「であれば宮部殿、どうか我らに」近江支配のキーマンの調略に視聴者最注目『豊臣兄弟!』第16話画面注視データを分析
●「織田信長は好かぬ。じゃが朝倉義景はもっと好かぬ」
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、4月26日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00〜 ほか)の第16話「覚悟の比叡山」の視聴分析をまとめた。

(手前左から)ドンペイ、仲野太賀、池松壮亮=『豊臣兄弟!』第16話より (C)NHK
○「お手前のお子をわしに下され」
最も注目されたのは20時08分で、注目度79.6%。小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)が宮部継潤(ドンペイ)を調略するシーンだ。
近江・宮部村の寺には、継潤の読経の声が静かに響いていた。先の姉川の戦いで散った家来を自ら弔っているのだ。読経が終わったころ、みすぼらしい身なりの百姓が2人、継潤のもとへ現れた。「宮部村の百姓でごぜえます」「殿様にどうしても聞いてもらいてえ訴えがあって参りました」百姓に扮した小一郎と藤吉郎だった。継潤の家臣は怪しい風体の2人を追い払おうとするが、2人は継潤に話があると引き下がらない。しびれを切らした家臣が刀に手をかけると、継潤は「待て」と制した。
別室に通された2人は継潤と対面する。「下手な芝居はもうよい。この村にそんなしゃべり方のやつはおらんわ。お主のことは戦場で見覚えがある。織田家侍大将、木下殿」継潤はすでに2人の正体を見破っていた。「なぜわしがこの寺に来ると分かった?」その問いかけに小一郎が元比叡山の僧兵だった継潤ならば、命を落とした家来を必ず供養するだろうと答えた。続いて藤吉郎が口を開く。織田信長は準備が整い次第、再び浅井を攻めるつもりであり、その時にはもはや浅井に勝ち目はない。どうか織田に味方してほしいと。
2人の言葉を聞いた継潤は立ち上がり、「わしは迷うておる。織田信長は好かぬ。じゃが朝倉義景(鶴見辰吾)はもっと好かぬ」と胸の内を明かした。継潤は姉川の戦いでも一乗谷にこもったまま、前線に出てこなかった義景に強い不信感を抱いていた。「それに比べて、お手前方は命懸けでこのわしを説き伏せに来られた」継潤の言葉に「であれば宮部殿、どうか我らに」と、小一郎と藤吉郎は深く頭を下げる。
「お手前のお子をわしに下され。それほどの覚悟を見せていただけるならばこのわしも織田にお味方いたそう」継潤は内応の条件として人質を求めた。子がないと言う藤吉郎に「では近しい身内の子で構わぬ」と継潤は歩み寄るが、兄弟の身内には当てはまる子どもは1人しかいない。小一郎と藤吉郎は重い決断を迫られることとなった。

