東京生まれ東京育ちの“東京ネイティブ”が、自分にとっての東京を改めて振り返るこの連載企画の第3回目。

今回は先日、約半年間の小休止期間を経て音楽活動を再開したばかりの森山直太朗さんが登場!



代々木上原をものすごく大きな街に感じていた小学生時代

森山さんの地元は、渋谷区の代々木上原。森山さん曰く都会すぎず、かといって下町というわけでもない、“ちょうどいい街”らしい。

「幼少期からずっと代々木上原で育ちました。メジャーデビュー後の数年間、一度この街を離れていた時期がありました。それまでの間に僕が思い出せる限りでも3回は代々木上原内で引っ越しをしました。家族全員、上原を離れられなかったんです」

森山さんは私立の附属校、成城学園出身。小田急線の沿線上にある学校に、小学校から大学までの10年以上の間、電車で通学することとなる。

小学生の頃は自宅から学校までの決められた通学ルートを往復するだけ日々を送っていたため、家から駅までの道のりが、代々木上原のすべてだった。



「通学路以外の場所を全く知らなかったので、代々木上原をものすごく大きな街として認識していたのを今でも覚えています。通学中に仮面ライダーで悪役を演じていた天本英世さんや、めちゃくちゃテンションの高い山本寛斎さんによく遭遇していました。大物のストレンジャーの存在に、子供ながらに警戒していたのが印象深い思い出ですね(笑)」

ひたすら部活動に打ち込んだ学生時代。高校までは勉強そっちのけでサッカー漬けの毎日を送っていた。小学校時代はヘトヘトになるまでグランドを駆け回り、練習が終わるとまっすぐ帰路につく。その繰り返しだった。


雑多な街、下北沢の魅力にどっぷりハマった中高生時代

「中学生になってから徐々に遊びを覚えました。学校と自宅のちょうど中間地点の下北沢に寄り道するようになったんです。放課後に部活仲間とクレープを食べたり、いま思うとかなりマセていましたね」

当時の若者なら、渋谷や新宿に繰り出してもいいものだが、森山さんにとっての“イケてる場所”は下北沢だった。渋谷や新宿はどこか遠い町、隣の県くらいに感じていたという。



「下北で遊んでいること自体が僕のステイタスでした。憧れていた部活の先輩が練習で着ていたフランス代表のジャージがすごくカッコよくって、それがどうしても欲しくて古着屋をはしごして探し回りました。

当時はアメカジ全盛期だったので、愛読していた雑誌『ホットドッグ・プレス』や『ポパイ』を読んで、リーバイスやエドウィンのヴィンテージデニムを買うために一生懸命貯金をしたり、下北という街を通して徐々にファッションにも目覚めていきました」



古着屋だけじゃなく、レコード屋や古本屋、ライブハウスや劇場など、下北沢はさまざまな文化が凝縮されたエリアで、当時の森山さんにとってはなんだか得体のしれない、だけどとても魅力的な場所だった。

「上原とは対照的でごちゃごちゃした街。大人になっていく過程で、下北沢がいい抜け道になっていたんだと思います」

森山さんにとっての青春そのものともいえる下北沢には、現在も気が向いたらふらっと足を運んでいるそうだ。

今はもう閉店しているが、20代の頃は『プラプラタ』という役者の六角精児さんがやっていた飲み屋で、音楽仲間と夜な夜な飲み明かしたという。

「あと、夜中に食べるキーマカレーが美味しかったな〜。僕、カレーが大好物なんです。小さい頃、少年野球の帰りによく父親に連れて行ってもらった『スパイス』っていう地元のカレー屋さんがあるんです。

当時はカレー専門店なんてほかにはなくて……。ここで初めて食べたカレーライスに幼いながらにめちゃくちゃ感動しました。今でも僕にとってのカレーの味って、ここのがベースになっています」



太陽戦隊サンバルカンのバルパンサーやキン肉マンのカレークックなど、1980年代の人気キャラクターたちがテレビで美味しそうにカレーに喰らいつくシーンを見て育った日本の少年たちは、大概カレー好きであり、森山さんもそのうちのひとりであった。

『スパイス』は上原界隈では割と珍しい江戸っ子気質のオヤジさんがやっていて「おい、学校でいじめられたりしてないか? 何かあったらすぐ俺に言ってこいよ!」なんていつも話しかけてくれたという。

なんとも昭和らしい心温まるエピソードである。大人になった今でも、森山さんはここのカレーの味とオヤジさんに会うため、定期的にこの店を訪れている。

その『スパイス』以外にも、幡ケ谷方面に上っていく坂の途中にある中華屋『ニーハオ』など、昔よく家族と外食した思い出の飲食店がいくつもある。



続いて、森山さんが音楽業界をスタートさせたころのエピソードを語る!



代々木上原のアーケードでギター片手に弾き語りを始めた20代

高校で部活を引退し、大学に進学した森山さんは、まわりの友人に誘われたことがきっかけでギターを片手に楽曲作りを始めた。

かつての通学路でもあった上原のアーケードの一角で、弾き語りを始める。

大学生からミュージシャンを志す。音楽業界でいうとかなり遅めのスタートである。

「そうですね。でも、それがむしろよかったと思っています。客観的に自分を見ることができたから。でも、やっぱりその分スキル面では苦労していますけど。僕の家庭が音楽一家だったのもあり、自分も小さい頃から音楽をやるっていうのは普通すぎてなんか嫌で(笑)」

森山さんは体を動かすことがとにかく好きだった。10代の頃は、自分はスポーツで生業と立てられたら…ぼんやりとそう思っていたが、それは叶わなかったようだ。

弾き語りや路上ライブの規制が今ほど厳しくなかった当時、上原ではなくもっと栄えたエリアで歌おうとは思わなかったのか…?

