どん底の森崎浩司を救った、森保一監督とふたりだけの早朝ランニング
■引退・森崎浩司@後編
今シーズンかぎりでの現役引退を決意したサンフレッチェ広島のMF森崎浩司には、これまでのキャリアのなかで、双子の兄・森崎和幸とともに、感謝したい人がいた。その人こそ、現監督の森保一である。10分間の引退スピーチでは語ることのできなかった、森保監督との知られざるエピソードとは......。
あれは、サンフレッチェ広島がJ1連覇に向けて戦っていた2013年シーズンのことだっただろうか。前年に森保一監督が就任し、J1初優勝の瞬間を双子の兄・森崎和幸とともにピッチで迎えた森崎浩司のキャリアは、まさにその人生において最高潮にあった。
ただ、チームがJ1連覇を達成した2013年シーズン途中、浩司はケガがきっかけとなってコンディションを崩すと、ふたたびオーバートレーニング症候群に陥った。そして、ついには練習にも行けなくなり、休むようになった。本人が当時をこう振り返る。
「J1で初優勝したシーズンは、まったく疲れを感じない状態だった。それ以前もコンディションを崩して1年近く試合に出られない時期があったけど、あんなに苦しい経験をすることは、もうないだろうという思いが自分のなかにはあった。まさに、それが過信でした」
2005年に初めてオーバートレーニング症候群の兆候が現れてから、これで何度目の離脱だろうか......。ひどいときには日常生活はおろか、生死の縁を彷徨(さまよ)ったこともある。それだけに、ふたたびピッチに戻るのは難しいのではないかと、朦朧(もうろう)とする頭のなかで考えていた。
「自分としては、そのときも"引退"の二文字がチラついていた。同じ症状になるカズ(和幸)には、どん底に落ちる前から『今の状態が普通だと思え』って言われていたのに、それを僕は受け入れられなかった。身体もどんどんしんどくなっていくから、今回はもう、ちょっと無理だろうなって思っていた。正直、本音を言えば、あきらめていた部分もありました」
ただ浩司は、妻に「そこで休んだら本当に終わっちゃうよ」と言われ、重い身体を引きずりながら、自宅近くをランニングすることだけは続けていた。そこには「自分の意志はなく、周りの人の支えや助けがあったから走ることができた」と振り返る。
そんな浩司を支えてくれたのが、妻や兄・和幸とともに、チームを率いている森保監督だった。あるとき浩司は指揮官から、「何かあったら、いつでも相談に乗るからな」と言われた言葉を思い出した。そこで森保監督に電話をすると、思い切ってお願いしたのだ。
「森保さん、朝、一緒に走ってもらえませんか?」
体調や気分がすぐれないため、チームメイトには顔を合わせづらい。むろん、全体練習に参加できる状態にもない。だから、他の選手たちが練習場に来る前にグラウンドを走ろうと考えた。ただ、ひとりではきっと続かなくなる。さすがに練習がある兄・和幸には頼れない。悩んだ末に浩司が救いを求めたのが、他でもない森保監督だった。
「いくらでも付き合うよ」
指揮官は明るく答えてくれた。それから浩司と森保監督は、午前10時から始まる全体練習より3時間も前にグラウンドで待ち合わせると、30分間のランニングをともにした。そこでは、こんな会話をしていたという。
「サッカーの話はあまりしなかったかもしれないですね。『今日はいい表情してるね』とか、走っているときは『浩司のペースが速いから、俺のほうが遅れちゃいそうだよ』とか、『もし早く走れるなら先に行っていいよ』とか......。今、考えると、僕をうまくコントロールしてくれていた。僕の走るスピードが上がれば、『いつでも復帰できるくらいだな』って、とにかくポジティブになれる言葉をずっとかけ続けてくれました」
体調がすぐれないときもあった。天候が悪く行きたくないと思うこともあった。それでも......、「森保さんが練習場で待ってくれているから、一緒に走ってくれるから、僕の足は毎朝、練習場に向いたんです」と話す。
少しずつ体調が回復し、全体練習に復帰した後も、森保監督は浩司の心の声に耳を傾け続けた。練習を終えたグラウンドで声をかければ、芝生の上に腰を下ろし、気が済むまで話に付き合ってくれた。ふたりだけの青空ミーティングは1時間では終わらず、長いときには2時間に及ぶこともあったという。
浩司自身もわかっていた。自分の体調不良が理由で練習を休んでいる選手に、チームを束ねる指揮官がそこまで付き合う義理がないことは......。しかも、これはシーズン中の話である。ただでさえ監督は、練習メニューの考案や次の試合に向けた準備で忙しい。それにもかかわらず、一度も嫌な顔を見せることなく、森保監督は付き合ってくれたのだ。
「森保さんが監督だから、復帰するのは難しいと考えながらも、もがいたんだと思います。僕がまたピッチに立つことができたのは、監督の支えがあったからだと思っています」
浩司は引退を決意した今シーズンも、何度も、何度も森保監督に相談をしていた。そこには双子の兄・和幸と同じように、すべてを打ち明けられる関係性が築けていたのだろう。
今シーズンの公式戦初先発となった、9月4日のルヴァンカップ準々決勝・ガンバ大阪との第2戦。後半7分、得意の直接FKからゴールを決めたとき、本人は「無意識だった」と振り返ったが、浩司はベンチに向かって走っていた。途中でチームメイトに抱きつかれたが、きっと自然に指揮官のもとへと足が向いていたのだろう。
正式に引退することを森保監督に報告したのは、いつものように、青空の下だった。いつものようにふたりで芝生に腰を下ろすと、こう伝えたという。
「いろいろ考えましたけど、今シーズンで引退することに決めました。俺、自分にとって最後の監督が森保さんでよかったです」
指揮官は、「目にゴミが入っちゃったな」と言って、目をこすりながら笑ったという。
10月29日、アビスパ福岡とのホーム最終戦を終え、浩司の引退スピーチを見届けた森保監督は、彼についてこう語った。
「これからの彼の人生のことについて言えば、どんな困難や壁に立ちふさがれようが、それを乗り越えていけると思う。自分らしく受け止めながら、苦しいこともやり過ごしていける力を身につけてきたと思う」
広島で生まれ育ち、ユースから数えれば20年、プロになってから17年を広島ひと筋で過ごしてきた。地元で生まれ育った選手が、育成組織を経て、地元のクラブでユニフォームを脱ぐ――。その軌跡は、彼ひとりだけのものではなく、サンフレッチェ広島というクラブ、さらにはJリーグの功績ともいえる。まさに、1992年に産声を上げたJリーグが紡(つむ)いできた"ひとつの結晶"だった。
どうしても聞きたいことがあったから、浩司がスタジアムを出るときに呼び止めると、最後に話しかけた。
「ホーム最終戦は楽しめたの?」
すると、彼はこう答えた。
「スタジアムに入る前までは、地に足がついていなかったんですけど、サポーターのコールを聞いたら、自然とスイッチが入りました。自分でもまさかゴールを決められるとは思っていなかったし、試合に出たらやっぱり勝ちたいという思いは沸いてきましたけど、楽しかったし、カズとのパス交換も含めて、ひとつひとつのプレーを楽しみました」
その言葉を聞いて、ようやく彼は苦しみから解放され、子どものころのようにサッカーを楽しめたのかと思い、こちらも笑顔になれた。
原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
