135キロの巨体が私の軽トラに咬みついた…クマに9回襲われた研究家が目撃した「クマを困らす意外な天敵」

■135キロの巨体がドラム缶を壊し車を襲う
私が国内で捕まえたツキノワグマの中で最大のものは、じつに135キログラムだった。1994年の夏は酷暑で西中国山地の高原部の町ではクマの出没が多く、人びとの間では「クマが避暑に来た」と言われていた。
8月31日、養蜂場で捕まった135キログラムのオスグマを移動用のドラム缶檻に押し込み、軽トラで山奥へ運んだ。中でクマが動くとドラム缶が膨らんだり縮んだりして、溶接部分がぺきぺきと割れた。放獣地点に着いたあと、地面に檻を転がり落としたら衝撃で檻の溶接箇所が割れた。歪んだ入口が抜けなくなり、軽トラで引こうと30メートルのロープを取りつけて端を軽トラの荷台に縛りつけた。
ロープを引くと、缶一杯に詰まっていたクマは破裂したように中から出る。「ガッフーン」とほえ中腰で立つと、両前足で空中を、あたかも敵がいるかのように鋭く搔いた。体中の筋肉がぶよんぶよんと波打ち、耳を寝せている。
軽トラを発進させると、縛ってあるロープの先の鉄板が跳ねて、がらがらと音を立てた。怒ったクマは怒濤(どとう)のように押し寄せてきた。右の前車輪ががたんと舗装から脱輪し、ぬかるみにハマってしまった。慌ててバックした途端、クマは軽トラに追いつき右のブレーキランプを叩き割って咬みついた。
1メートルバックするとクマの下半身が車体の下に入ったらしく、床下を足の爪で搔く音がした。荷台にクマが半身乗りかかってきた。ギアを前進に入れてスピードを上げると、クマは手を離していったん大きく山に逃げ込み、また軽トラを襲って来たので、山道では危険なほどのスピードで逃げた。
オスグマは激しくほえ続け、軽トラはなんとも頼りなく走る。缶の入口の鉄板ががらがらと賑やかに騒いで、私を笑っているようだった。オスグマには驚くべき攻撃性があることを思い知らされたのである。

■絶壁の尾根で待ち構えていたメスグマの急襲
「アラレ」と名づけたメスグマは、最初に追跡した1983年当時はまだ3歳だった。越冬場所をしばしば変えるので探すのに振り回されたが、最終的には天然杉が途中で折れた空洞の中にいた。それが1988年に再捕獲されたときには80キログラムもの大グマになっていて、発信機を交換して追跡していたが、行動する範囲は1983年当時とそれほど違わなかった。
メスグマは定着性が極めて強いのだ。1989年4月15日に基幹林道の崖の上50メートルで越冬しているのがわかったので、私は接近してみた。ブドウやマタタビのツルに足を取られて難儀し、絶壁を登りきり尾根に着いて立った途端、目の前4メートルをアラレの体全体が覆った。
越冬穴から出て、我々が来るのを見て待っていたのだ。私の後ろには同行者がいて、さらに後ろは崖だ。アラレは黄色く汚れた牙をひけらかして、突進してきた。私がクマ撃退スプレーのレバーを押すとアラレは「ギャっ」と叫び、顔を手で擦りながら右手側の崖を転げ落ちていった。
もしアラレと一緒に崖を転落していたら、髭面の男2人とクマは春の花園に川の字に寝て、骸(むくろ)の眼の孔から赤い花が芽吹いただろう。アラレは出産していなかった。出産していないメスグマは接近者を襲ってくることを確認した一例になった。
■鋭い爪も「飛ぶ敵」には効果がない
夏の山には大型アブのウシアブが大量にいて、酪農家のウシを襲い、クマに取りつき、私の観察をも邪魔する。大きさはスズメバチと同じくらいで姿がそっくりだが、慣れると判別がつくようになり、背中から指でつまんで外に出している。
ウシアブの半分ほどで白いサシバエは噛まれると強い痛みと、続いて痒みが襲ってきて、私にとってはこのほうが脅威だ。夏になるとクマたちはアブに悩まされていて、とくに肌が露出している耳の縁を噛まれ続けるので耳搔きに励んでいる。
そのとき、普段は折りたたんで隠している鋭い爪を繰り出す。5センチメートルもある爪は刃物と同じく鋼色に光る。しかしアブには何の脅しにもならず、クマは堪らず耳を振って追い払うしか方法がない。

