2018年9月から、ある事情で福井県大野市の空き家を借りて約1年住むことになった。今ではどこの自治体のサイトでも「空き家バンク」などで家を探すことができるが、私の家探しは思いもよらないルートで進んでいった。

【画像】借りていた築50年の「空き家」

 じつは全国の空き家で人に貸し出せる状態のものは全体の半数ほどにしかならないという。大野市ではその割合は半分にもいたらず、500軒以上ある空き家のほとんどが居住不可能な状態か、手付かずのまま持ち主の倉庫になっている。

 私の場合は空き家バンクも不動産業者も通さず、人づてに紹介していただいた家主さんと交渉して、まずは住めるように整えることから始まった。あくまで一事例だが、「人づてに聞く」ことが自分に合った空き家を見つけるために有効な方法だった。そのプロセスも含めて、驚きと発見に満ちた四季折々の空き家暮らしを紹介する。

◆ ◆ ◆

窓から「巨石」が見える空き家

 秋晴れで風の気持ちいい日だった。東京から、人類学を専門とする私の調査地となった大野市に引っ越しをしようと家を探し始めた私は、市役所の方の案内でいくつかの空き家を見てまわっていた。大野市には阪谷という地区があり1400人ほどの人びとが住んでいる。市街地から車で15〜20分ほどのこの土地には、広範囲に棚田が広がり、中山間地域らしい田園風景が見晴らせた。車窓から見えるのどかな風景が、緊張した身体をほぐす。阪谷はとても美しかった。

 加えて、この土地には見慣れない光景があった。それが諸説あるが100万年ほど前に起きたといわれている、経ヶ岳の噴火によって各地に点在するようになった「巨石」である。おそらく日本中のどこを見渡しても、このような集落の風景は見ることができないだろう。阪谷地区にはそうした巨石が点在しており、それぞれの土地の所有者が原則その岩も所有しているということになっている。

 ある家では田んぼの真ん中に巨石があり、田植えや稲刈りに工夫が必要だ。また別の家では周囲を囲む塀の一部となっている。人間が生まれる遥か以前からこの土地にある巨石は強烈に印象に残った。他にもいくつかの空き家を紹介していただいたものの、不思議とこの光景に惹かれた私は、居間の窓から岩をのぞむことのできる空き家を借りることにした。

(1)家主さんと直接交渉しておくべきこと

 私が住むことになったのは、築50年の空き家である。都心の10畳ほどのワンルームから9部屋もある一軒家への引越し。所有者は市外に出ており、家や仏壇の管理、また墓参りで時折戻って手入れを行なっていた。水まわりや床の一部がリフォームされており、暮らしを始めるには十分。というよりも、これからひとり暮らしをしようという私にはありあまるほどの広さであり、家の前には5〜6台は楽に停めることができる駐車スペースがあり、蔵と、おまけに畑までついて、家賃は都内で借りていたマンションの4分の1。頭のなかは「やってみたいこと」と「理想の暮らし」でいっぱいになった。

 不動産業者を通さず個人が直接家主さんと交渉をして空き家を借りる際、事前に知っておく必要があるのは、契約時に火災保険や家財などに関してしっかり話し合いをしておく事だろう。家賃の交渉からはじめる作業は、自由度が高い反面なかなかにタフさが求められるものである。また、以前の暮らしの面影を残したままの家財やその他のモノが残っていることも多く、何もないがらんとした空間が提供されるわけではないことを知っておいていいかもしれない。

(2)動かしづらいものは、そのまま置いておく

 私は、家主さんと一緒に片付けと掃除をすることから「住む」をはじめた。机や家電などそのまま使わせていただくものを選び、その他大型のモノや布団等は軽トラに積み込んで焼却場まで運搬(2往復)。なにせ(台所等も合わせて)9部屋もあり、たまに遊びに来る友人が泊まる部屋を確保してもひとりでは持て余すため、結果的に触らない部屋も多かったが、使う部屋はモノを捨て、掃き・拭き掃除をしていった。

 それはこの家に蓄積されてきた記憶を掘り出すような行為だった。配置を変え、モノを新しく取り替えることで、時を止めたままだった空間を揺さぶっていく。押し入れからだっただろうか、50年前の新聞が出てきたときは、そこに並ぶ文字から香る時代の雰囲気にのみこまれ、しばらく掃除が滞ってしまった。古いものと向き合い、埃をはらうことを通して、家は次第に別の空気を纏うようになった。


