人は誰しも後悔を抱えながら生きている。鉄人社編集部がまとめた『調査ルポ この日本の片隅で』から、50〜60代の男性に人生のなかでもっとも後悔したことを聞いた部分を再編集してお届けする――。(第1回)
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■脱サラして蕎麦店を始めたが…

「夢を追わないと後悔する」に乗っかりソバ屋を始めたこと(62歳・警備会社アルバイト)

大学卒業後に大手の繊維メーカーに就職して15年くらい経ったころ、ソバ打ちの趣味にハマっちゃいましてね。

そのころはもう結婚してたんで、週末になると自分や嫁の友人を招いて、ソバを振る舞ったりしていたんです。そうこうするうち、ぼんやりとだけど、いつかソバ屋の主人になりたいなあってことを考えるようになったんですね。

当時、会社の仕事がツマんなくて、焦りのようなものもあったんです。このままサラリーマン生活を続けていいのか。やりたくもないことに時間を費やすのはムダじゃないかって。もっとも、漠然と思ってるだけで本気じゃありませんよ。脱サラなんて自分には絶対ムリだと思ってたから。

でも、そんなことを周囲にチラッと話したら、みんな熱く言うんですよ。「せっかくの夢をあきらめるなんてもったいない。いま動かないと後で後悔する」って。最初は無責任なこと言うなよって聞き流してたんですが、だんだん自分もその気になっちゃって。結局、1年後に嫁の反対を押し切って会社を辞めました。

■自宅で開業するも2年半足らずで廃業

自宅の1階を改造してソバ屋としてスタートしたんです。これが完全に裏目でした。

最初の1年は客足も良かったんですが、その後は笑っちゃうくらい誰も来なくなって、2年半足らずで廃業です。いくらソバ打ちが好きだといっても、しょせん腕はシロートの趣味の域を出なかったってことでしょうね。

その後は、まぁ散々ですよ。けっこうな借金は残るわ、再就職先は安月給だわで苦労の連続です。そもそも40歳にもなって夢を追うのは遅すぎるんです。もっと若ければ、失敗しても挽回はできますけど、もはや取り返しはつきません。サラリーマンを続けるべきでした。

夢を追わねば後悔する。この耳あたりの良い言葉の裏には残酷な現実があることをお忘れなく。

■応援のつもりがただの監視になっていた

長男を可愛がりすぎて、今や親子絶縁状態になったこと(66歳・無職

息子が2人いるんだけど、実は彼らが生まれる前、娘を病気で亡くしてるのね。心臓に先天性の欠陥があって、3歳まで生きられなかったんだよ。そういうこともあってか、後から生まれてきた息子たちがとにかく愛おしくてね。

特に長男は跡継ぎだから、それはもう大事に大事に育ててきたんだ。社会に出て恥ずかしくない教養を身につけさせようと、ピアノや英語を習わせたり、評判の良い私立の学校に通わせたりね。基本は甘い親だったと思ってるけど、長男が反抗期を迎えたときなんかは厳しく接することも忘れなかったよ。

実際、学校で悪い友人たちとつるむようにもなったから、そういうときはきっばり交際は止めるように言い渡して監視も怠らなかった。とにかくちゃんとした大人になってほしいってことだけを考えて、大学3年の就職活動の時期は面接の練習をさせたり、ずいぶん気をもんだよ。

でもね、長男にしたら僕のこういう接し方がイヤでイヤで仕方なかったらしいんだよね。僕にはまるで自覚がないんだけど、やることなすこと干渉してくる父親だと思ってたみたいなんだよな。

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就職を機に一人暮らしを始めたんだけど、それ以来、まったく実家に近寄ろうとしないんだから。どころかアパートも何度か転居して、今どこに住んでるのかさえ知らないし、連絡も来ない。もう絶縁されたも同然なんだよね。何がいけなかったのかな。本当に寂しいよ。

何がいけなかったのか。答えは明白。過干渉なあなたが悪いんです。ちなみに、この方、少し酔っていたせいか、話の途中で目を真っ赤にしてました。切ない。

■熟年離婚後、子供たちから疎まれていたことを知る

家族の時間より仕事を優先してきたこと(67歳・無職

俺たちの世代はたいがいの男がそうだと思うんだけど、仕事一筋って風潮が強いんだよな。

風邪を引いたくらいで会社を休まないし、残業や休日出社も当たり前。場合によっては親が危篤でも仕事に向かうって具合で。俺なんかもその典型だったんだけど、当時はそれが普通のことだったから特に疑問も持たず、毎日バリバリ頑張ってたのよ。そもそも仕事が好きだったしね。

