それが病人の顔です。医師たちは患者の部位や数値が表示されているモニターだけを見ていたのです。全部がそうだとは言いませんが、患者さんがどんなに偉い社長であろうと、政治家であろうと、医師たちの目は患部やモニターに向いてしまっていて、死んでいく患者の顔をあまり見ていなかったのです。忘れられているということです。

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尊厳死・安楽死はタブー

 ── 例えば、診察のときでも患者の顔を見ないでパソコンの画面だけを見ながら病状を説明する医師もいますね。

 倉本 そうですね。僕が顧問を務める日本尊厳死協会は超党派の国会議員と連携して尊厳死に関する議員立法を何度も試みたのですが、全部、途中で潰されてしまいました。やはり尊厳死・安楽死はタブーなんだと思います。だから、誰もそこに突き進んでいかないのです。

 ── 海外ではどうですか。

 倉本 全てを調べたわけではありませんが、尊厳死や安楽死を認めている国はどんどん増えてきています。スイスやスウェーデンだけでなく、韓国もそうです。各国で今の世の中に即応した物の考え方に思考が変わってきているはずなのですが、日本は全然変わっていません。

 ── 物事の本質・核心に触れる議論は避けていますね。

 倉本 ええ。いま医療崩壊が起きて病院に運ばれずに救急車の中で亡くなるとか、自宅で亡くなるといったことが起きていますが、僕はそういった人たちの死に方がどういう死に方なのかと想像してしまうんです。しかし、マスコミはそういう人たちの苦しみ方を報じません。

 だから、若い人たちも自分が病気にかかったときに、どう苦しむのかというのを想像できない。実際にそれを見ていないからです。それで街に出て路上飲みなんかをしてしまうんです。

 ── 社会の一員であるという意識が希薄なのでしょうか。

 倉本 自覚がないのでしょうね。これがどこからきているかと考えると、僕は終戦直後の民主主義が入ってきたときに間違ったんだと思うのです。民主主義は権利と義務という両輪で成り立っていますが、それまでの日本では権利・主張が認められてきませんでした。義務、義務で終戦まで来ていたのです。

 ところが戦後になって突然、権利・主張が認められるようになった。それが嬉しくて、みんなが飛びつく。その結果、個人の自由が叫ばれて、みんなが権利に飛びついたわけですが、一方で義務を忘れてしまった。

 ですから、今の日本というクルマは「権利」という右車輪だけが大きくて「義務」という左車輪がどんどん小さくなっている。そんなクルマは1カ所をグルグル回るだけになります。

 ── ゴールデンウィークも自宅にいることが我慢できずに外出する人が多かったですね。

 倉本 やはり「死」という現実を知らないからでしょうね。国というものをもっと厳然と考えていたならば、そんなことはしないと思います。ですからよく「経済」と「命」を「アクセル」と「ブレーキ」という言葉で表現するんでしょうね。

 日本というスーパーカーができてしまったわけだけれども、このクルマにはブレーキを踏もうにも、そのブレーキがどこにあるか分からない。もう1つ言えば、完全に付け忘れた部品がある。それがバックギアだと思います。僕がテレビドラマ『北の国から』で言いたかったところはそこなんです。

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5合目から登る富士山

 ── これは自らの行為を止めるということですか。

 倉本 例えば、カーボンニュートラルという脱炭素。これは温室効果ガスを減らすことですが、そのためにはCO2の吸収量を増やすか、排出したCO2を除去するかの2つの方法があります。しかし、いま政府が考えているのは除去する方法です。

 肝心の吸収するための森を育てるということが抜けている。例えば僕らは10年間かけて植林を行い、34㌶の土地に7万本の木を植えました。だけど、これに対する国の助成金は一銭も入っていません。そして、林業に興味を持っている若者も増えているのですが、チェーンソーで木を切ったり、木材を作ることが林業だと誤解しています。

 ── 育てるとか植えるということではないんですね。

 倉本 コツコツと種を拾い、それを植えて育てていくという作業を考えていないのです。その作業には人件費がすごくかかる。だから、僕らはその人件費を捻出するためにスポンサー探しをしなければならない。本来であれば、国がお金を出すのが当たり前なのですが、出してくれない。種苗会社などに流れてしまっているのです。

 ── 肝心なところ、つまりは本質を見ていないと。

 倉本 そう思いますね。富士山を見ていても、みんな5合目まで車で登ってしまいます。そして、5合目から頂上まで歩いて富士登山をしたと言っていますが、まさにこれは5合目が発想点になっているんです。

 だけど、5合目というのは標高3776㍍の富士山のうちの2400㍍の地点。ですから、1300㍍しか自らの足で登っていないのです。1合目でさえ、標高1300㍍です。本当に3776㍍を歩こうとしたら、海抜ゼロの海、駿河湾から歩かないといけません。そこから物事も考え直さなければならない。

 ── 発想する起点をもう一度、考えるべきだと。

 倉本 ええ。つまり、もう一度、原点に戻って考えたら、須走口、御殿場口、吉田口、富士宮口という、いまある4つの登山口以外の新しい道が見つかるかもしれないし、新しい発想点ができるはずじゃないですか。

 だから、僕がいつも物を考えるとき、あるいは作品をつくるときは、ゼロから再考することを考えるのです。それは海抜ゼロから再考するということです。その思想が全くないのです。みんな5合目から物事を考えて発想してしまっているのです。

 ── 科学文明の力も借りて5合目なんですよね。

 倉本 そうなんです。

 ── 本来であれば、ゼロ地点からスタートすべきだと。

 倉本 はい。今の日本の仕組みでは知識をいっぱい知っている人間が偉いんです。でも、知恵を持っている人間がもっと尊ばれなければいけません。それなのに、知識を持っている人間が偉くなり過ぎています。

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40周年を迎える『北の国から』主人公・黒板五郎の死

 ── 「死」をどう考えるか、そしてこの富士山の話と、全てがつながってきますね。

 倉本 ええ。実は今年は『北の国から』が放送開始40周年に当たります。10月に向けて最後のドラマを書いているんです。それは主人公の黒板五郎が死ぬドラマです。黒板五郎は自分から山に入って死ぬんです。それで、自分の肉が動物たちに食われ、骨は微生物が分解する。

 そして、完全に自分の身がなくなったときに、自分の死を全うする、自分の生が終わるという哲学、自然の循環の中で完結しようというのが黒板五郎の人生哲学なんです。でもこれはオンエアしません。富良野でのイベントやユーチューブで流そうかと思っているところです。

 ── 黒板五郎の精神が海抜ゼロの再考になるわけですね。

 倉本 まさにそうです。それが昭和の発想だと僕は思っています。明治、大正を経た昭和です。幕藩体制が終わって日本は始まりました。ですから、最初は乱暴な戦争を仕掛けたりした。それが戦後になって平成・令和になったときに考え直すときにきた。その間に、ちょっと変な考え方をいっぱい取り入れてきてしまったんですね。

 その歪みが今になって出てきたわけです。ですから、ゼロからもう一度、物事を考え直す。それが我々、日本人に求められているのではないでしょうか。

【私の雑記帳】『財界』主幹・村田博文