豪雪地帯の冬の備え(シャベルや「スノッパ」)を中心に、生活の道具にも親しむ

「動かしづらいもの」は賃貸契約の間そのまま置いておくという選択が現実的であることも書いておこう。その代表格が仏壇である。契約期間が短かったこともあるが、結局私は1年間この家のご先祖さまと微妙な距離感を保ちながら生活することになった。手入れやお参りはもちろん家主さんがされるので、わたしは関係がないはずなのだが、なんとなくそういうわけにもいかず、仏間を通るときには「おはようございます」「帰りました」と小さく心のなかで挨拶をしてみたりする。不思議な関係だった。

集落の皆さんとテレサ・テンで顔合わせ

 もちろん家そのものも重要だったが、それよりも周囲に住む人たちの声かけがなければ、安心できなかっただろう。見知らぬ地域に飛び込んでいくことには不安が伴う。内覧時に笑顔で挨拶を交わし「住んでもらえれば活気になるね」と言ってくださった、お隣さんの一言が移住の後押しになった。

 家主さんとの交渉の際に家を再訪した日には、たまたま集落で開催されていた夏の祭りに飛び入り参加を促され、集会場でのバーベキュー兼カラオケ大会で、気がついたらステージの上に立ち、言われるがままにテレサ・テンを歌うことになっていた。目の前にははじめましての皆さん。「観客席」の先頭に座り、ほろ酔い顔でリズムに合わせて手を叩いてくださった気さくな方が、区長だと知ったのもその後である。人類学者たるものまずはなんでも受け入れるべしと、興奮気味だったのもあるが、時にはえいやと思い切ったことが功を奏することもあるのだ。おかげさまで、忘れられない顔合わせの日となった。

(3)暮らしの基本はメンテナンスにあり

 集落の皆さんには、年間を通して足を向けては寝られないほどお世話になった。収穫したての野菜をいただくだけでなく、初心者のずぼらな畑づくりにも辛抱強く教えをいただいた。予想に反した暖冬でたった1度だけ訪れた雪かきの時には豪雪地帯を生き抜いた経験値からすばやい対応を手ほどきくださり、自前の機械で瞬く間に広範囲の雪を吹き飛ばしてもらうのをただ眺めていたこともある。

 暮らしの基本はメンテナンスにあり――それも私が学んだ教えのひとつだ。掃除を含めた適度な家事はしてきたが、広い土地と一軒家を(一時的にだが)所有するということがどういうことなのかを知らなかった私は、草刈りにもたじろぐ始末。初めて草刈り機を担いで作業し、綺麗に刈り取ったことに安心した後も、草は生え続けるのだという単純な事実を認識できず、あっというまに「元通り」になった庭を見て愕然としていた。

 ちらちらと庭を気にしながらもエンジンをふかして重い草刈り機をもう一度背負う気にはなれず、気休めに近い場所から順番に手でちまちまと根っこを引き抜いていた時期がある。しばらく忙しく外を出回っていて、帰宅した日。庭が見違えるように綺麗さっぱりしていたことがあった。「ああ……」と申し訳ないという気持ちで複雑だったが、「ついでだから」とお隣さんが草刈りまでしてくださった時、家を管理するということにも技術や作法がいるのだと知った。

(4)「おすそわけ」のルールを学んだ

 一軒家で過ごす日々は、毎日が新鮮だった。四季の移り変わりをまるごと経験した。家の2階の窓からは絶景が望め、窓から手が届く距離には、秋に実のなる柿と栗の木が1本ずつあった。実がなると、その収穫は本当に楽しい。ひとりでは食べ切れない量になるので、そこで「おすそわけ」のルールを学んだ。地域には、収穫した柿をうまく加工してハイセンスなおすそわけにしてしまう人もいる。干し柿を自作の木の枠にはめ込んでバターをサンドしたおやつ。これが絶品で冬の間中楽しませていただいた。レモン汁やカルダモンを振りかけるとシェフ顔負けの味になる。

タヌキと毎朝遭遇…次にモグラが

 この土壌に命を育まれるのは、音も立てず、移動もしない植物だけではない。最初の秋に悩まされたのは、タヌキだった。庭のあちこちに「タメフン」があり、収穫し切れなかった柿や栗がふんだんにある我が家に住みついていた。毎朝出かける瞬間に目が合い、追いかけると家の裏に逃げ込むということを繰り返す。タヌキはそのうちいなくなったのだが、次に畑にやってきたのはモグラで、痕跡があちらこちらに見つかった。ひとつずつ穴を潰したり、土壌に超音波を当てたり、地面に風車を差してカタカタという震動を地中に伝えることで追い払いを行うのだという。なかなか姿を見かけることはないのだが、モグラは土を荒らす農家の大敵なのである。

