小さい頃から発達障害の症状があり、自分がLGBTであるという性的指向にも躊躇。30代の男性は、そうした悩みを一人で抱え、やがて発症したうつ病が悪化すると、気づけば精神病院や警察署にいるという状況が続いた。上京後、人生はさらに悪い方向へ向かっていたが、徐々に「自分らしい自分」を取り戻していく――。(後編/全2回)

■覚醒「優勝します!」

佐藤卓一さん(仮名・37歳)は得意とする卓球のスキルを買われ、スポーツ推薦で北海道にある実家から遠く離れた私立高校へ入学した。そして高1で早くも頭角を現し、チームの中心選手に。

食堂を営む忙しい両親に、幼い頃から迷惑をかけたくないと思っていた佐藤さんは、本当は両親に試合を見にきてほしかったが、一度も言えずにいた。5歳の時に気づいた性的嗜好から「自分は他のみんなと違う」と線を引き、親しい友達ができず、試合前のプレッシャーと一人戦い続けていた。

インターハイ当日。ほとんど眠れないまま会場入りした佐藤さんは、卓球部のT顧問とその頃学校にきていた教育実習生Iに声をかけられ、一気に気持ちが明るくなった。

ひそかに思いを寄せていたIの出現に驚きつつも、自分に力が漲ってくるのを感じた佐藤さんは、気がつけばこんな言葉を口走っていた。

「優勝します!」

普段、どこか冷めている佐藤さんが発した言葉に、IもTも、そばにいた他の卓球部の部員たちも驚いていた。

「1年のくせに優勝と来たか! やってみろ」

Iは笑顔で言った。

佐藤さんはシングル戦を危なげなく勝ち上がり、3回戦の相手は3年生の実力者。一進一退の接戦を繰り広げた。最後は惜しくも負けてしまったが、それまでにない充実感に満たされたという。

写真=iStock.com/Vitaliy Mariash
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Vitaliy Mariash

「この時私は人生で初めて、大切な人の応援を受けながら戦うのはこんなにも楽しいことだと知りました。おかげでよい結果も出ましたし、労いもいただきました。しかし同時に失う恐さも覚えました。教育実習は期間限定でIが応援してくれるのはその日が最初で最後。先生がいなくなった学校なんて行きたくないと、また寂しい思いをするのかと、孤独と苛立ちと焦燥と虚しさにあふれた日々に戻るのが恐くなりました」

しかし、Iは実習最終日にこう言った。

「個人戦で全国行くか、団体で優勝したら連絡しろ。飲みに連れて行ってやる」

佐藤さんは、Iに再会することを目標に頑張り続けた。

■「存在を消してください」

高1の12月。大会の団体戦で、佐藤さんは優勝。「これでI先生と会える!」。佐藤さんの心は喜びでいっぱいだった。しかし再会は叶わなかった。Iから聞いたアドレスにメールを何通送っても返信がなかったのだ。

「毎日のように泣きました、眠ることも食べることもできなくなりました、何も楽しみがなく、生きることに意味を感じなくなりました。毎日のように神に祈りました。『俺は最初から生まれてこなかったことにしてください。存在を消してください』と」

佐藤さんは、5歳の時にLGBTであることに気付き、「自分は他の人とは違う」と家族にさえ本音を隠して生きてきた。しかし、自然に本来の自分を出せる相手が見つかり、喜んだのも束の間。連絡がつかず、絶望のどん底に突き落とされていた

「秒針が進むことが、風が吹くことが、地球が回ることが、人と顔を合わせることが、何もかもが恐くて恐くてしかたありませんでした。よい子だったはずの私は引きこもりになりました。もう誰も私を見ないでほしいと思ったからです」

高1の2月頃。佐藤さんは自ら精神科のドアを叩いた。結果は「うつ病」。その結果と「高校を辞めたいこと」「通信制の高校を調べたので転校したいこと」を両親に電話で話した。

父親は難色を示したが、佐藤さんはすでに高校側にはその旨を話しており、ほぼ事後報告。渋々父親は転校を認めるしかなかった。しかも、「絶対に実家には帰らない!」と熱弁し、一人暮らしの継続も認めてもらった。

■別人格が現れる

通信制の高校を卒業した佐藤さんは、教育大学に推薦で入学。

ところが、うつ病が悪化する。

「私は10代の頃、友だちが全くいませんでした。22歳の時に診断されて分かったことなのですが、私はアスペルガー症候群という発達障害を持っていたのが大きいかもしれません。人の気持ちがわからないのです。友だちと遊ぶことより本を読むことのほうがはるかに楽しかったのです。そうすると、“イジメ”に限りなく近い“イジリ”がありました。なぜバカにされなければいけないのかわかりませんでしたが、苛々したり、悲しく思ったり、自分には誰もいないのだと思ったりしました」