もちろんそのぶん、家族と過ごす時間は減るよ。でも俺が働かないと家族は食えないじゃん。家庭のことは女房に任せっきりにするしかないわけよ。でも、いささか度が過ぎたんだろうな。4年前、女房と熟年離婚したのよ。ま、長いこといがみ合っていたからそれはそれでしょうがないことなんだけど、ショックだったのは子供たちの態度さ。

俺には娘と息子がいて、それぞれ独立して家庭もあるんだけど、離婚の後、2人とも俺を完全に無視するんだ。孫の顔を見せに来たり、電話してくるとか、そういうのが一切ないの。別れた女房のところには頻繁に会いに行ってるのにさ。

あんまり情けないんで、一度息子に「父さんが心配じゃないのか」って問い詰めたら、アイツはこう言ったんだよ。俺たちは母さんに育ててもらったんだ、いつも家にいなかった空気のような存在のアンタに恩義なんか感じてないって。

それが全ての理由じゃないんだろうけど、子供たちにしたら、いてほしいときにいつもいなかった頼りない父親に失望したのは確かだろうね。とにかく、もっと家庭を省みていたらって悔やんでるよ。

かといって、家庭を優先しすぎると、職場で白い眼を向けられるのが日本社会だったりするわけで。この国では仕事と生活の調和ほど難しいものはないのかもしれない。
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■「悔いの内容に生きる」の重みを感じた

人生は一度きり」をずっと聞き流してきたこと(62歳・契約社員)

人生は一度きり」って言葉があるじゃん。ホント、よく見聞きするよね。テレビや映画、歌の歌詞や本の中で目にすることもけっこうある。実際の生活でもそうじゃん。

学校の先生とかが「人生は一度きりしかありません。悔いのないように生きていきましょう」とかなんとか言ってるよな。まぁ、確かにに人生って一度きりだし、そりゃそうなんだけど、だからといって何をするわけでもなく生きてきたわけ。

一度きりってことはわかってたけど、だからどうしたって感じで。でも、残りの人生も20年あるかないかの歳になって、その言葉の重みにようやく気づいたんだよ。別に今までの人生がダメダメだったわけじゃないんだけど、後悔することはいっぱいあるのよ。

■尊敬していても、行動で示せないと後悔する

俺、鳥取出身で、大学で上京したんだけど、その前に2年間浪人生活しててさ。で、受験で東京に来るたび、現役で東京の大学に入った友達のところに泊めてもらってたの。

鉄人社編集部『調査ルポ この日本の片隅で』(鉄人社)

そいつはすげーいい奴で、泊めてもらったときはいつも晩ごはん作ってくれて、一浪のとき受験に全滅したときも励ましてくれて、ようやく受かったときは心から喜んでくれてすき焼きを作ってくれたのね。

それからも互いの下宿を行き来して、そいつが田舎で公務員になってからも、月に一度は電話で話したし、1年に2回は会って酒を飲んでた。それがだんだん年賀状だけの関係になって、また酒を飲もうなんて書いてたんだけど、8年ほど前から年賀状が来なくなったのよ。

最初は気にしてなかったんだけど、2年くらい後にそいつの実家に電話をかけたら、がんで死んだって。ま、よくある話かもしれないけど、なんで、その前に会いに行かなかったんだろうって思うね。恩人だもん。

あと、去年、親父が92で死んだんだけど、その世話も妹に任せきりで、長男として何もできなかった。特に仲が悪かったわけじゃない。でも、もっと親孝行すれば良かったって思う。冗談一つ言わない真面目な人間だったけど、心の中ではずっと尊敬してたから。でも、心だけじゃダメなんだよな。

会いたい人に会うとか、行きたいとこに行くとか、これ、本当に大事だと思う。まだまだやりたいことあるけど、時間が足りないんだよな。あぁどうしようってホントに恐怖だよ。なんで若いころにもっと心に留めておかなかったんだろう。これで、俺は死ぬとき良い人生だったと言えるのか自信ないよ。

井上陽水の「人生が二度あれば」を聴きたくなりました。皆さん、悔いなき人生を。

(鉄人社編集部)