五輪の夢を裏方で叶えた女性アスリート 日本人に少ない「渡り鳥」としてミラノ冬季五輪に尽力――組織委員会・丸山尚子さん
ミラノ・コルティナダンペッツォ大会組織委員会 丸山尚子さんインタビュー前編
オリンピックの夢を、裏方として実現した元アルペンスキー選手がいる。丸山尚子氏(54)は、来年開催されるミラノ・コルティナダンペッツォ大会組織委員会の日本人スタッフ。21年に行われた東京大会組織委員会で働き、昨年5月にミラノの組織委員会入りした。開幕まで8か月と迫った大会準備はこれから本番。初の広域開催となる大会の準備状況、追加競技「SKIMO(スキーモ)」の魅力、そして両親ともにオリンピアンという丸山氏の五輪への思いを聞いた。(前後編の前編、取材・文=荻島 弘一)
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長野大会のスキー会場にもなった長野・白馬村生まれの丸山氏は、小さいころからアルペン選手として五輪出場を目指していた。中学卒業後は米国に渡ってトレーニングを続けたが、出場はかなわず。1998年の長野大会で組織委員会のスタッフとなったのが、初めての「五輪参加」だった。
「長野ではスポーツの部署で、スキーの会場しか知らなかった。長野が終わってからはスキーのメーカーなどで働いていたのですが、もっとオリンピックそのものを知りたくて。東京大会が決まって組織委員会のスタッフになったんです」
東京大会組織委では「NOC(国内オリンピック委員会)・NPC(国内パラリンピック委員会)サービス」という部署で、各国選手団との連絡や調整に奔走した。選手団の日本への受け入れ、強化拠点の調整、滞在中のケアなど、忙しく働きながらも自身のウインタースポーツへの思いは消えなかったという。
「なんとなく、アウェー感があって(笑)。やっぱり冬の大会で働きたい、ウインタースポーツへ戻りたいなと。組織委員会の中には大会ごとに仕事をしている『渡り鳥』のようなスタッフもいて、そんな道があるのなら私もやってみたいと思ったんです」
東京大会後、スタートアップエコシステム関連の仕事をしていたが、昨年5月にミラノ・コルティナ大会の組織委員会入り。東京大会と同じように「NOC・NPCサービス」に所属し、今回は各国のパラリンピック委員会相手に仕事をこなしている。
「パラはオリと違って規模も小さくて、冬季の場合は60か国ほど。現在は2人態勢で、30か国ずつ受け持っています。3月末に選手団長セミナーがあり、その後いろいろなことが動き出しています。予選も大詰めですし、忙しくなってきた感じはしています」
東京大会と違って大変なのは、やはり言葉。4年に1度「渡り鳥」のように組織委員会を移っていく日本人が多くないのは、言葉の問題もあるという。英語は問題ない丸山氏も、もともとイタリアは馴染みが薄かっただけにイタリア語は「ダメですね」と笑った。
「イタリア自体は大会で来たことがあるくらいで、あまり縁がない国。どちらかといえば、オーストリアの方が馴染みが深いという感じですね。言葉は他の部署に行くとイタリア語ですけど、部署内は英語。各国とのやりとりも英語なので、大丈夫です。大会が違っても各部署のカラーは変わらなくて、東京大会の経験が生きています」
両親ともにオリンピアン「カエルの子はカエらず、でしたね(笑)」
「渡り鳥」として五輪から五輪へ。その思いが強いのは、両親ともにオリンピアンという環境にもあった。父仁也さんと母美保子(旧姓大杖)さんは、ともに1968年グルノーブル五輪のアルペンスキー代表。幼少期から五輪は身近にあった。
「カエルの子はカエらず、でしたね(笑)。本気で出場は狙っていたんですが、ダメでした。でも、今でもオリンピックへのこだわりは強いと思います。やっぱり特別な大会ですから」
美保子さんは日本女子初のスキー五輪代表、叔父の大杖正彦さんは72年札幌五輪代表。仁也さんは引退後もスキー競技に関わり、長野五輪ではアルペンの競技委員長も務めた。そんなレジェンドたちの思いを、丸山氏は受け継ぐ。
「特に公表はしていないんですけど(笑)、ミラノに来てから長野オリンピックに参加したコーチたちに『お父さんにお世話になりました』と言われることはあります。オリンピックに携わる仕事をしていることは、両親も喜んでいてくれるんじゃないですかね」
初の広域開催となるミラノ・コルティナ大会。フィギュアスケートなど主に「氷」の競技はミラノ、アルペンスキーなど「雪」競技はコルティナダンペッツォ、さらに他の会場でも競技が行われる。五輪開会式はサッカーで有名なミラノのサンシーロスタジアム、五輪閉会式とパラの開会式はヴェローナの円形競技場と広範囲にわたる。2都市が共同で組織委員会を作るのも、今大会が初となる。
「パラの競技はコルティナが中心なので、大会直前までミラノにいてコルティナに移動します。距離があって、地域も違うので、情報の出し方は難しいですね。(選手団が)欲しい時に欲しい情報が伝わるようにしたい。言いなりに情報を流すのではなく、このタイミングで出すというのをしっかりと伝えていきたい」
IOCが五輪改革の1つとして打ち出した「広域開催」。これまでは1都市での開催が原則だったが、コスト削減で持続可能な大会にするために複数都市での開催容認に踏み切った。今後、冬夏を問わずに複数都市での広域開催が広がっていく可能性がある。
「今回はとてもユニークな大会になると思う。もしかしたら、これまでと少し違う形の大会になるかもしれないけれど、次(30年)のフランスアルプス大会も広域開催ですし、今大会がテストケース、モデルケースになると思う」
(後編に続く)
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)
荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。