■クマ襲撃事件の悲劇を物語るボロボロの車
サシバエで私は恐ろしい思いをしたことがある。十和利山(とわりさん)クマ襲撃事件での犠牲者4人のうちの1人は私の遠縁にあたり、取材を兼ねてその男の兄を見舞った。食害された遺体の状況をひととおり聴取したなかで、弟が事故当日に乗っていったパジェロミニの話になり、「弟の車に身内で乗る者がいなくて、近くの買取センターに置いてあるが5万円でも売れない」と話していた。
私はこの事件の取材用に軽の四駆車を探していて、それを見に行った。駐車場に並んでいる車両は低額のものばかりだ。その車の後部ハッチや運転席のドアは錆びて穴が開いているが、この車ならもう少し高いものだ。そのとき周りが急に暗くなり、車体の緑色が闇に溶け込んだように感じた。私はハッチの錆び穴に指を入れて「もしや開くかな」と力を入れた。
途端に腕に激痛が貫いて左手で右腕を叩いた。腕の上でサシバエが潰れて、次いでスポンジのように膨れてアスファルトの上に落ちた。痛みはクロスズメバチ以上だった。遺体の惨状を聞いたばかりだったので背筋に冷感が走った。
「市街地にサシバエが……きっと弟さんは、私にこの車を買ってほしくないんだ」
1カ月後には3万円まで値が下がり、さらに2カ月後に車は消えていた。
■アドレナリンを充満させ「ふおっ」とうなる
2008年夏から、山奥の観察地点に瘦せたメスグマが来るようになった。そのクマは、ひと時も動きを止めることなく小刻みに体を動かしていた。8月20日、そのメスグマが奇妙な動きをした。私の右手15メートルの所へぱたぱたと急ぎ足で来て、チベット仏教での「五体投地」のように地面に体を投げ出したのだ。

両前足をまっすぐに伸ばして腕の上に頭を乗せ、先を10数秒間じっと見続けると、おもむろに立ち上がって右手のほうへ駆け去った。何か行動を起こす前の類型的な動きに思えた。視線の先は広く平らな沢から続く、緩い斜面へ登る際だ。
8月28日と9月4日・10日にも瘦せグマは見回しては帰った。14日、この日も同じ動作をしたと思ったら、伏せたまま右前足を極限まで伸ばして地面を掘り始めたが、4メートル先のクマは近過ぎてビデオカメラを回せない。
ついにクマの心にアドレナリンが充満したようだ。「ふおっ、ふおっ」とうなり続けながら右手で地面を搔いた。体を平らにして右手で地面を搔いている、どうしたことか左手の掌で鼻先を覆い、うなり声を上げる。
■クロスズメバチ30匹vsツキノワグマ
「わっ」とクロスズメバチが30匹ほど舞い上がった。クマは鼻先・顔を両手で強く撫で回し、後ろへ、でんぐり返って体を横転させながら逃げた。クマが体を横転させて移動するのは初めて見た。クロスズメバチの巣から10メートルほど離れても、ひーひーと悲鳴を上げながら、体中を搔き続けた。

そんな目にあってもクマは10分ほどで再攻撃にかかり、体を平らにして匍匐(ほふく)前進するのだが、そのとき露出している鼻鏡を左の掌で覆った。ツキノワグマはハチに刺されないように、最初から掌で自分の鼻鏡を覆って防ぐわけだ。北極圏に棲むシロクマも、アザラシを襲うとき黒い鼻鏡を左の掌で隠して匍匐前進するそうだ。
クロスズメバチにまたもや撃退され七転八倒して痛がっていたが、ブナの木にもたれ、お座りして巣のほうをうかがっている。すると、小走りで巣に駆け寄り、クロスズメバチの巣穴を掘り始めた。
今度は明確に掘り出すらしく、笹や木の根を爪でぶちぶちと断ち切る音が響く。
■幼虫が増えるのを待って巣を襲った
クロスズメバチの白い巣の塊を瘦せグマは口にくわえて20メートルほど逃げ、こちらに背を向けて地面に座ると、ハチの幼虫を食い始めた。さくさく、ぱさぱさと秘めた音がする。
2分ほどで食い終わり巣のほうに目を向けたが諦めて、25メートルほど先のブナの大木の根本に仰向けにすとんと寝転がった。そして天に向かって両手をくねらせ、手踊りを始めた。合わせて首をゆっくりと左右に振ると、クマは恍惚とした表情で天を見透かした。踊りが終わって立つと、頭を垂れて溜息を漏らした。

瘦せグマは8月20日にはクロスズメバチの存在に気がついていながら、実際に採食したのは9月14日だった。あの場所で五体投地が始まったのは夏の終わりだった。クマはクロスズメバチの巣が大きくなるのを待っていたようだ。クロスズメバチの活発な巣への出入りから、内部にいる幼虫の量がわかるようだ。
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米田 一彦(まいた・かずひこ)
NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長
1948年青森県十和田市生まれ。秋田大学教育学部卒業。秋田県庁生活環境部自然保護課勤務。86年に退職し、フリーの熊研究家となる。多数の助成により国内外で熊に関わる研究・活動を行う。島根、山口、鳥取県からの委託によりツキノワグマの生息状況調査(00〜04年)のほか、環境省の下でも調査を行ってきた。十和田市民文化賞受賞(98年)。日本・毎日新聞社/韓国・朝鮮日報社共催「第14回日韓国際環境賞」受賞(08年)。主な著作に『熊が人を襲うとき』(つり人社)、『山でクマに会う方法』(ヤマケイ文庫)、『クマ追い犬 タロ』(小峰書店)、『クマを追う』(丸善出版)、『絵本 おいだらやまの くま』(福音館書店)ほか多数。◎日本ツキノワグマ研究所
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(NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長 米田 一彦)
