吉田沙保里

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10日放送、日本テレビ「news zero」に、現役引退した女子レスリング吉田沙保里が出演。引退会見でも触れることのなかった「最も影響を受けた選手」について語った。

33年にわたるレスリング選手人生を終えた吉田。キャスターの有働由美子から精神的に最もつらかった時期を問われると、吉田は「びっくりされると思うんですけど」と前置きしたうえで、2012年のロンドン五輪のころが「一番調子が悪かった」と答えた。

レスリングの調子が芳しくなく、加えて「旗手は金メダルを獲れない」というジンクスもあり、吉田は「3連覇したいという思いと、どうにかメダルが獲れたらいいという思い」のはざまで、初めて「今回は金メダルを獲れないかも」と思ったという。

だが、吉田は「ここに何をしに来たんだ、勝ちに来たんだ、戦いに来たんだ。3連覇をしに来たんだ」という強い気持ちで「自分を信じて戦った」。結果、見事に金メダルを獲得。吉田は「優勝できると思っていなかったので、優勝できて、父も肩車できて最高でした」と振り返った。

一方で、最も影響を受けた選手には、引退会見で話したかったにもかかわらず、質問されず機会がなかったという人物の名前を挙げた。2学年上の山本聖子(現姓ダルビッシュ)だ。

中学以降の対戦成績は5勝5敗。だが、吉田は山本が「ずっと勝てなかった相手」「雲の上の存在」で、名前を聞けば戦う前から勝てないと感じたほどだったと話す。

レスリング人生で最も印象に残っている試合も、山本と戦った一戦だった。2003年の全日本選手権決勝、勝ったほうが女子レスリング初の五輪に出場できるという天覧試合だ。吉田は「一番のライバルであった山本選手に勝った瞬間は、『これで代表になれる』とうれしかった」と振り返る。

2008年のワールドカップ団体戦で吉田が初めて外国人選手に負けた時には、山本から「沙保里が今でも私の中で一番強い選手だと思っている。北京で金メダルを獲ってね」とメッセージが届いたという。

当時、連絡先を知らなかったにもかかわらず、知人を介して励ましの言葉を寄せてくれたことに対し、吉田は「背中を押してくれた言葉だった」と感謝した。