現在は重度訪問介護を専門とする会社で働く酒井隆成さん

写真拡大 (全5枚)

「トゥレット症」は、自然に身体が動いてしまう「運動チック」と、自分の意思に反して声が出てしまう「音声チック」が1年以上持続すると診断される。小学3年生の時にトゥレット症を自覚した酒井隆成さんは「僕の場合、ADHDや強迫性障害、汚言症といった併発症があるのですが、アメリカの学校では驚くほどすんなりと受け入れられました」という――。

※本稿は、酒井隆成『トゥレット症の僕が「世界一幸せ」と胸を張れる理由』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

撮影=扶桑社
現在は重度訪問介護を専門とする会社で働く酒井隆成さん - 撮影=扶桑社

■くしゃみと同じように止めるのが難しい

チック症は日常生活において、さまざまな負担を与えます。

まず、代表的な負担は心身的な不快感でしょう。

チック症は不随意(ふずいい)運動と呼ばれる運動の一種で、自分の意思とは関係なく勝手に動いてしまうという特徴があります。ものすごく集中して頑張れば動作を止められることもありますが、大半の場合は止めることは困難です。

みなさんは、“くしゃみ”を、自分の意思で止めたことはあるでしょうか?

頑張れば自分の意思でくしゃみは止められるかもしれませんが、かなりの努力が必要だし、無理に止めた場合は不快感も残るし、反射的に出てしまうものなので、毎回止められるものではないと思います。

■激しい運動チックで骨折することも

チックの感覚をあえてお伝えするならば、「くしゃみが出る!」と感じたときの感覚が、身体中にずっと続いているような状態を、何十倍も不快にした感じ。それがチックの症状に近いのではないでしょうか。

チック自体による不快感のほかに、運動チックによって自分で身体を傷つける自傷行為に加え、意図しない力が身体にかかることでの関節や筋肉の痛み、音声チックで声を出し続けることによる喉の痛みなども発生します。人によっては、激しい運動チックが発生して、骨を折ってしまうこともあります。

それに加えて、チックで身体が動き続けると、普通の人よりも運動量はかなり多くなり、とにかく体力を消耗します。そのため、一日の終わりにはぐったりしてしまいます。

■「いつ症状が出るか…」というストレス

チックによって感じるこうした身体の不快感以外にも、この症状が続くことによって生まれる日常生活での困りごとがたくさんあります。

たとえば、僕のように重度の運動チックを持っている場合、日々の満員電車は地獄以外の何物でもありません。混んでいる電車内で勝手に腕などが動いたら、隣の人にドーンと身体が当たってしまうかもしれません。ひどいときは、気が付いたら、友人の腕や肩をバーンと叩いていたこともありました。

どんなに気を付けていても、チックの衝動が込み上げてきたら、たいていの場合は止められません。

だから、「いつ症状が出てしまうんだろう」と考えると、ドキドキして、電車に乗るだけでもひどいストレスにさらされます。

そのほか、日常生活で困ることの一例は、手がチックの症状で震えてしまうため、きれいに文字が書けないこと。さらに、手を机などに打ち付けてしまうので、文房具を壊してしまうこともしょっちゅうです。

■さらに困るのが強迫性障害などの併発症

僕は絵を描くのが趣味で、デジタルで絵を描くペンタブ専用のペンを使っていたのですが、ひどいときは一日二本ほど壊してしまうことがありました。

デジタルペンは安くても2〜3千円するので、1週間に5〜6千円分くらいペン代に費やすことも……。鉛筆で書けば安く済むのかもしれませんが、鉛筆だとますます芯も折れやすいし、折れた鉛筆を削るのも一苦労なので、デジタルペン以外はなかなか使いづらいのです。

そうした社会生活での不便さのほか、意外と厄介なのが併発症です。

トゥレット症には、チックの症状以外にもなんらかの併発症が含まれることが多いのですが、類にもれず、僕にもADHD(注意欠陥・多動性障害)や強迫性障害などの併発症があります。

特に困るのが、強迫性障害です。これは、やらなくてもよいような行動を、ついやりたくなってしまう衝動のこと。たとえば「鍵を閉めたか、閉めてないかが常に気になってしまう」「ガスの火を消したか、消してないかを何度も確認しに行ってしまう」などが代表的な例です。

