継ぎにフル稼働している。
一方、取手二高の石田文樹、吉田剛は1巡目の指名は見送られた。
【つづきを読む】引退後「借金の無心」で強盗殺人を犯した青学のエース、明治大学の練習を見学して「プロ入り」を決めた取手二高の主将…1984年ドラフト2位の面々
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