【戸塚啓コラム】コンセプトの徹底
怖かった、と岡田武史監督は語った。
「最初に引き受けた時点で、キリンチャレンジを2試合やって、タイとのW杯予選だと。予選なわけですよ。ムチャクチャ怖いわけですよ。それも、オフ明けですから。まずはコンディショニングをやらなきゃいけない。そんな状況で、『よし、これからはこういうサッカーをやるぞ』って言ったら、チームが大混乱するんじゃないかと。だから、いままでどおりの流れでやろうと。それでも、このグループならいけるだろうと」
バーレーン戦から2か月後の08年5月のキリンカップでは、川口能活、鈴木啓太、中村憲剛、巻誠一郎らがスタメンから外れた。いずれもオシムのチームではレギュラー(またはそれに準ずる立場)だった選手である。コンディションがいまひとつ上がっていない高原直泰も、ベンチスタートとなった。
代わって先発に躍り出てきたのが、長友佑都や玉田圭司であり、中村俊輔(当時セルティック)、長谷部誠、松井大輔らの海外組だった。香川真司や本田圭佑らの北京五輪組も、この時期に代表デビューを飾った。「戦術も含めて色々と変えて、それをトレーニング、試合と一カ月間、続けることができた。キリンカップ2試合と3次予選5試合を戦った、あの1カ月がなかったら……。いまはないと思う」と、のちに岡田監督は明かしている。
3次予選を首位で通過した2か月後、日本代表はウルグアイとのテストマッチに臨む。およそ2週間後に控える最終予選第1戦へ向けて、「選手たちに代表チームのやり方を思い出してもらう」(岡田監督)ための機会である。
中村俊や長谷部らの海外組が招集されなかった一方で、指揮官は小野伸二(当時ボーフム)を初めて呼び寄せている。セリエAのトリノから東京ヴェルディへ移籍した大黒将志も、札幌ドームを舞台とするこの一戦に招集されている。さらに、高木和道(当時清水エスパルス)と青木剛が代表デビューを飾った。就任直後の指宿合宿で語っていた、「35人ぐらいのグループ」を作るためのテストだったのだろう。
結果は1−3の完敗だった。この試合で岡田監督は、ロイヤリティの薄さを痛感する。
「こいつら、メンバーに選ばれたから来て、こういうサッカーをやるぞと言われたから、試合に出ろと言われたら出ている。そして、負けて自分のチームに帰ります、と。何かこう、淡々とやっているわけですよ。代表チームが自分のチームという意識がまったくなかった」
代表チームの調子が良くないときには、できるだけ関わりたくない。泥船に一緒に乗りたくない──現役時代の自分も感じたことがある。いずれにしても、この状況で来るべき最終予選を迎えたらいけない、ということだけは確かだった。
「これはどうしてだろうと思ったときに、共通の目標なり考え方がないからだろうと。それで、次の合宿で選手に、『オレは本気でベスト4を目ざす。本気で目ざしてみないか』と話したんです。本気で目ざすというのは、そこそこの試合をして、Jリーグを何となくこなして、なんてことじゃいけないぞと」
3次予選のバーレーン戦に続く転機を迎えたチームは、ここから最終予選を力強く突破していく。南アフリカへの道のりは決して平坦でなかったが、選手たちの意識は確実に変わっていった。
「お前らにその気がないだけだ、そんな話もしましたね。本気でチャレンジをする選手が出てくると、色々なものがパッ、パッ、と変わってくる。チームへのロイヤリティだけじゃなくて」