「両陛下も心配しておられる」

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 宮内庁長官の異例の発言が波紋を広げた2008年。当時、療養中の皇太子妃とその家族には、なぜ公然と批判が向けられていたのか。

 いま振り返ると見えてくる、平成という時代特有の“空気”を、ジャーナリスト・大木賢一氏の著書『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)


平成という時代特有の“空気”とは? ©getty

宮内庁長官突然の「苦言」

 時計の針を、今から18年前の2008(平成20)年2月に巻き戻してみたい。

 当時、徳仁皇太子は47歳、雅子皇太子妃は44歳、愛子内親王は6歳で、学習院初等科入学直前だった。雅子皇太子妃は2004(平成16)年7月に適応障害と診断され、療養生活が3年半ほどになっていた。公務復帰がままならぬまま、行事を欠席する状態が続いていた。

 私は2006(平成18)年から、宮内庁にある宮内記者会所属の担当記者をしており、この時点で1年半ほどの経験を経ていた。

 2月のある日、当時の羽毛田信吾宮内庁長官が定例の記者会見で、突然妙なことを話し出した。要は、徳仁皇太子一家が明仁天皇夫妻の元を訪れる「参内」の機会が増えていないとして苦言を呈する内容だった。当時の新聞はこんなふうに報じている。

 宮内庁の羽毛田信吾長官は13日の定例記者会見で、皇太子ご夫妻の長女、愛子さま(6)が皇居・御所に天皇、皇后両陛下を訪ねる回数が少ないことに言及し、「依然として少なく両陛下も心配しておられる」と述べた。長官が御所の訪問回数に苦言を呈するのは極めて異例。(「読売新聞」2008年2月14日)

 この唐突な発言の意味を理解するには、時間をさかのぼって補足説明する必要がある。

 明仁天皇は、この羽毛田長官による「苦言」の1年以上前の2006(平成18)年末、自らの誕生日に際した記者会見で、愛子内親王と会うことが少ないことを「残念」「いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」と発言していた。

 皇太子は、それに応じるかたちで、約2ヵ月後の記者会見に臨み、「お会いする機会を作っていきたい」と話した。

 長官の「苦言」は、この皇太子発言の「約束不履行」をなじるかたちでなされ、天皇夫妻の心情を推察して「ご自身が発言されたことを大切になさってほしい」とまで述べた。

 また、皇太子とすでに複数回話し、「努力したい」との返答があったことも明かした。両親に会いに行く頻度について、皇太子が宮内庁長官からたびたび「申し出」を受けていたというわけである。

苦言の主に直撃したところ⋯

 令和の世に生きる現在の読者は、この経緯を聞いてどう思うだろうか。皇族に仕える立場の宮内庁の長官が、天皇の意を自ら推測して公にしたり、皇太子の非をなじったりする行動をするのは、私には信じられなかったし、今思い出しても異様なことだったように思う。

 だが、当時の「空気感」は今とはまったく違っていて、皇太子夫妻が「批判」されることに、世間は慣れてしまっていた。だから、この長官の行動は「唐突」ではあったが、あまり「意外な」ことでもなかった。

 定例会見が終わった直後、私はアポを取って一人で長官室に戻り、羽毛田氏に念を押した。

「おまえのせいだ」なぜ宮内庁幹部は激怒したのか⋯? 皇太子に“天皇一家の不和”へ切り込んだ『皇室記者の危険な質問』〉へ続く

(大木 賢一/Webオリジナル(外部転載))