(※画像はイメージです/PIXTA)

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デジタル化が進み、スマホやPCに資産を管理できる現代。便利なツールを駆使して「スマートに」運用しているつもりでも、その中身がブラックボックス化していれば、万が一のとき遺された家族は正体不明の損失や専門用語の壁に立ち向かうことになります。本記事ではFPの下田幸彦氏が、夫婦間のマネーリテラシー格差が引き起こしたデジタル資産の相続トラブル事例を解説します。

スマートだった夫の「死角」

「主人ががんで亡くなりましたので、メルマガを解除してほしい」

ある日、私の元に一通のメールが届きました。送り主は、かつて私の資産形成セミナーに参加し、二人三脚で将来のプランを立ててきたKさん(当時30代後半)と同年代の奥様でした。

KさんはITリテラシーが高く、非常にスマートな方でした。職場の人間関係に悩みつつも、自営業を営む奥様の将来を案じ、「自分たちの老後は自分たちで守る」と、ネット証券での米国株投資や、ルールに基づいたFXトレードを熱心に実践していたのです。

実際に、Kさんの投資は見事なものでした。当時300万円で始めた米国株投資は年利10%程度で堅実に運用し、さらに100万円を原資に始めたFXは、毎月の利益に波はあるものの月平均5万円ほどの利益を出していました。

「妻にも伝えておきます」という言葉の裏で

Kさんの投資は順調でした。私は折に触れ、「資産状況はご夫婦で共有し、共通認識を持ってくださいね」と伝えていました。Kさんも「わかりました、妻にも伝えておきます」と答えてくれました。

しかし、その「共有」は、遺された奥様にとっては十分なものではなかったのです。

Kさんの死後、奥様のご自宅を訪問した私を待っていたのは、憔悴しきった姿と「デジタル遺産の壁」に直面する家族の姿だったのです。

Kさんは奥様に「投資をしている」とは伝えていましたが、どの金融機関に口座があり、何にいくら投資しているかという詳細は伏せたままだったのです。スマホのロックを解除しても、アプリを開くIDやパスワードがわからない。

奥様は、K様が取引していたであろう金融機関を一つひとつ探し出し、慣れない相続手続きを開始しました。

しかし、そこでさらなる「地獄」が待ち受けていました。

「NISAの移管」が未知の言語に聞こえる

「NISA口座の株式を、奥様の特定口座へ移管しますか?」

金融機関のオペレーターが発する専門用語は、投資未経験の奥様にとっては未知の言語に等しいものでした。何を聞かれているのかわからない、間違えたら大変なことになる――。

恐怖に駆られた奥様が出した結論は、「すべて売却して現金にする」ことでした。

実はKさんは、自営業の奥様の老後のために配当利回りが安定した優良銘柄を厳選して保有していました。しかし、その「想い」を知らない奥様にとって、株はただの「怖いもの」でしかありませんでした。

「正体不明の借金」がさらなる悲劇を招く

さらに悲惨だったのはFXです。Kさんの死後、相場の急変によりポジションが悪化していました。

ようやく画面を開いた奥様の目に飛び込んできたのは、赤字で表示された「−500,000円」という数字でした。はじめてその損失額を目にしたとき、軽いパニック状態になったと語ります。

「このままでは借金を背負うかもしれない」と、含み損の数字を見ること自体がストレスに。対処法もわからず恐怖に支配された奥様は、震える手で決済ボタンを押し、50万円の損失を確定させてしまったのです。

生前のKさんなら冷静に対処できた場面でも、知識のない遺族にとっては、それはただの「恐怖の数字」でしかありませんでした。

「マネーリテラシー格差」が生んだデジタル遺産の相続トラブル

今回のケースの問題点は、Kさんから奥様へパスワードを教えていなかったことだけではありません。

最大の問題は、夫婦間のマネーリテラシーの格差を放置したことにあります。

ネット銀行やネット証券は便利ですが、紙の通帳のような「誰の目にも明らかな証拠」が残りません。そのため、管理者がいなくなった瞬間に、資産はただの「アクセス不能なデータ」へと変わります。

今すぐできる「デジタル終活」の3ステップ

ITエンジニア出身のFPとして、私は以下の3点を推奨しています。

1. 「資産の棚卸し」をアナログで残す

パスワードそのものを書くのが不安なら、「どの銀行・証券会社に口座があるか」のリストだけでも紙で残し、保管場所を共有してください。

2. 投資の「目的」を言葉にする

「この銘柄はあなたの将来のために持っているものだ」と一言伝えておくだけで、遺族の行動は変わります。

3. 信頼できる「第三者のプロ」を介在させる

もし今回、私が奥様と生前から面識があり、Kさんの意志を「通訳」できていれば、大切な資産を安易に売却せずに済んだかもしれません。

大切な資産を引き継ぐために

スマートなデジタル管理は、生きている間は武器になります。しかし一方で、死後は遺族を苦しめる最凶の刃にもなり得ます。

「自分がいなくなっても、この人は迷わずにお金を使えるだろうか?」その視点を持つことこそが、本当の意味での「家族を守る資産形成」ではないでしょうか。

下田 幸彦

青い森FP事務所

代表/CFP®