「人が溢れかえっている渋谷ハチ公とか新宿駅前とかでもやってみましたが、僕はアルペジオでしっとり歌うタイプだったので、騒音が多いところは合わなかったんです。当時はスピーカーを使って演奏している人たちもいて……、街中でスピーカーはダメでしょ!(笑)。パラパラと人が通るくらいの代々木上原の雰囲気が、僕にはちょうどよかったんですよ」

会社帰りのサラリーマンや塾帰りの学生、アーケードを通って家へと向かう人たちの傍らでポロンとギターを鳴らして歌う。そんな若かりし頃の森山さんの様子が目に浮かぶ。



アーケードでの弾き語りで、地元の人たちとのふれあいはあったのか?

「深夜に練習をしているダンサーの子たちと意気投合したことがありました。当時の僕はまだ『高校3年生』という曲ひとつしかなかったんですけど、その子たちが僕を囲んで何度もその曲を聴いてくれました。中には涙してくれる子もいたりして……。

そうそう、路上での弾き語りのことをどこかから聞きつけた僕の母親がこっそり見に来るなんて事件もありました。変装していたつもりなんでしょうけど、どう見ても母親なんですよ(笑)」

地元での弾き語り時代の思い出は、森山さんにとっての青春の一ページである。



マイペースな街、代々木上原とシンクロする自分の生き方

森山さんはデビューを果たして間もない頃、一度慣れ親しんだ代々木上原を離れ、都立大学で一人暮らしを始める。そして、6〜7年経ってふたたび地元に戻って来たとき、慣れ親しんだ駅前のアーケードがショッピングモールになっていることに衝撃を受ける。

「そういった開発が進んでも、老舗の本屋やずっと前からあるスーパーが潰れたりするわけでなくて…。代々木上原のよさってそういうところだと思うんですよね。僕のなかで30年以上の歴史があるのに、今も昔も代々木上原の街並みの印象はそんなに変わっていないんです」

家族と食事した飲食店、通学路、アーケードでの弾き語り、森山直太朗という人間を作り出す過程で、やはり代々木上原という場所が及ぼした影響は計り知れない。

もし、今この街で育った過去の自分にメッセージを送るとしたら、何を伝えたい?

「『少年よ、もっと悩みなさい』、これに尽きますかね。昔の自分を思い返すと、のらりくらりやっていたな、と(笑)。居心地のいいこの街で育ったことはもちろん恵まれていると思いますけど、若い頃の僕はあまりにもマイペースすぎました」

そう語る森山さんには取り立てて反抗期もなかったし、友人とケンカしてぶつかったりするような経験もあまりなかった。

「そのぶん30代前後、社会に出てからはずいぶん人間関係に悩まされましたけどね(笑)」



森山さんにとっての東京とは?

東京で生まれ育った自分に対して、いま思うことは?

「皆ひとくくりにしてしまえば“東京”なんですけど、幼い頃から僕は、いわゆる六本木や銀座などの都会の街並み、そして浅草などの下町をどこか遠くから眺めていたのかもしれません」

それは、ほかでもない代々木上原という街で育ったからこそ、持ちえる感覚であるかもしれない。森山さんは、東京を客観的に見つめている。

「父親も母親も実家が関東圏内で、いわゆる僕にとっての“ふるさと”と呼べる場所がないんです。地方から上京してくる人って、“ふるさと”と“東京”のふたつの場所を知っているわけじゃないですか。そういったことに対する憧れは今でもすごくあります」

幼い頃から映画や漫画で見てきた“ふるさと”の景色。確かに森山さんの楽曲にはそれらを描写した作品がある。ヒット曲「夏の終わり」もそのひとつである。

「夏の終わり」

水芭蕉揺れる畦道 肩並べ夢を紡いだ
流れゆく時に 笹舟を浮かべ
焼け落ちた夏の恋唄
忘れじの人は泡沫
空は夕暮れ

途方に暮れたまま
降り止まぬ雨の中
貴方を待っていた 人影のない駅で

夏の終わり 夏の終わりには
ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから

追憶は人の心の
傷口に深く染み入り
霧立つ野辺に 夏草は茂り
あれからどれだけの時が
徒に過ぎただろうか
せせらぎのように

誰かが言いかけた 言葉寄せ集めても
誰もが忘れゆく 夏の日は帰らない

夏の祈り 夏の祈りは
妙なる螢火の調べ
風が揺らした 風鈴の響き

夏の終わり 夏の終わりには
ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから

夏の終わり 夏の終わりには
ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから

いつかと同じ風吹き抜けるから

これもまた、東京で生まれ育ったからこそ思い描ける特別な唄なのかもしれない。



■プロフィール
森山直太朗
1976年4月23日東京都生まれ。
少年時代より一貫してサッカーに情熱を傾ける日々を送るが、大学時代より本格的にギターを持ち、楽曲作りを開始。その後、ストリート・パフォーマンス及びライブ・ハウスでのライブ活動を展開。
2002年10月ミニ・アルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューを果たし、翌2003年『さくら(独唱)』の大ヒットで一躍注目を集めた。
その後もコンスタントにリリースとライブ活動を展開。独自の世界観を持つ楽曲と、唯一無二の歌声が幅広い世代から支持されている。