2日深夜放送、テレビ東京「ヨソで言わんとい亭〜ココだけの話が聞ける(秘)料亭〜」には、女子プロレスラー・アジャコングがゲスト出演。イジメを受けていた小中学時代の過去や全日本女子プロレス時代の最高月収を明かした。

米軍立川基地に勤務していたアメリカ人の父と日本人の母を持つアジャは「5歳の時に父親が帰国命令で向こうに帰ってしまったので、そこからは完全に母親と二人になりました」と語っている通り、幼き頃から母子家庭で育つと「何でお前ん家、お父さんいないの?」などとイジメの標的に。

「今でこそ、ハーフタレントってものすごい(重宝される)。本当に生まれる時代を間違えた」などと自虐的に笑うも、当時のハーフは珍しく「肌の色も違う、髪も天然パーマというのでやいのやいの言われる。(当時のクラスメイトからすれば)完全に宇宙人がきた感覚」などと説明した。

さらに「40人くらいのクラスだったので1対39になる。全員一致団結するんです、そういう時に。みんなに取り囲まれてワーっていっぺんにこられて、どうしていいか分からなくなる」と振り返ったアジャだが、学校の先生にも「話し合いで解決しましょう」と言われてしまい、助けてはくれなかったという。

また、小学校5年生の頃、日々イジメを受けるあまりの辛さから母親に「こんなんだったら産んでくれなきゃよかったのに」とこぼしたアジャ。すると母親は台所から包丁を持ち出し、アジャの喉元に突き立てると「産んでくれって頼まれてないから。勝手に産んだんだから殺すのも勝手だから、あんた殺してお母さんも死ねばいいんでしょ?」と言い、家を出てってしまったという。

母親が戻ってきた後、「二度とその言葉はいわないと約束した」アジャだったが、中学生になってもイジメの状況は変わらず。そんな時、目を奪われ、心の支えになったのが、長与千種とライオネス飛鳥のタッグチーム「クラッシュギャルズ」の活躍だった。

「高校行っても(イジメが)続くのかとか。その先、社会に出て自分は何をするんだろうとか色々迷ったりしている時にクラッシュギャルズが大全盛で、ダンプ松本さんに立ち向かっていくクラッシュギャルズを見て、やられてもやられても立ち向かっていく姿を見て、この世界に入れば自分も報われるかもしれないと思ってプロレスをやろうと」

こう考えるようになったアジャは、全日本女子プロレスの入門テストを受け、見事合格。「あの頃、クラッシュギャルズの人気がすごかったんで、受かった瞬間に夕方のニュースに出た」と話すと、翌日から学校では一躍有名人に。「すごいね」などと手のひらを返してきた者もいたようだが、トイレに行ったアジャは「ざまみろー」などと叫んだという。

さらに同番組では、生涯におけるMAX月収についても告白したアジャ。「(全日本女子プロレス時代の)基本給が18万。試合数が年間250〜300くらい。1試合が3〜4万。それプラステレビ(の出演料)があったので。マックスはCMとかやってる時に1200万くらい。ただ試合をしないと18万円しか貰えない」と語った。