あれは確か、彼が国士舘大の2年生になる春先だったと思う。全国の大学野球から選ばれた投手、野手たちが、東京・稲城市にある「ジャイアンツ球場」の室内練習場に集結。プロ野球経験者の指導を受けるというイベントが行なわれた。

 投手だけでも60人ぐらいはいただろうか。次々にブルペンのマウンドに上がり、ひとりあたり40球ほどのピッチングを披露する。確かあの年の指導役は、元巨人の堀内恒夫氏と鹿取義隆氏のふたりだった。投球が終わるとマンツーマンで、かつて巨人のマウンドを守った大投手からアドバイスをもらえるという、アマチュアの選手たちにとっては何ともありがたいイベントだった。

「あの左ピッチャーいいですよ。ちょっと見てください」

 そう私の耳元でささやいたのが、国士舘大学野球部の永田昌弘監督だった。

 茶色のタテジマ、スリムなユニフォーム姿の左腕がマウンドに上がった。永田監督の教え子である国士舘大の投手だった。

 右足を踏み込んでも、まだボールを握った左手がお尻のうしろにある。

 それだけ見て、「いいな......」と思った。

 右足を踏み込んでから、上半身が一塁側を向いたまま、体重が右足にグッと乗り、そこでようやく腕を振り始める。打者にとっては、なかなかボールを放してくれないから、タイミングを取るのが難しい。いわゆる「球持ちのいい投手」というわけだ。

 体重が右足に乗ると、急速に体の左右を切り返してボールを投げ込んでくるから、打者は思わず差し込まれてしまう。バットを振ろうとした瞬間、もうボールが手元まで来ている。そんなメカニズムを持った「打ちにくい左腕」だった。

「ボールがホームベース上で加速するでしょう。コイツが一本立ちしたら、ウチも東都大学リーグの一部が見てくるんですけどねぇ......」

 めったに選手を褒めない永田監督も、ゾッコンの選手だった。

 この左腕こそが、阪神投手陣の救世主として活躍中のルーキー、岩崎優(いわさき・すぐる)だったのだ。

 4月2日の中日戦で、先発としてプロデビューを果たすと、5回を3安打無失点に抑えプロ初勝利。続く9日のDeNA戦では7回を投げて6安打1失点。勝ち星こそつかなかったが、ストライクを先行させる落ち着いたピッチングで、立派に試合を作ってみせた。

 大学当時の岩崎は、たしかに"左の好投手"だった。国士舘大は東都大学野球リーグの2部に属しており、試合はいつも神宮第二球場で行なわれていた。でも岩崎が投げる日は、隣の神宮球場で東京六大学リーグがあっても、東都大学リーグの1部の試合があっても、必ずプロのスカウトたちが顔を揃えた。

 岩崎は2年生からリリーフとしてリーグ戦で投げ始め、3年生で先発に転向。そして4年生になると、エースとして先発、リリーフと大車輪の奮闘を続け、リーグを代表するサウスポーへと成長していった。

 手も足も出ないようなボールはなかったが、いつも100%の力を出していた。"最大瞬間球速"として145キロ前後をマークしたことがあったらしいが、アベレージは137〜138キロ前後といったところ。だが、そのストレートで空振りの三振を奪う。球が速い投手ではないが、間違いなく「速く見える投手」。打者の体感スピードなら、140キロ中盤に達していたことだろう。

 ぼんやり見ていると平凡な投手にしか見えないのだが、よく見ると、非凡なものをいくつも持っている。変化球はスライダーにフォーク、スリークォーターで投げるためカーブは投げにくそうにしていたが、大学3年の終わり頃からスクリューが右打者から逃げるように外にスッと沈み始めた。その多彩な変化球はしっかり低めにコントロールされ、抜けて高めにいくことはほとんどなかった。

「変化球を低めにコントロールできる左腕はかなり高い確率で、プロで通用する」

 これは長年の傾向から割り出した"黄金則"である。国士舘大の岩崎は、まさにこれに当てはまった。

 打者を圧倒する球威はないから、たまに連打を食らうこともある。低めに伸び、変化する球筋は審判も判定が難しい。ボールに取られて四球が続くこともあった。外から見ていてすぐわかる非凡さじゃないところが、ドラフト6位という順位になったのだろう。

 だが、岩崎はマウンドを支配できる能力を持っている。最大の魅力は、自分のピッチングワールドを持っていることだ。

 自らの感性と裁量で、相手打者の匂いを嗅ぎとりながら、「投げてほしくない」コースに、「投げてほしくない」ボールを投げ分ける。ここ一番で、右打者の胸元、ヒザ元を突くクロスファイアーは、その最たるものだ。

 淡々と、そして飄々と投げるから、パッと見てすぐ新人とわかるような威勢の良さは持っていない。むしろ、すでに何年もプロのメシを食ってきたような、「老成」と言っては失礼だろうが、そんな表現を使いたくなる安定感を漂わせている。

 高校時代はサッカーの名門・清水東で、エースで4番として活躍。だが、目立っていたのは「投」よりも「打」だった。本格的に投手に専念したのは大学に入ってから。

 開幕から2試合連続して好投したから"即戦力"に見えるかもしれないが、岩崎の本質は豊かな伸びしろを秘めた「将来の左のエース」だろう。

 今シーズン、これから何勝するかわからないが、今年はあくまでも"新人研修"の1年。この先、長く阪神の投手陣を支える人材として、シーズンを通して戦い続けられる心身の"体力作り"も必要となってくるだろう。そうして蓄えられた財産は、きっと阪神投手陣を救ってくれるに違いない。

安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko