2025年(1月〜12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。インタビュー部門の第4位は、こちら!(初公開日 2025/12/27)。

【画像】「左目にはラップを巻いて」「自分の顔を見た時の絶望が…」中3で顔面麻痺になったSHIBUKIさんのこれまでの写真を見る

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 14歳の時に「海綿状血管腫」を発症し、左顔面と右半身に麻痺が残ったSHIBUKIさん。それまではモデルを目指していたSHIBUKIさんは自分の変わりように衝撃を受け、「暗黒期」を過ごしたという。その後、23歳で双子を出産。

 現在は子育てをしながら、自身の障害や家事・育児、大好きなメイクやファッションについて、等身大の姿をSNSで発信する。そんなSHIBUKIさんに、発症当日の様子から、障害を持って気付いたさまざまなことについて、話を聞いた。(全3回の1回目/つづきを読む)


双子を育てるSHIBUKIさん

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目の位置がズレてることに気づいて「ヤバい」

――中学3年生の時に脳出血を発症したそうですが、何か兆候はありましたか。

SHIBUKIさん(以下、SHIBUKI) もともと貧血もあったし偏頭痛持ちだったので、ちょっとした不調は日常茶飯事だったんですけど、ある日の4時間目の授業中、これまでに経験したことがない頭痛に襲われて。

――直感的に「これはマズい」と感じるような頭痛だった?

SHIBUKI そうですね。そのまま机に突っ伏してしまったんですけど、一番ヤバいと思ったのは頭痛よりも目の位置がズレてることに気づいた時で。

――黒目があらぬ方向に向いているような?

SHIBUKI そんな感じです。授業が終わった後、ヨロヨロ歩いてトイレまで行って自分の顔を見たら黒目があっちこっちにいっていて、これはヤバいと。

 友だちや先生に助けてもらいながらなんとか保健室まで辿り着いた時にはすでに右半身の麻痺と嚥下障害も出ていて、水が飲み込めず吐いてしまったんです。母が駆けつけた頃にはけいれんが始まり、ここからもう記憶がありません。

両手両足が縛ってあった状況で目覚めて

――目覚めた時の状況は?

SHIBUKI 目が覚めたのは手術が終わった後で、倒れてから数日経っていたようでした。その時、両手両足が縛ってあったようです。

――拘束しないといけないような危険があった?

SHIBUKI 状況の変化を飲み込めなくて暴れちゃう人もいるらしくて、それで最初は手と足を縛ってたみたいなんですけど、私は倒れる直前に体が麻痺したことも嚥下障害があったことも覚えていたので、わりとすんなり状況は飲み込めて。

 その時はずっと治らないものとは思っていなかったし、まだぼんやりしていたこともあって、とにかくリハビリを頑張ろう、という感じではありましたが、「なんで自分がこんな目に?」というのは入院中、ずっと思ってました。

――記憶や思考などに影響はなかったのでしょうか。

SHIBUKI そのへんは全然ないですね。記憶もあるし、好みが変わるようなこともなく。

 ただ、麻痺している左目の視力が落ちて、左耳も難聴になりました。音は入ってくるんですけど言葉が入ってこないから、音楽を聞いていても歌詞は全然わからなくなりましたね。

――顔の麻痺を知ったのはどのタイミングでしたか?

自分の顔を見て「言葉で表現するのは難しいほどのショック」

SHIBUKI 手術が終わって座るトレーニングができるようになった頃、ずっと顔が引っ張られているような違和感があったので、母に「鏡を見せて」と頼んだんです。母は私がショックを受けるといけないと思って、周囲から携帯や鏡を一切排除していたんですね。

 実際に自分の顔を見た時の衝撃というか絶望というか……言葉で表現するのは難しいほどショックを受けました。

――パニック状態というか。

SHIBUKI もう頭真っ白で、母と一緒に泣きじゃくって。将来、当たり前にできると思っていた恋愛も結婚も仕事も、何もかも自分には無理。「人生終わった」と思いました。