アスペルガー症候群とは、知的・言語の遅れがない発達障害(ASD:自閉スペクトラム症)の1つだ。対人関係の構築、空気を読むこと、コミュニケーションが苦手な一方、特定の分野への強いこだわりや高い集中力を持つ特徴があると言われる。

佐藤さんは、アスペルガー症候群だったがために、「頑張らなければいけない」「出来損ないなのだから人よりも努力しなければいけない」という思いで自分を追い込んでしまった。そのことが「うつ病」という2次障害を発症した原因となった可能性もある。

■LGBT(性的少数者)である自分への悩み

さらに佐藤さんの場合、LGBT(性的少数者)である自分への悩みもあった。

「私は小さい頃からずっと、『自分は普通じゃないんだ』と思い詰めていました。どんなに女の子と仲良くしても、可愛いなと思っても、自分が目で追うのは男性でした。自分がゲイであることを、成人するまで誰にも言えませんでした。それは正直つらかった。周りに嘘をついている罪悪感が毎日のようにあるのです。そして、男性を好きになっても、その思いは実らないし言えないことが悲しかった。なぜ自分は恋をしても意味がないのに恋をしてしまうのか、どうしてこんなふうに生まれてきたのか、呪いました」

写真=iStock.com/ArisSu
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通信制高校に転校しても、アルバイトをしても、大学に進学しても、友だちができない。そして卓球だけに集中してきた佐藤さんは、勉強の仕方がわからなかったために、次第に大学の講義についていけなくなっていく。

うつ病の症状もなかなか快方に向かわなかった。

「19歳の12月頃、自分で知らない間に学校に行っていたり、誰かに電話していたりしていて、『何かやばいな』と思っていたんですが、気がついたら精神科の閉鎖病棟にいました。どうやら、私じゃない別の人格が入院を承諾してしまったみたいなんです」

年明け9日頃に退院した佐藤さんは、大学生活に限界を感じ、5万円の現金とスーツケースに荷物を詰めて、上京した。

人生に絶望した末に

上京した佐藤さんは、ネットの掲示板で出会った男性の家に転がり込む。そして、すぐにパートナーができると、一緒に暮らし始めた。飲食店でアルバイトを始めると、少しずつ友だちができてきた。

「上京してから、本格的に自分で働いて生活していく中で、同じ目標や目的で動くことで仲間意識が芽生えることがわかりました。ゲイであることをカミングアウトするようになり、嘘偽りない自分をさらけ出し、受け入れてもらうことで、自分が素直になれることにも気づけました」

国語の教師になりたかった佐藤さんは、アルバイトでできた貯金を元手に、もう一度大学に挑戦。25歳で入学を果たしたが、やはり周囲に馴染めないばかりか講義についていけず、うつ病が悪化。睡眠薬依存症になってしまった。

「全然眠気が来なくて、睡眠薬を処方してもらえる最大量まで出してもらうんですが、『さあ寝よう』と思った時に飲みに誘われて……。帰宅したら部屋の鍵がなくて、酔っていたからか、『屋上からベランダに降りればいいや』と思って屋上から落ちて、両かかとと腰を折って救急車で運ばれました」

2カ月ほど入院し、歩ける状態になった佐藤さんは、大学を退学。上京後にできたパートナーとは33歳で別れ、その後に交際した相手ともうまくいかず、人生に絶望した佐藤さんは、36歳の12月、実家近くの日本で最も寒いと言われる町で、自分の人生を終了させようとしたが、できなかった(前編冒頭)。

人生で2度目の閉鎖病棟に入った佐藤さんは、精神科医から生活保護を勧められ、申請。(※生活保護は、憲法第25条に基づく生存権を保障する制度)

60歳を過ぎた両親はすでに食堂をたたみ、市営住宅で年金暮らしをしていたため、佐藤さんを援助できるほどの余裕はなかった。

■思い込みやしがらみを捨てる

「ずっと、『自分は出来損ないなのだから、人よりも努力しなければいけない』というどうしようもなく拭えない固定観念があり、それが正しいと思っていました。頑張ること、努力すること、何かを犠牲にすることが正義であり、当たり前のことだと思っていました。でも今は、私はそう思い込むように育てられてきたのではないかと思います」

27歳頃、佐藤さんは電話で母親に、「なぜあの頃、誰も褒めてくれなかったの?」とたずねたところ、「(試合結果などを)知らなかったの」と懺悔するように答えた。佐藤さんは、「そうか。知らなかったら褒めるも祝うもないもんな」と納得した。