家のなかにネズミ、庭にはツキノワグマ

 野外だけならまだいいのだが、私の家の天井裏には「なにか」の気配があった。たまに友人を呼んで鍋をしているとゴソゴソとなにかが動く。年明けにお餅つきをして持って帰ってきた餅が翌日にひとつなくなっていたという事件があり、一体誰がそのお餅を持っていったのか……屋根裏を覗きにいくのも恐ろしくてそれ以上探索しなかったので、こればっかりは謎に包まれたままである。

 住まいに慣れてきたころ、白く小さいネズミと家のなかで目があったことがある。私はその時までに狩猟免許のわな猟と第一種銃猟も取得しており、大型獣の狩猟の経験もあったにもかかわらず、ひとりで家のなかのネズミに対峙したときは「勝てない……」という気になってしまう。見ないふりをするということもできず、結局市販のネズミとりを設置するもいっこうに捕獲に至らなかったネズミは、食べ物になりそうなものをすべてしまい込む時間とともにどこかに行ってしまった(はずだ)。

 つぎつぎと動物たちが顔をのぞかせる、絵本顔負けの物語のクライマックスは、四季の折々の思い出を抱えてこの家を去る段取りをしはじめた頃、家の栗の木にやってきたツキノワグマである。季節が一巡した秋の日、庭の栗の木の枝が不自然に2、3本折れていた。折れた箇所を確認して、そのまま目線を下にうつすと、木の下では茂ったミョウガの葉が横倒しになっていて、獣が寝た跡のようになっている。その跡を見て直感したのだった。間違いなく、私が住む家の庭にはクマがやってきていた。その時のことは、さらに詳しく別の記事にある(「越前大野で私が遭遇したクマたち」#1、#2)。

(5)「どうふるまえばいいのかわかる」自信と希望

 そんなふうに「ひとりにはしてもらえない」ひとり暮らしは、おかげさまでたのしく過ぎていった。集落でも用水路の掃除や神社の掃除、草刈りに出ると、拙い動きでも人手として喜んでいただいた。家にいても次々と「事件」が起こる暮らしは面倒で手間なことだらけにも思えるかもしれない。実際、DIYで改装したり電気もオフグリッド化したり……当初思い描いていたような理想を実践するには至らず、妥協もあった。だが、私はたった1年間で驚くほどできることが増えた。四季折々の農村での暮らしに対して「どうふるまえばいいのかわかる」ということは、大きな自信や希望につながる。新しい土地に行っても、私には、ここで覚えた季節を迎える段取りや自然と向き合うことの具体的なイメージがあるのだ。

 集落の何人かで夜に散歩をしていたのがすごくよい思い出で、星が降ってきそうな夜空の下、季節毎に野菜や集落行事、時にはスーパーの安売り事情なんかを話しながら歩いた。ツキノワグマの出没で次第に歩けなくなったのが残念だったのだが。手間を惜しまずに、集落や家の維持にエネルギーを注ぎ続ける人びとの土地。きらびやかなものはないかもしれないが、この土地にはそうした人びとの「手間」が、生きてきた時間そのものが浸透している。だから、この場所は美しいのだ。

空き家を出て大野市内のアパートへ

 今、私は慣れ親しんだ空き家を出て、大野市内のアパートであらたにひとり暮らしを始めたところだ。大野での調査にいったん区切りをつけて東京へ引っ越そうと準備をしていた矢先に、新型コロナウイルスの感染がひろがっていった。空き家暮らしのことを振り返っていると、毎日のように人に会いに行き、がむしゃらになんにでも挑戦できた日々が特別なものに思えてくる。生活は変わった。だが、そうではない部分もある。

 4月も下旬になると、外からトラクターの音が聞こえてくるようになった。朝は6時頃から草刈りが始まることもあって、「早いなあ」と人の気配を感じながら起きる。田んぼには水が張られて新緑の山々や芝桜を映す水鏡になり、大野に田植えの季節がきたことを告げた。先行きが見えない中でもこうした兆しは、私を心からほっとさせた。相変わらずめぐる四季の気配に耳を済ませながら、私は静かに研究生活を続けている。

写真=北川真紀

(北川 真紀)