『豊臣兄弟!』第16話の毎分注視データ推移
○「実直な人物だから小一郎と藤吉郎の言葉が届いたんだな」
このシーンは、小一郎たちが近江支配のキーマンである宮部継潤を調略する様子に、視聴者の注目が集まったと考えられる。
姉川の戦いを生き延びた小一郎と藤吉郎だったが、次の任務として宮部城主・宮部継潤の調略を命じられた。調略に成功すれば小谷城への道を阻むものはなくなる。すでに竹中半兵衛(菅田将暉)が密かに書状を送り、寝返るように持ちかけていたが、反応はない。そこで小一郎と藤吉郎は小細工をせず、直接継潤に会うことにした。
SNSでは「大物ぶっていた朝倉義景だけど、求心力は全然なかったんだな」「家来を自分で弔う実直な人物だから小一郎と藤吉郎の言葉が届いたんだな」「戦国の世の常だけど、人質は百姓上がりの家族には辛いだろうな」といったコメントが寄せられている。
継潤の居城・宮部城は近江国北部に築かれた平城だった。もともとは浅井氏の勢力圏に含まれていたが、1573(天正元)年の浅井氏滅亡後に織田方の城として再編される。琵琶湖東岸の交通路を押さえる位置にあり地域支配と軍事の両面で重要な役割を担った。のちに信長が城の改修を命じ、堀を掘り五百川の水を引き入れて要害化したことが記録に残っている。
●森可成(水橋研二)、討死する
今回は1570(元亀元)年から1571(元亀2)年の様子が描かれた。以下で最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。
まずは宇佐山城の戦いで可成が討死するシーンが挙げられる。比叡山・延暦寺に身を寄せた浅井長政(中島歩)と朝倉義景。天台座主・覚恕(黒田大輔)の助力を得て宇佐山城へ奇襲をかける。可成は奮戦するが、多勢に押され討たれる。激高した信長は比叡山を取り囲むが、戦線は膠着し第十五代将軍・足利義昭(尾上右近)の働きかけで和睦となった。
SNSでは「信長のブチ切れるシーン、珍しくなくなったな。それだけ可成は信頼していたんだな」「ついに序盤から仕えていた家臣の中から死亡者が出てしまったか」と可成の死を惜しむ声が集まった。
宇佐山城の戦いは、織田軍の勢力は約1千、浅井・朝倉連合軍には六角軍も加わり約3万という大軍だった。可成は力を尽くしたが勢力差は覆せず討たれた。このとき、19歳の長男・森可隆も供に討たれ、森家の家督はわずか13歳の次男・森長可が継ぐことになる。可成の父・森可行は美濃の国人で、当初は守護大名である土岐氏に仕えていた。斎藤道三(麿赤兒)が土岐頼芸を追放し美濃を納めると可行は美濃を離れ、尾張で信長の父・織田信秀に仕えた。可成に家督を譲ったあとは隠居しており、可成が討死した翌年1571(元亀2)年に後を追うように亡くなった。
また、史実では宇佐山城の戦いで信長の弟・織田信治も参戦していたがやはり討死している。尾張野府城主で市(宮崎あおい)の兄にあたり、子の柘植正俊は豊臣秀吉に仕えるようになる。しかし関ヶ原の戦いでは徳川家康に従った。子孫は旗本として幕末まで存続することになる。
○小一郎、とも(宮澤エマ)を説得する
次に万丸(小時田咲空)を宮部継潤の養子に出すように小一郎が姉・ともを説得するシーンが挙げられる。愛息・万丸を手放すことを断固拒否するともに、小一郎はくだけた話し方ではなく武士としての言葉で語りかけた。すでに自分たちは百姓ではなく侍であり、守られる側ではなく守る側になったと懸命に説得する小一郎に弥助(上川周作)も同意する。最後はともも涙ながらに承知した。
SNSでは「宮部さんがちゃんと万丸を面倒見てくれて、両親にも誠実に対応してくれる人だったのが救いだったね」「親としてはつらいなあ。でもともさんも侍の嫁なんだよね」と、ともへの同情の投稿が寄せられた。
宮澤エマは2022年『鎌倉殿の13人』で小栗旬演じる北条義時の妹・実衣を演じている。実衣も運命に翻弄され、様々な苦難に見舞われたこともあり、「大河は宮澤エマさんへの扱いがひどいな」「今回も小栗旬さんが原因で曇らされてるじゃないですか!」といったコメントも見られた。


(C)NHK
○明智光秀(要潤)、信長と義昭の間で揺れる
最後に信長と義昭の間で揺れる光秀が挙げられる。義昭のスパイとして信長の家臣となった光秀だったが、信長は光秀に疑いの目を向ける。そこで信長は光秀の忠誠を試そうと比叡山焼き討ちを命じた。女子供を救うために初めて信長の命に背いた藤吉郎とは対照的に、光秀は信長の命令を忠実に実行し、女子供もまとめてなで斬りにする。これにより義昭からは叱責を受けるが、信長からは恩賞として近江志賀郡を与えられ築城も許された。新参でありながら、織田家中で初の城持ち大名となった光秀。この破格の扱いによって信長と光秀の関係は大きく変わりそうだ。
SNSでは「公方様の言い方が悪いよ。よくやったの一言さえあればもうちょっとどうにかなったかもしれないのになぁ」「期待に応えたこともあるんだろうけど、信長って想像以上に光秀を買ってるんだな」と、光秀に対する信長と義昭の接し方が話題になった。
きょう3日に放送される第17話「小谷落城」では、遠江へ進軍してきた武田信玄(高嶋政伸)と徳川家康(松下洸平)が三方ヶ原で激突し、家康は大敗を喫する。さらに第十五代将軍・足利義昭が織田信長に対して挙兵するが、武田軍は撤退。窮地を脱した信長は、再び浅井長政の籠もる小谷城を攻める。