■突然中指を立てたり、「バカ」と言ってしまう

そして、僕の場合は、「やってはいけない状況で、やってはいけないことをしたくなる」という、悪魔的な強迫性の衝動があります。

一時期とても困ったのが、目の前にいる人に対して、突然中指を立てたくなってしまう衝動です。ご存じの通り、相手に中指を立ててみせれば、当然相手の心証が悪くなります。僕の病気について知っている人でも、「なんでいきなり中指を立てられなきゃいけないの?」と戸惑っている姿を、何度も見たことがあります。

最近は、その衝動が浮かんだときは、中指以外の指も伸ばして、ストレッチをしているように見せかけてフォローしていますが、無意識のうちに中指を立てていないかという不安はいつもつきまとっています。

それだけでなく、「バカ」「死ね」などの汚い言葉を口にしてしまう「汚言症(おげんしょう)」なども、僕が持っている病気のひとつ。僕の病気について知らない人の前で出てしまったら、「ケンカを売られたのか?」と誤解されてもおかしくありません。

こうした症状は、周囲とのコミュニケーションに大きな亀裂を生むため、僕を含むトゥレット症の当事者が社会生活を送るうえで非常に大きなハードルになっています。

■最高の状態で中学生活のスタートを切ったが…

中学校に上がった後、僕のチック症はどんどん悪化していきました。

しかし、親や先生など、周囲からの配慮のおかげで、中学校のクラスは、小学校からの友達がたくさんいる状態で進学することができました。環境の変化によって症状が悪化しがちなトゥレット症ですが、周囲の友達のサポートもあって、入学してすぐに新しいクラスメイトともうまくなじむことができたのです。

当初は「きちんと周囲に受け入れてもらえるだろうか」と心配していた僕の病気についても、クラス内ではひとつの個性やトレードマークとして認識されていました。

たとえば、仮に「うるせえ!」「なんだお前」などと言ってはいけない言葉を口にしてしまう汚言症が出たとしても、「酒井がまた変なこと言ってるよ!」とみんなが面白がってくれる。自分で言うのもなんですが、ちょっとした人気者みたいな雰囲気すらありました。

考えうるなかで最高の状態で中学生活のスタートを切った僕でしたが、その1カ月後、それは突然の終わりを迎えます。

父親の仕事の関係で、突然アメリカに引っ越すことになったからです。

写真=iStock.com/ferrantraite
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ferrantraite

■両親と妹と一緒にロサンゼルスに移住

最初、僕は「行きたくない!」と両親に強く抗議しました。せっかく仲良くなったクラスメイトと離れたくなかったことに加えて、クラスには僕が小学校のころから片思いしていた女の子もいたからです。中学校に上がってからようやく両思いになれそうな気配があり、いま、ここで彼女と離れたくないとも思ったのです。

また、ちょうどその年に地域で有名な進学校に進学したばかりだった兄は、いまから学校を変えるのももったいないという理由で、そのまま日本に残ると決めていました。「お兄ちゃんが残るなら僕も残ってもいいじゃないか」と強く訴えましたが、両親としては一番手のかかる僕を日本に置いていくという選択肢はなかったのでしょう。

僕の必死の抗議もむなしく、両親と妹と一緒に僕は日本を離れ、中学1年生の6月にアメリカのロサンゼルスに移住することになったのです。

しかし、そんな「行きたくない!」と言っていたアメリカで、僕は日米における衝撃的な価値観の違いを目にすることになりました。

写真=iStock.com/choness
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/choness

■僕の病気は驚くほどすんなりと受け入れられた

中学1年生の6月ごろ。日本から、アメリカへの引っ越しによる環境の変化はとても大きなストレスでした。

英語も喋れなかったので、言葉も通じなければ、友人関係もリセット。文化も、なにもかも違う。しかし、僕を日本人学校に行かせる選択肢は、両親にはなかったようで、日本での授業にもついていけるように週2〜3回塾に通いつつ、現地校に通うことになりました。

現地の子ばかりで全くなじめないのではないかと不安だったのですが、いろいろな国籍や人種の人々が集まるロサンゼルスという土地柄もあってか、僕のようなアジア人をはじめ、多様な生徒がいたので、日本人である僕が悪目立ちすることはありませんでした。

