『君の名は。』新海誠の<作家的想像力>の起源とは?専門家「庵野秀明と岩井俊二を介して『90年代的なもの』が大きく横たわっており…」
2026年1月に発表された日本映画製作者連盟(映連)のデータによると、2025年の年間興行収入は2744億5200万円で過去最高となりました。「2020年代の現在、日本映画(邦画)はかつてない盛況を迎えている」と語るのは、映画史研究者・渡邉大輔さんです。そこで今回は、渡邉さんの著書『『君の名は。』は日本映画に何をもたらしたのか 庵野秀明・岩井俊二・新海誠から読み解く現代日本映画史』より一部を抜粋し、お届けします。
【写真】『秒速5センチメートル』。栃木県小山駅に掛かっている垂れ幕に「1995 2/10〜3/10」と書いてある
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「90年代作家」としての庵野、岩井、新海
「映画」ではない、何か得体の知れないものとしての「映像」が映像文化の内部で全面化してきた時代――庵野秀明や岩井俊二が仕事を開始したのは、そんな時代だった。
そしてここで、90年代をそのように定義したとき、彼らは新海誠以後の日本映画を考えるために、途端に重要な意味を帯び始めるのである。
すなわち、21世紀の日本映画の到来を告げるようにみなしうる彼らの仕事が、いずれも共通してほかならぬ90年代に、ある種の創造的出自を持っていることが重要な意味を帯びてくるのだ。
このうち、庵野と岩井に関してはいうまでもない。デジタルビデオカメラをフェイクドキュメンタリー風にいち早く活用した庵野の『ラブ&ポップ』(1998年)や、ミュージック・ビデオからテレビドラマ、そして映画へという90年代の岩井のキャリアが示す、ある意味で節操のない「軽やかさ」は、90年代当時の「映像」の前景化の空気感を如実に反映している。
ポストシネマ化の先触れ
2000年代(ゼロ年代)以降にデビューした新海については、初期の新海作品を評する批評的キーワードである「セカイ系」において、その作家的想像力の起源には庵野と岩井を介して「90年代的なもの」が大きく横たわっている。
なるほど、新海の代表作のひとつで、2025年には実写映画化もされた『秒速5センチメートル』(2007年)の一挿話「桜花抄」の時代設定は、まさに阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起き、庵野と岩井が相次いで脚光を浴びた95年でもあった【下図】。
つまり、16年以降に現れた「『君の名は。』以後の日本映画」の内実とは、いわば日本に「映像」の前景化をもたらした「90年代」という「抑圧されたもの」の回帰であったと捉えられるだろう。

『『君の名は。』は日本映画に何をもたらしたのか 庵野秀明・岩井俊二・新海誠から読み解く現代日本映画史』(著:渡邉大輔/星海社)
この時代に前景化していった多種多様な「映像」とは、21世紀以降に全面化するポストシネマ化の先触れであったわけだ。
90年代の「トラウマ」
しかし、それ以前の「映画」(フィルム)の秩序がいまだ根強いリアリティを維持していたために、つい最近まで、「映像」という新たな論理は興行や批評の現場で抑えつけられていた。
16年に『君の名は。』や『シン・ゴジラ』の大ヒットとして起こったのは、いわばそうした「映像」という90年代の「トラウマ」がはっきり解放されたという徴候的な事態ではなかったか。
90年代のある一部の邦画たちは、その意味で、日本映画史におけるひとつの「トラウマ」になぞらえられるだろう。
※本稿は、『『君の名は。』は日本映画に何をもたらしたのか 庵野秀明・岩井俊二・新海誠から読み解く現代日本映画史』(星海社)の一部を再編集したものです。