(C)NHK

REVISIO 独自開発した人体認識センサー搭載の調査機器を一般家庭のテレビに設置し、「テレビの前にいる人は誰で、その人が画面をきちんと見ているか」がわかる視聴データを取得。広告主・広告会社・放送局など国内累計200社以上のクライアントに視聴分析サービスを提供している。本記事で使用した指標「注目度」は、テレビの前にいる人のうち、画面に視線を向けていた人の割合を表したもので、シーンにくぎづけになっている度合いを示す。 この著者の記事一覧はこちら
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、4月26日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00〜 ほか)の第16話「覚悟の比叡山」の視聴分析をまとめた。

○「お手前のお子をわしに下され」
近江・宮部村の寺には、継潤の読経の声が静かに響いていた。先の姉川の戦いで散った家来を自ら弔っているのだ。読経が終わったころ、みすぼらしい身なりの百姓が2人、継潤のもとへ現れた。「宮部村の百姓でごぜえます」「殿様にどうしても聞いてもらいてえ訴えがあって参りました」百姓に扮した小一郎と藤吉郎だった。継潤の家臣は怪しい風体の2人を追い払おうとするが、2人は継潤に話があると引き下がらない。しびれを切らした家臣が刀に手をかけると、継潤は「待て」と制した。
別室に通された2人は継潤と対面する。「下手な芝居はもうよい。この村にそんなしゃべり方のやつはおらんわ。お主のことは戦場で見覚えがある。織田家侍大将、木下殿」継潤はすでに2人の正体を見破っていた。「なぜわしがこの寺に来ると分かった?」その問いかけに小一郎が元比叡山の僧兵だった継潤ならば、命を落とした家来を必ず供養するだろうと答えた。続いて藤吉郎が口を開く。織田信長は準備が整い次第、再び浅井を攻めるつもりであり、その時にはもはや浅井に勝ち目はない。どうか織田に味方してほしいと。
2人の言葉を聞いた継潤は立ち上がり、「わしは迷うておる。織田信長は好かぬ。じゃが朝倉義景(鶴見辰吾)はもっと好かぬ」と胸の内を明かした。継潤は姉川の戦いでも一乗谷にこもったまま、前線に出てこなかった義景に強い不信感を抱いていた。「それに比べて、お手前方は命懸けでこのわしを説き伏せに来られた」継潤の言葉に「であれば宮部殿、どうか我らに」と、小一郎と藤吉郎は深く頭を下げる。
「お手前のお子をわしに下され。それほどの覚悟を見せていただけるならばこのわしも織田にお味方いたそう」継潤は内応の条件として人質を求めた。子がないと言う藤吉郎に「では近しい身内の子で構わぬ」と継潤は歩み寄るが、兄弟の身内には当てはまる子どもは1人しかいない。小一郎と藤吉郎は重い決断を迫られることとなった。