最初のころ、とにかく大変だったのは、英語ができないことです。学校の授業には、正直全然ついていけていなかったと思います。

しかし、一番心配していた僕の病気については、アメリカの学校では、びっくりするほどすんなりと受け入れられました。

■学校側は細かいことは質問せず「わかりました」

特に驚いたのが、学校側の受け入れ態勢についてです。

日本では、仮に僕が新しい学校に入る際は、両親がまず学校側と「こういう病気があるので、こういう対策が必要になると思う」と先回りして相談し、受け入れ態勢について話し合うという流れを取る必要がありました。

一般的にはわかりづらい病気なので、学校に受け入れてもらうまでには、なかなかいろいろな折衝が必要になりました。その点では両親にはとても負担をかけたと申し訳なく思っています。

一方、アメリカの学校に入る際、父親が頑張って僕の症状を英語の書面にして、「この子はトゥレット症で、授業中に声を出したり、身体が動いてしまったりする病気である」と伝えたら、学校側は細かいことは質問せず、「あぁ、そうなんですね。わかりました」と極めてすんなりと受け入れてくれたのです。

写真=iStock.com/monkeybusinessimages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monkeybusinessimages

■他人の病気をああだこうだ言う文化がなかった

いざ、入学初日。授業が実際に始まると、その冒頭で先生がさらっと「新しく転校生が来ました。この子はこういう病気だから声が出たり、動いたりします」と説明しただけで、僕の紹介は終了。その後は、普通に授業が進められました。

生徒側もその説明を聞いた後は、授業中に僕が声を出そうが、身体を動かそうが、みんな振り返りもせず、全く気にしないままに授業に取り組んでいました。

一度僕が授業中に音を出して、あまりに騒がしかったときに、クラスの女の子から「ちょっと静かにしてよ」と言われたこともありましたが、それでおしまい。

学校で出会った子たちに、「僕は勝手に声が出てしまう病気なんだ」と伝えても、「ふーん。そうなんだね」と言って大半の生徒はそれで何も気にしません。

いま思えば、アメリカでは、個人を強く尊重する文化があるので、他人の病気をああだこうだ言う文化がなかったのでしょう。

もちろん、たまたま僕が行ったエリアがカルフォルニアのロサンゼルスといういろいろな人が住む大都会であり、多様性への寛容な考え方が根付いている人たちが多かったというのも主な要因だと思います。もし、差別が横行している地域であれば、こんな風にストレートには受け入れてもらえなかったかもしれません。

病気はひとつの個性であり、特別扱いしない

そんな恵まれた環境で学校に通えたおかげで、僕の病気について何か言う人間はほとんどいませんでした。

仮に事情を知らないほかの生徒から「お前はなんでそんな風に声が出るんだ?」「どうしてリュウセイは身体が動くんだ?」とからかわれたとしても、「こういう病気なんだ」と説明したら、それ以降同じ話題について相手は触れてこない。たまに、それでも病気について突っ込んでくる人がいたら、周囲の生徒たちが「彼は病気なんだからそういうことを言うな」と率先して反論してくれるような雰囲気もありました。

酒井隆成『トゥレット症の僕が「世界一幸せ」と胸を張れる理由』(扶桑社)

このアメリカでの経験で、僕が抱いていた障害に対する価値観はだいぶ変わったと思います。

僕が出会ったアメリカ人の生徒たちは「そういう病気を持っているのはひとつの個性であって、本質はまた別のところにある」という考えを持っていて、受け入れている。

誰もが「病気があるから、なに?」という姿勢を貫き通していて、チックの症状を持つ僕を決して特別扱いするわけではないけれども、必要な配慮はしてくれるという、非常にほどよい距離感を保ってくれました。

日本でそんな対応に出会ったことは一度もなかったので、こうした生徒たちの様子を見て、「この国はすごいな、なんなんだ!」とかなり衝撃を受けました。

----------
酒井 隆成(さかい・りゅうせい)
会社員
トゥレット症の当事者として啓発活動に取り組む。2019年、桜美林大学在学中に出演したAbema TVの番組が話題に。以来、マスメディアの取材や自身のYouTubeなどで発信をしたり、講演会に登壇したりするなど、トゥレットの日常や経験を伝える精力的な活動をおこなっている。大学卒業後、就職活動を経て2023年より重度訪問介護を専門とする株式会社マツノケアグループに入社。
----------

(会社員 酒井 隆成)