――小さい頃からモデルを目指していたそうですね。

SHIBUKI モデルになるのが夢だったし、実際スカウトをされたこともあって。自信過剰かもしれないけど、それまで自分の顔に悩みを持ったことがなかったんです。

 そんな中で顔面麻痺になってしまって、おしゃれもメイクも、大好きだったそういうものが全部遠くにいってしまった感覚でした。

半年後に全部の後遺症がレベルアップしてしまった状態に

――その後はどんな治療をされたのでしょう。

SHIBUKI 術後、リハビリ専門の病院に移ったんですけど、半年後に脳幹部から再出血してしまって、また元の大学病院に戻って集中治療室に入ったんです。

 前にはなかった首にも麻痺が出たり、トイレが自分でできなくなったり、呼吸も難しくなるほど症状が悪化して。水頭症にもなりかけ、ついに呼吸が止まってしまって緊急手術になりました。

 奇跡的に一命はとりとめましたが、全部の後遺症がレベルアップしてしまった状態でしたね。

――具体的には、どんな症状が出ていた?

SHIBUKI 体幹障害というんですけど、ずっと不安定で揺れているような感じで、何かにつかまっていないと立つことも難しくなりました。

 口も開きづらくなって、水を飲んでも吐いてしまったり、しゃべるのもあくびするのも笑うのも大変な状況でした。

――右半身と左顔面の麻痺が残ったということですが、右半身麻痺というのは、頭のてっぺんからつま先まで、右側だけが麻痺しているということですか。

SHIBUKI そうです。右側だけ全部、感覚が鈍いんですよね。痛みを感じにくいし、温度もわかりにくいので、お風呂とか料理の時はやけどをしないように気をつけて、左足からお風呂に入ったり、左手を軸にして料理をしています。

 逆に、顔は左側が動かなくてまばたきもできないので、目が乾燥しないようにラップを常にしているんです。

――もともとは右利きだったんですか?

SHIBUKI そうだったんですけど、右側に麻痺が出たことで右手がうまく動かせなくなってしまったので、練習して左利きに変えていった感じで。

 今は左手で文字も書けるようになりましたけど、やっぱり時間がかかるし、きれいに文字を書くのは難しいですね。

落ちてしまった自分を後輩に見られるのが嫌だった

――姿が変わったことで学校に戻る怖さはありましたか。

SHIBUKI めっちゃありました。車いすで卒業式だけ出たんですけど、恥ずかしさというか、自分はどう見られるんだろうっていうのはすごい考えちゃいましたね。

――病気を発症する前はどんな学校生活を送っていましたか。

SHIBUKI ソフトテニス部で部活も楽しんでたし、ダンスも好きだったので、運動会では皆をまとめてリーダーとして仕切ったり(笑)。恋愛もメイクもおしゃれも目一杯して、青春を謳歌しまくってた感じです。

――お写真を見ても、活発なタイプだなと思いました。

SHIBUKI 障害を持ってから、前の自分はどれだけイキってたんだろうと思いました。

 自分勝手だったし、自己中な行動をしていたなとか、後輩にも厳しかったんで、一体自分は何やってたんだろうって反省もして。

――病気をしてから後輩に会うのは怖かった?

SHIBUKI めっちゃ怖かったですね。たぶん“めんどくさい先輩”と思われていたタイプだったし、上から目線のところがあったと思うんで。

 で、そんな自分が車いすになって途端に弱くなってしまったというか。元気だった時はめっちゃ声が大きかったんですけど、大きな声も出せないし、落ちてしまった自分を後輩に見られるのが嫌でした。

できることは限られるけど、いつでも助けられるようにしたい

――それまで、病気や障害のある人は周りにいましたか?

SHIBUKI それまでは本当に気が付いていなかったと思います。車いすの方が目の前にいたこともあったはずだけど、眼中になかったというか。

 でも、今はすぐに見つけるし、「この人は自分と同じ障害だ」ってわかることもあるし、「何かできないかな?」と思う時もあって。自分ができることは限られるけど、まったく何もできないわけじゃないから、いつでも助けられるようにしたいなって。

――中学卒業後はリハビリを行い、1年遅れて高校に入学されます。

SHIBUKI とにかくJK(女子高生)になりたい、なってやる、というのだけがモチベーションでした。放課後にプリを撮ったりバイトしたり、学校行事をバリバリやったり、そういうキャピキャピした高校生活を送りたかったんです。

 考えればできないことはわかるはずなんですけど、その時はそこまで深く考えが至ってなかったんですね。

――思い描いていたものとは違う高校生活になった?

SHIBUKI 障害者になってから大学1年までは、「暗黒期」でした。

(小泉 なつみ)