「簡単なはずの手術」で最愛の妻が帰らぬ人に…遺族が怒りの告発「私は南相馬市立総合病院を許さない」

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院長の暴言で法廷トラブルに発展

「あんな病院に行きさえしなければ、妻が死ぬことはなかった……」

福島県南相馬市で建設業を営んできた森哲芳さん(78)は、そう言って唇を噛んだ。妻の朝子さん(享年68)が手術後に死亡したのは病院のミスによるものだったとして、森さんは運営する市と当時の院長だったA氏に1億1732万円の損害賠償を求めている。

悲劇が起きたのは’21年3月。東日本大震災時に「陸の孤島」と化した南相馬で、地域医療の最後の砦となった南相馬市立総合病院だ。福島第一原発から最も近い病院として何度も報道されたこの場所で’21年当時、A氏は院長を務めており、朝子さんの主治医でもあった。

朝子さんに物忘れが増えたのがことの始まりだった。複数の病院で「異常なし」と診断されたが、A氏は「脳に動脈瘤があり、明日にも破裂して死ぬ危険性がある」と宣告。カテーテルを使って動脈瘤内に細いコイルを詰めて血液の流入を妨げ、破裂を防ぐ手術を勧められた。A氏は森さん夫妻に「30分で終わる簡単な手術で、すぐに大好きなパークゴルフに行けますよ」と説明したという。

朝子さんは全国大会で2度も優勝するほどパークゴルフに情熱を注いでいた。

「入院の日、退院後すぐにコースに出られるよう、妻は車のトランクに愛用のクラブを積み込んでいました」(森さん)

若い頃、家計を支えるために進学を諦めて理容師となった朝子さん。交際中からずっと夫の髪を切り続け、「俺は床屋なんて行ったことがねえんだ」と笑う森さんにとって、彼女は人生のすべてだった。

手術当日の’21年3月2日、午前10時過ぎ、朝子さんから届いた〈お昼前に手術室へ行くようです〉というメールが最後のメッセージとなった。午後1時半前に始まった手術は、30分はおろか、数時間が経過しても終わらない。午後4時過ぎに院長室に呼ばれた森さんに告げられたのは、信じがたいほどに軽い言葉だった。

「いやぁ、旦那さん、ごめんね。くも膜下出血になっちゃった」

動転しながらも詳しい説明を求めた森さんに、A氏はこう言い放った。

「あんた、くも膜下出血ってわかんの」

小馬鹿にするような態度だったという。夕方6時半ごろ、再び呼び出しを受けて手術室に向かうと、入り口の前で血だらけの手術着をまとったA氏が立っていた。床には血が滴り落ちている。そこで森さんは、こう同意を迫られたという。

「奥さんを助けるには、脳の3分の1を切って捨てないとダメだ」

脳を捨てる――すぐにその意味が理解できず、ただただ恐怖にかられた。目の前の血まみれの主治医に「助けてください」と泣きつくことしかできなかった。

「だから謝ってるだろう!」

手術から17日後の3月19日、朝子さんは一度も意識を取り戻すことなく亡くなった。遺体を清拭していると、壊死した皮膚や肉がボロボロと崩れ落ちた。「なぜ30分で終わる手術が脳摘出という大ごとになったのか。医療ミスがあったのではないか」。変わり果てた妻の姿を前に、そんな疑念が森さんの心に生じた。

「看護師さんたちも泣いていました。『見てられない、可哀想だ』って。安置所で妻に合掌した時、A氏は私ら家族の前で頭を下げて、はっきりとこう言いました。『医療事故でした』と……」(森さん)

ところが後になって、A氏は術中の出血はあくまでも不慮の事故であり、対応は適切だったと主張。「医療事故」との発言も「言っていない」と否定した。

だが、思わぬ形で疑念は深まった。自身の持病の診察でかかりつけの別の病院を訪れた際に、医師や看護師からこんな声を聞いたというのだ。

〈なんであんな危険な手術をしたの〉

〈市立病院の手術室では「ひどい治療だった」と噂になっている〉

森さんがこれらの言葉の真偽を問うと、A氏は激昂したという。

「誰がそんなことを言っているんだ! その医師や看護師の免許を剥奪し、慰謝料を取ってやる。裁判にかけるぞ!」

実際、「情報源を教えろと何度も迫ってきた」と森さんは言うのだった。後に設けられた病院側と遺族の話し合いの場で誠意ある説明を求めた際にも、A氏はこう声を荒らげたという。

「だから、何度も謝ってるだろう!」

心無い言葉に、同席していた息子が殴りかかろうとしたこともあった。

両者の主張は平行線をたどり、森さんは’24年12月に損害賠償請求訴訟を提起。準備手続きは10回を超えている。

そんななか、新たな疑惑が浮かび上がった。未破裂脳動脈瘤に関するガイドラインによると、朝子さんのケースにおける手術中の破裂や出血性合併症のリスクは5%と高危険群に位置していた。高齢だったことを考えると、「決して簡単な手術とは言えないものだった」と森さんら遺族は主張する。

実際、森さんが入手した市立病院の『患者診療記録』には、術中にカテーテルが正常な血管を破ったことで、2時56分にくも膜下出血を確認したと記されている。すぐに開頭手術を行う必要があったが、麻酔医を帯同していなかったため、4時41分にようやく麻酔が施され、手術が始まったのは5時過ぎだった。

「他の医師によると、妻のケースの動脈瘤の年間破裂率は多く見積もっても0.9%で、手術の必要性は限りなく低かったそうです。『麻酔医が待機していなかったことも問題で、不要かつ危険性の高い手術』という見解でした」(森さん)

病院側の見解はどうか。手術のフローやA氏の言動などに関して事実関係を問うたところ、「診療内容等に関連するほか現在進行中の訴訟案件に関わるものであり(中略)回答を控えさせていただきます」との返答があった。

A氏は’25年3月末に任期満了で院長を退任した後、顧問として病院に残りながら、市の地域医療政策監なるポストにも就任している。この役職は同年新設されたものだという。森さんが憤る。

「こんな人が医療従事者として残り続けていいのか。A氏の罪を明らかにして、妻の無念を晴らしてやりたい」

震災から15年。あの時、地域を守った「希望の灯」は、燻ってしまったのか。

『FRIDAY』2026年3月27・4月3日合併号より

取材・文:甚野博則(ノンフィクションライター)