ラリー・モンテカルロ・ヒストリックに参戦した佐藤琢磨とホンダ学園の学生たち【写真提供:Honda】

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学生メカニックが初代シビックを整備し、伝統のラリーを完走

 メカニックや開発者を育成する「ホンダ学園」が、創立50周年を記念して参戦した「ラリー・モンテカルロ・ヒストリック2026」の報告会を18日に都内で開催した。1月29日から2月7日まで行われた大会は、1911年から86年までに「ラリー・モンテカルロ」に参戦実績のある車種を用い、南仏アルプス山岳地帯を中心に約2200キロを走破するというもの。ホンダ学園は1975年式の初代「シビック1200RS」で挑み、ステアリングを託されたのはレーシングドライバーの佐藤琢磨だった。この日の報告会には、佐藤も登壇。大会の模様を追ったドキュメンタリー映像が流れた後に、激闘の日々を振り返った。

 大会に向けて、学生たちはレストアから始まる車両製作はもちろん、参戦に必要な各種手続きやマシン・部品の輸送までを担い、1月29日からの本番に2台のシビックを送り込んだ。

 ラリー初挑戦の佐藤は、世界で戦うプロの基準で彼らに向き合った。例えばドライビングポジション。「ステアリングのコラムを下げろ」「シフトレバーの位置を変えろ」とミリ単位の要求を突きつけた。「みんなの想像の上を行っていたと思う」と振り返るが、学生たちは実現の方法を模索し、試行錯誤の末に「ほぼ100%に近い」とドライバーを納得させる精度でマシンを仕上げてみせた。

 だが、実戦の現場は、学校とは勝手が違った。序盤のステージでのタイヤ交換時、外したボルトを見失うミスが起きた。部品を丁寧にトレイへ並べる余裕はない。現場のペースに飲まれた学生に、佐藤は「お前、ちゃんと見ろよ」と声を荒らげた。現場の厳しさを突きつけられた瞬間だった。佐藤は「あれは申し訳なかった。でも自分で動かなきゃいけないと思ったはず。そこからみんなが、指示を待つ生徒から、自ら判断して行動する人たちに変わっていった」と振り返る。

 その意識の変化は、過酷な本番で表れる。大会は定められた平均速度をいかに正確に守れるかを競う「レギュラリティ形式」で行われる。しかし、わずか76馬力のシビックにとって、設定されたアベレージスピードはあまりにも高い。それでもトップを狙った佐藤は、限界域での走行を選択。その最中にマシンは横転し、フロントガラスは砕け、ルーフもピラーごと変形する大きなダメージを負った。

「さすがに続行は厳しいかなと一瞬思った」と佐藤は明かす。だが、学生の反応は頼もしかった。サービスリーダーを務める学生は、マシンの状態を見る前から「直します。絶対に大丈夫です」と言い切った。学生たちはすぐに修復作業に取り掛かり、マシンをコースへ復帰させた。

佐藤琢磨も刺激を受けた、学生たちの「確固たる覚悟」

 修復されたシビックは最終ステージ、モンテカルロ名物の「チュリニ峠」へ向かう。佐藤はここで、学生たちの情熱に応えるべく勝負に出た。

「スペアタイヤも工具も全部下ろして、全開に次ぐ全開で行った。彼らの挑戦の証をどうしても見せたかった」

 小さなシビックがエンジンを7000回転まで回して雪の残る峠を駆け上がる。前を走るBMWやフェラーリ、アウディを次々とパス。傷だらけの小型車がパワーで勝るマシンを追い抜く走りは、学生たちの整備の成果でもあった。

 佐藤はプロジェクトをこう総括する。

「挑戦とは結果がすべてではない。限界に向き合って失敗しても、どんな困難があっても乗り越えられる。これこそが価値のある経験です」

 そして、自身の次戦についても言及した。

「若い20代の子たちと一緒にやってきて、絶対に下を向かない確固たる覚悟は、自分よりもあるんじゃないかと感じた。自分もドライバーとして成長した気がするし、みんなとやれたことで、もっと頑張っていかなきゃいけないと思った。この思いを持って、今年のインディ500は全力でトップを目指したい」

 極限の現場でのアクシデントと、それを乗り越えた経験。学生たちが手にした実践的な力と自信は、世界のトップで戦い続けるレーシングドライバーにも刺激を与えていた。

(生島 洋介/ Yosuke Ikushima)