北野映画には欠かせない

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第68回は、タレントのビートたけしに、貴重な言葉をかけてもらった俳優の寺島進、アナウンサーの吉田照美、弟子のダンカン各氏の貴重なエピソードです。

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寺島進が忘れられない言葉

 ビートたけし(79)の著書『漫才』(新潮文庫)を読んでみたが、抜群に面白い。大げさな言い方かもしれないが、これでは漫才師10人、いや100人が束になってたけしにかかっても、到底かなわないと思う。

北野映画には欠かせない

 前文で「おことわり」として「ドキュメンタリーとしてお読みください」とある。そう読むこともできるし、これを元にしたステージが実現するようなら、再び爆笑に次ぐ爆笑なのは間違いない。

 その笑いの本質は何か。こう思う。映画「男はつらいよ」の寅さんの庶民の会話に、毒と知性をまぶしたようなもの。しかも、とにかく話がわかりやすい。

 芸能界における影響力では追随を許さない、本人と明石家さんま(70)、タモリ(80)のBIG3については、たけし流に「俺は浅草、大阪がさんま、タモリは新宿」(著書『弔辞』講談社)と分析する。実に簡潔。それでいて、ストンと胸に落ちる。

 BIG3の直接インタビューは難しいし、周辺から攻めるしかないのだが、それでも納得できる、味わいある名言がいくつもある。

 前掲の『弔辞』の中でたけしはこう言っている。

〈自分は臨終の間際に「大勝負」が残っています。いざ、自分が死ぬ瞬間に「俺は笑いがとれるかな」という勝負です。くたばるまで芸人でいたい、「うっ、痛(いて)え、助けてくれー」とか普通のことは絶対に言いたくないというのが本音です〉

 たけしのこの本音は、端的にいえば、北野映画の常連俳優、寺島進(62)に対するアドバイスのことではないか。「その男、凶暴につき」(89年)に出演したことが俳優としての転機になった寺島が、「あの夏、いちばん静かな海。」(91年)に出演した時のこと。「この瞬間」というテーマのインタビューで、こんな言葉を明かした。

 撮影が行われたのは千葉・千倉町。寺島は「軽トラの男」役で出演した。大広間で役者やスタッフと晩飯を食べていた時だった。助監督と隅っこで飲んでいた寺島が監督に呼ばれ、たけしがこんな話をしてくれた。スポーツ選手や自分たちのような漫才師の仕事は反射神経、運動神経が必要だから、現役生活は限られる。でも、役者は死ぬまで現役でいられる。

〈(だから)この先、20年後、30年後に売れて死ぬ間際に天下取ったら兄ちゃんの人生、勝ちだからよ〉

 この時、寺島は栃木・日光のテーマパーク「ウェスタン村」でスタントマンの出稼ぎアルバイトをしながら、年に数えるほど役者として働いていた。オンボロアパート暮らしで、年収は100万円にも満たなかったという。

〈ヤル気は人一倍あるけど、なかなか認められずくすぶっている、そんな時でした。それだけに北野監督のその一言は、すごく励みになりました。今もまぶたの裏にその光景がありありと蘇ります〉

逃げ場所を作っておかないと…

 作家の松野大介が文化放送出身のアナウンサー、吉田照美(75)に何度かインタビューしているが、吉田が「今あるのはあの人のおかげ」というテーマで、たけしのことをこう語った。

 81年から「ビートたけしのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)が始まったが、その前年に始まったのが「吉田照美の夜はこれから てるてるワイド」(文化放送)。二人は下町育ち。吉田はたけしの番組を聞いてこう思った。

〈しゃべり言葉が似てたんです。それで「局アナの僕だって、アナウンサーっぽいしゃべりをやる必要がないんだ!」と吹っ切れた。生まれ育ちの使ってきた言葉でしゃべればいいんだと〉

 吉田は「たけし軍団」に入りたいと思うほどになったという。その後、フリーになってテレビにも出るように。たけしファンを公言していた吉田に、これからたけしの取材に行くという記者が声をかけ、たけしがやっていた店に連れて行き、紹介してくれた。

 しばらくして、偶然に入った店で(その店に入ったら、たまたまたけしがいて)たけしに再会し、「こっち、こっち」と呼ばれた。吉田が今も肝に銘じているのはその時に話してくれた言葉だ。

〈こういう仕事やってる人間てのは、いっぱい逃げ場を作っておかなきゃいけない〉

 たけしは漫才、映画、文章、絵と多彩な活動を続けている。その話を聞いて「オレも」と思い立ち、好きだった絵を描くようになり、油絵の個展を開くまでになった。

最高の常識人であれ

 弟子といえば、何をおいてもたけし軍団。メンバーそれぞれが受け止めている言葉があるはずだ。かつてのオフィス北野からたけしが離れ、今はTAPという会社になり、つまみ枝豆が社長、ダンカンが専務を務めている。

 放送作家としても活躍しているダンカン(67)が師匠から言われ、大切にしている言葉を「生きるクスリ」というテーマで聞くことができた。

〈20代の頃かな。「芸能界は楽でいいですね。この仕事に就いてよかった」みたいなことを言ったんです。人気者になって、放送作家としても自分の書いた物が番組になり、楽しくてしょうがない時期です。そうしたら「一般の人は高校、大学を出て会社に入って、毎日毎日電車に揺られて、60歳まで働いて定年を迎え、それで仕事したって言うんだ」と言われた。「そうか、俺はまだ仕事になっていないんだな」って思って、ずっと働いてきました〉

 ものすごくまっとう。常識人と言った方がいい。そのことも前掲書『弔辞』ではこんな風に書いている。

〈芸人にとって最高の武器は「最高の常識人であること」だと思っている〉

 人を笑わせ、楽しませるために大切なのは常識をわきまえること――奥深い指摘である。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部