○「実直な人物だから小一郎と藤吉郎の言葉が届いたんだな」
このシーンは、小一郎たちが近江支配のキーマンである宮部継潤を調略する様子に、視聴者の注目が集まったと考えられる。
姉川の戦いを生き延びた小一郎と藤吉郎だったが、次の任務として宮部城主・宮部継潤の調略を命じられた。調略に成功すれば小谷城への道を阻むものはなくなる。すでに竹中半兵衛(菅田将暉)が密かに書状を送り、寝返るように持ちかけていたが、反応はない。そこで小一郎と藤吉郎は小細工をせず、直接継潤に会うことにした。
SNSでは「大物ぶっていた朝倉義景だけど、求心力は全然なかったんだな」「家来を自分で弔う実直な人物だから小一郎と藤吉郎の言葉が届いたんだな」「戦国の世の常だけど、人質は百姓上がりの家族には辛いだろうな」といったコメントが寄せられている。
継潤の居城・宮部城は近江国北部に築かれた平城だった。もともとは浅井氏の勢力圏に含まれていたが、1573(天正元)年の浅井氏滅亡後に織田方の城として再編される。琵琶湖東岸の交通路を押さえる位置にあり地域支配と軍事の両面で重要な役割を担った。のちに信長が城の改修を命じ、堀を掘り五百川の水を引き入れて要害化したことが記録に残っている。
●森可成(水橋研二)、討死する
今回は1570(元亀元)年から1571(元亀2)年の様子が描かれた。以下で最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。
まずは宇佐山城の戦いで可成が討死するシーンが挙げられる。比叡山・延暦寺に身を寄せた浅井長政(中島歩)と朝倉義景。天台座主・覚恕(黒田大輔)の助力を得て宇佐山城へ奇襲をかける。可成は奮戦するが、多勢に押され討たれる。激高した信長は比叡山を取り囲むが、戦線は膠着し第十五代将軍・足利義昭(尾上右近)の働きかけで和睦となった。
SNSでは「信長のブチ切れるシーン、珍しくなくなったな。それだけ可成は信頼していたんだな」「ついに序盤から仕えていた家臣の中から死亡者が出てしまったか」と可成の死を惜しむ声が集まった。
宇佐山城の戦いは、織田軍の勢力は約1千、浅井・朝倉連合軍には六角軍も加わり約3万という大軍だった。可成は力を尽くしたが勢力差は覆せず討たれた。このとき、19歳の長男・森可隆も供に討たれ、森家の家督はわずか13歳の次男・森長可が継ぐことになる。可成の父・森可行は美濃の国人で、当初は守護大名である土岐氏に仕えていた。斎藤道三(麿赤兒)が土岐頼芸を追放し美濃を納めると可行は美濃を離れ、尾張で信長の父・織田信秀に仕えた。可成に家督を譲ったあとは隠居しており、可成が討死した翌年1571(元亀2)年に後を追うように亡くなった。
また、史実では宇佐山城の戦いで信長の弟・織田信治も参戦していたがやはり討死している。尾張野府城主で市(宮崎あおい)の兄にあたり、子の柘植正俊は豊臣秀吉に仕えるようになる。しかし関ヶ原の戦いでは徳川家康に従った。子孫は旗本として幕末まで存続することになる。
○小一郎、とも(宮澤エマ)を説得する
次に万丸(小時田咲空)を宮部継潤の養子に出すように小一郎が姉・ともを説得するシーンが挙げられる。愛息・万丸を手放すことを断固拒否するともに、小一郎はくだけた話し方ではなく武士としての言葉で語りかけた。すでに自分たちは百姓ではなく侍であり、守られる側ではなく守る側になったと懸命に説得する小一郎に弥助(上川周作)も同意する。最後はともも涙ながらに承知した。
SNSでは「宮部さんがちゃんと万丸を面倒見てくれて、両親にも誠実に対応してくれる人だったのが救いだったね」「親としてはつらいなあ。でもともさんも侍の嫁なんだよね」と、ともへの同情の投稿が寄せられた。
宮澤エマは2022年『鎌倉殿の13人』で小栗旬演じる北条義時の妹・実衣を演じている。実衣も運命に翻弄され、様々な苦難に見舞われたこともあり、「大河は宮澤エマさんへの扱いがひどいな」「今回も小栗旬さんが原因で曇らされてるじゃないですか!」といったコメントも見られた。


(C)NHK
○明智光秀(要潤)、信長と義昭の間で揺れる
最後に信長と義昭の間で揺れる光秀が挙げられる。義昭のスパイとして信長の家臣となった光秀だったが、信長は光秀に疑いの目を向ける。そこで信長は光秀の忠誠を試そうと比叡山焼き討ちを命じた。女子供を救うために初めて信長の命に背いた藤吉郎とは対照的に、光秀は信長の命令を忠実に実行し、女子供もまとめてなで斬りにする。これにより義昭からは叱責を受けるが、信長からは恩賞として近江志賀郡を与えられ築城も許された。新参でありながら、織田家中で初の城持ち大名となった光秀。この破格の扱いによって信長と光秀の関係は大きく変わりそうだ。
SNSでは「公方様の言い方が悪いよ。よくやったの一言さえあればもうちょっとどうにかなったかもしれないのになぁ」「期待に応えたこともあるんだろうけど、信長って想像以上に光秀を買ってるんだな」と、光秀に対する信長と義昭の接し方が話題になった。
きょう3日に放送される第17話「小谷落城」では、遠江へ進軍してきた武田信玄(高嶋政伸)と徳川家康(松下洸平)が三方ヶ原で激突し、家康は大敗を喫する。さらに第十五代将軍・足利義昭が織田信長に対して挙兵するが、武田軍は撤退。窮地を脱した信長は、再び浅井長政の籠もる小谷城を攻める。