写真=iStock.com/Chainarong Prasertthai
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ところが、36歳の10月に帰省した時、「父だけは知っていた」ことを知った。

「顧問のT先生は、父には私の試合結果を伝えていたのです。私は『すべての元凶はこいつか』と頭に血が上り、日本酒の一升瓶を手に取ろうとしましたが、長年自分を殺し続けた理性が私を押さえつけました」

36歳の12月、日本で最も寒い町に向かったのは、父親に復讐するためでもあったのだ。

■“血の通った愛情”が感じられたら…

発達障害やLGBTで苦しんできた佐藤さんは、「私立の高校に下宿で進学させてあとは放置」というお金だけ与える“無機質な愛情”ではなく、「頑張りを認め、つらい時に寄り添う」“血の通った愛情”が感じられる両親のもとで育っていたら、その苦しみは軽減できていたかもしれない。

もちろん、共働きの両親も、生活していくために精一杯だったのだろう。だが、子どもをもうけた以上、愛情を示して育て上げる責任がある。仕事のせいで試合を見に行くことができないとしても、試合の結果を聞くことや、毎日の頑張りに気を配ることはできたはずだ。

佐藤さんは父親を憎んでいるが、母親も全く知らなかったとは思えない。試合があることを知っていたなら、結果が気にならないのはおかしい。子の頑張りを知ろうともしなかったとすれば、それは親として拭いがたい罪ではないか。

長い間、無言で「僕を見て!」と叫び続けてきた佐藤さんは、ただ叫ぶだけでは見てもらえないから、努力して、頑張って「褒めて!」と声を上げ続けた。だが、16歳で声が枯れてしまったのだろう。どう頑張っても見てもらえないなら「もう僕を見ないで!」と、物理的に見えない場所へ逃避した。

メガネ代は支給されるがスマホ代はNG

36歳で生活保護生活に入った佐藤さんは、B型作業所を経て、現在はアルバイトをして生活している。

収入が安定してきたため、4月末には生活保護を卒業する予定だ。

「ギリギリではありますが生活できるようになり、生活保護があって良かったと思います。ただ、制度の中身が古いままな部分は改正してほしいと感じます。例えば、私は目が悪いのですが、メガネが壊れたら、申請すれば保護費の他に別途メガネ代が支給されます。でも、スマホやパソコンは認められないんです」

写真=iStock.com/Ake Ngiamsanguan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ake Ngiamsanguan

生活保護費は、食費、衣料費、光熱水費など、日常生活に必要な費用全般に加え、家電(冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、エアコン等)、家具(布団、カーテン、机)、メガネなどの生活必需品は、申請して認められれば「一時扶助」として別途支給される。

かつては携帯電話は「嗜好品」と見なされることが多かったが、現在は行政もスマホを「生活必需品」として認識している。そのため生活保護受給者がスマホを持つこと自体は問題なく、通信費も「通信費」として生活扶助の範囲で支出できる。

ただ、佐藤さんのようにスマホが壊れた際の修理や機種変更については、メガネのようにはいかないケースが多い。例外的に支援されるケースもなくはないようなので、もしもの場合は、福祉事務所に相談してみることをおすすめする。

「私は、生活保護を受けていることを隠していませんが、後ろ指刺されるような経験は一度もしていません。生活保護って、不正受給とかの悪いニュースばかり目にしますが、良いニュースってほとんど見ないんですよね。もちろん不正受給はなくしてほしいですけど、もっと多くの人が気軽に利用できるようになったらいいのにと思います」

佐藤さんは、思い込みやしがらみを、少しずつだが捨てられるようになった。

■詰みかけた人生の「再スタート」

本連載ではこれまで佐藤さんを含め7人の生活保護経験者の事例を紹介してきたが、どの人も生活保護制度に救われ、一度は詰みかけた人生の「再スタート」が切れた。

「生活保護」は、利用したことがない人にとっては、自分とは無関係の遠い世界のもののように感じられる。筆者も、一度利用したら2度と戻れないのではないかという恐怖を感じていた。しかし実際に利用し、卒業した人は存在する。自分とは無関係の遠い世界のもののように感じるのは、その実態を捉え切れていないからに他ならない。

賃金は上がらず、物価が異常に高騰する昨今、生活が困窮する人の増加が予想される。

生活保護とはどんなものなのか。どんな人が利用し、どんな生活をして、どんな人が卒業し、再び社会に戻っていくのか。

生活保護の実態を明確にすることで、生活保護に対する批判や恐怖を減らし、救われる人や機会を増やしていきたい。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)