学生の窓口編集部

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楊貴妃(ようきひ)、小野小町(おののこまち)と並び、世界三大美人として知られる、古代エジプト・プトレマイオス朝最後の女王「クレオパトラ」。「絶世の美女」の代名詞として知られるが、じつは、肖像のほとんどは後生のものであるうえ、容姿に関する資料も少なく、美人だった証はどこにもない。

当時の歴史学者プルタルコスも、著書の中で「ビックリするほど美人ではない」的に書き残しており、なぜ「美女伝説」として語り継がれるようになったかは謎。

だが、人目を引く風貌に幅広い教養や美しい声で、エジプト制服を企てるローマの英雄ユリウス・カエサルや後継者アントニウスを虜にし、政治をうまく進めて自国を守った。シェイクスピアの戯曲「アントニーとクレオパトラ」でも、アントニウスを翻弄(ほんろう)するクレオパトラの妖艶(ようえん)ぶりが描かれ、本当のところは「美女」というよりも「知的美人/やり手の政治家」だったようだ。

■巧みな自己演出力

中国・唐の皇妃だった楊貴妃や、平安時代前記の女流歌人小野小町と並び、世界三大美人として知られる「クレオパトラ」。紀元前69年に古代エジプト・プトレマイオス朝王家に生まれた女王であり、39歳にして悲劇の死をとげた「クレオパトラ7世フィロバトール」のことだ。

古くから「美女の代名詞」として知られるが、

・コインに描かれた肖像や大理石の彫像などはほとんどが後生のもの

・容姿に関する資料が極端に少ない

・歴史学者プルタルコスがギリシャ・ローマの英雄たちを描いた「英雄伝」のなかで、「クレオパトラの美しさは、見る者を驚かすほどではなかった」と記録している

などから、万人が認める「絶世の美女」だった証はどこにもない。

では、なぜ「美女伝説」となったのか?
・ヘアメイクに工夫を凝らし、宝石や香水を身につける高い美意識

・7ヶ国語を自在に操り、科学や物理、音楽にも通じる教養

・プルタルコスが「聞いているだけで喜びだった」と絶賛した、小鳥のような美しい声

・聞き上手なうえ、楽しくユニークな会話もできるコミュニケーション力の高さ

など、魅惑のひとだったのは確かで、「自分磨き」を怠らない姿勢がクレオパトラの魅力を一層引き立て、美しい生き方=美女に発展したのだ。

■政治には「女子力」も必要?!

クレオパトラの生涯については、これまでも数多くの映画や小説、ミュージカルで描かれてきたが、シェイクスピアの戯曲「アントニーとクレオパトラ」はあまりに有名。クレオパトラが、エジプト王国征服を狙うローマの英雄アントニウスを虜(とりこ)にして政治を操り、ともに勢力拡大をも画策するが、戦いに敗れ、それぞれ自決してしまう悲劇だ。

エジプトを守ろうとするあまり、持ち前の風貌と才知でローマの英雄たちを次々と魅了し、手玉に取ってしまうクレオパトラの「女子力」と、妻帯者でありながらもクレオパトラに翻弄されるアントニウスの「ダメ男」ぶりが物悲しくもある。

アントニウスが、権力や名声を犠牲にしてまでのめりこんだクレオパトラは、「絶世の美女」というより「知的美人」であり、政治的判断に長けた「やり手の政治家」であったと言えるだろう。
■まとめ

・「絶世の美女の代名詞」として知られるクレオパトラだが、美人だった証はない

・魅力的な風貌と才知で要人たちを虜にした「やり手の政治家」だった

「美しさ」とは、外見ではなく内面からにじみ出るものの証といえよう。

(熊田 由紀/ガリレオワークス)