簡単には勝てないと思っていた。苦戦が囁かれてはいた。

 それにしても、予想できなかった結末である。

 なでしこジャパンがリオ五輪出場を逃した。

 短期決戦の危うさにのみこまれてしまった、との印象は拭えない。前回のコラムでも触れたが、オーストラリアとの初戦の敗退は、様々な意味で計算を狂わせてしまった。
 
 中1日の連戦を乗り切るためにも、佐々木則夫監督はローテーションを考えていたはずである。彼我の力関係を考えると、オーストラリアとの初戦と中国との第3戦をベストメンバーで臨み、韓国との第2戦とベトナムとの第4戦はメンバーを調整して戦う、というシナリオを思い描いてはずだ。北朝鮮との第5戦まで出場権がもつれたら、総力戦で乗り切ると。
 
 オーストラリア戦は、勝点1でも良かっただろう。まだ初戦である。「勝点1をつかんだ」と、気持ちを切り替えることができたはずだ。

 ところが、オーストラリア戦で「0」で終わってしまったために、韓国との第2戦には必勝態勢で挑まなければならなくなった。主力を温存できなくなった。それにもかかわらず、引き分けてしまった。ゲームの経過としても、勝点3を取り損ねたという内容である。

 ベストメンバーで臨むことが前提だった中国戦を前にして、主力選手は心身ともに疲弊してしまっている。だが、佐々木監督にすれば、いまさら戦略を変更することもできない。フレッシュな状態になりきれないチームに、中国に抗う力は残っていなかった。

 リオ五輪の出場権を逃したことで、チームは批判にさらされている。結果を残せなかった原因を探るのはメディアの役割だが、違和感が拭えない。まるで犯人捜しをしているかのようだ。佐々木監督が嫌悪感を示したのも当然だっただろう。

 3人集まれば、2対1に意見が別れるものだ。なでしこジャパンというグループに、意見の衝突があってもおかしくない。

 大切なのは敗戦の本質である。

 誰と誰がぶつかっていたとかという局地的な対立をほじくり返したところで、予選敗退の検証にはならないだろう。それでも対立関係を強調したいのであれば、対立の原因を明確にすることだ。

 彼女たちは代表選手である。国を背負う重みを知っている選手たちだ。個人的な感情が先走り、それが勝敗に影響を及ぼすとは、僕には思えないのである。

 もうひとつ考えたいのは、佐々木監督のチームが残してきたものだ。

 2008年の北京五輪ベスト4にはじまり、11年のW杯優勝、12年のロンドン五輪銀メダル、15年のW杯準優勝と、なでしこジャパンは好成績を残し続けてきた。世界大会で3大会連続のファイナリストになるのは、大げさではなく偉業である。

 U−23日本代表が1月にアジア王者となるまで、男子サッカーは明るい話題を提供できていなかった。沈滞ムードが明らかなサッカー界を支えてきたのは、なでしこジャパンだったことを忘れてはならない。

 リオ五輪は逃したが、4年後の東京には出場できるのだ。ゴシップのような扱いで最終予選を終わらせず、しっかりとした検証のもとでいち早くリスタートを切るべきだと思うのである。