思ったことは口にしろ。サッカーは、私見を述べあうスポーツだ
反町康治技術委員長はサウジアラビア戦、オーストラリア戦を終えたあと、オンライン取材で、以下のように言葉を並べている。
「サウジアラビア戦に勝てなかったことで多くの懸念材料が生まれている。皆さんの外圧があるのは認めるが、私の立場では100%をサポートする」
「内圧はなくさないといけないが、いまのところ全くない」
「試合に向けたトレーニングを通して意気込みを感じていたし、並びを変えた時も、前々日からのトレーニングで手応えをつかんでいた。何か言われれば意見を言うが、スタッフ同士でトレーニングを進め、ミーティングでマインドをリセットすることができていた」
「外圧は好きなことを言ってアクセスを稼いでいるが、われわれはブレずにやっていることを理解してもらいたい」
「代表の試合は1試合の重みが違うのは認識しているし、結果も重視していかないといけない。その中で内容や選手が迷いを持ってやっているかにも注視しないといけない。監督のマネジメント力も見ていくことになる」
前回のこの欄では、「ブレずにやっている」という言葉に対し、何に対してブレていないのか。ブレる、ブレないの基準を示さずに、ブレていないと言われても、ご飯論法になりかねないと指摘した。
今回はその反町委員長のこのコメントについてもうひとこと言及してみたい。
内圧と外圧の問題だ。反町委員長が言う「圧」とは、具体的には何を指すのか。直訳すればプレッシャー。森保監督に詰め寄る姿勢と言うべきか。より具体的に言うならば、私見を述べる行為となる。
となると、以下の言葉は何を意味することになるのか。
「内圧はなくさなければならないが、いまのところは全くない」
反対意見(内圧)はなくさなければならないが、いまのところ森保采配への私見は全くない、となる。反論はあってはいけないものと言っているのと同じだ。しかし身内か否かにかかわらず、サッカーを見て抱く感想は千差万別だ。100人いれば100通りの見方があるのがサッカーだ。すべてにおいて全く同じ意見を持つ人に、少なくとも筆者は遭遇した試しはない。協会の仕事に従事する人にもそれぞれ私見はあるはずだ。好きな人ほど、何かひとこと発したくなるものだ。こう言っては何だが、反町委員長も本来はその1人だと思う。サッカーについて独自の見解を持っている人だと、こちらは認識している。
圧(私見)は、すべてのファンが備えているもの。それに内、外の境界はない。賛成か反対かをひとことで言い表せない場合もある。様々な私見が世の中に溢れているからこそ、サッカーは面白いのである。そこがサッカーらしさたる所以。サッカーならではの魅力になる。サッカーが世界で断トツのナンバーワン人気を誇る理由でもある。サッカー談義を始めたら、エンドレスに続く。これがサッカーの本質だ。
とても下世話なスポーツである。日本のスポーツ界を見渡しても、代表監督続投か否かで毎回、ここまで揺れる競技も珍しい。日本代表及びその監督を巡る騒動は、もはや4年に1度のお約束である。ネットの時代になり、一般の人が書き込みやすくなった現在は、その傾向に拍車が掛かっている。この流れを止めることはもはやできない。
サッカーの日本代表監督には、意見される覚悟ができている必要があるのだ。圧=プレッシャーを浴びることと引き替えに、一般人が吃驚するような高額な報酬を得ているのである。
世界のスタンダードを知っている外国人監督にはその覚悟ができている。以前にも述べたが、こちらはイビチャ・オシムから激しく尻を叩かれた経験がある。「なぜキミたちは、私をもっと叩かないのか」。「こちらはキミたちから侮辱されても何とも思わないのに」と。
「サウジアラビア戦に勝てなかったことで多くの懸念材料が生まれている。皆さんの外圧があるのは認めるが、私の立場では100%をサポートする」
「内圧はなくさないといけないが、いまのところ全くない」
「試合に向けたトレーニングを通して意気込みを感じていたし、並びを変えた時も、前々日からのトレーニングで手応えをつかんでいた。何か言われれば意見を言うが、スタッフ同士でトレーニングを進め、ミーティングでマインドをリセットすることができていた」
「代表の試合は1試合の重みが違うのは認識しているし、結果も重視していかないといけない。その中で内容や選手が迷いを持ってやっているかにも注視しないといけない。監督のマネジメント力も見ていくことになる」
前回のこの欄では、「ブレずにやっている」という言葉に対し、何に対してブレていないのか。ブレる、ブレないの基準を示さずに、ブレていないと言われても、ご飯論法になりかねないと指摘した。
今回はその反町委員長のこのコメントについてもうひとこと言及してみたい。
内圧と外圧の問題だ。反町委員長が言う「圧」とは、具体的には何を指すのか。直訳すればプレッシャー。森保監督に詰め寄る姿勢と言うべきか。より具体的に言うならば、私見を述べる行為となる。
となると、以下の言葉は何を意味することになるのか。
「内圧はなくさなければならないが、いまのところは全くない」
反対意見(内圧)はなくさなければならないが、いまのところ森保采配への私見は全くない、となる。反論はあってはいけないものと言っているのと同じだ。しかし身内か否かにかかわらず、サッカーを見て抱く感想は千差万別だ。100人いれば100通りの見方があるのがサッカーだ。すべてにおいて全く同じ意見を持つ人に、少なくとも筆者は遭遇した試しはない。協会の仕事に従事する人にもそれぞれ私見はあるはずだ。好きな人ほど、何かひとこと発したくなるものだ。こう言っては何だが、反町委員長も本来はその1人だと思う。サッカーについて独自の見解を持っている人だと、こちらは認識している。
圧(私見)は、すべてのファンが備えているもの。それに内、外の境界はない。賛成か反対かをひとことで言い表せない場合もある。様々な私見が世の中に溢れているからこそ、サッカーは面白いのである。そこがサッカーらしさたる所以。サッカーならではの魅力になる。サッカーが世界で断トツのナンバーワン人気を誇る理由でもある。サッカー談義を始めたら、エンドレスに続く。これがサッカーの本質だ。
とても下世話なスポーツである。日本のスポーツ界を見渡しても、代表監督続投か否かで毎回、ここまで揺れる競技も珍しい。日本代表及びその監督を巡る騒動は、もはや4年に1度のお約束である。ネットの時代になり、一般の人が書き込みやすくなった現在は、その傾向に拍車が掛かっている。この流れを止めることはもはやできない。
サッカーの日本代表監督には、意見される覚悟ができている必要があるのだ。圧=プレッシャーを浴びることと引き替えに、一般人が吃驚するような高額な報酬を得ているのである。
世界のスタンダードを知っている外国人監督にはその覚悟ができている。以前にも述べたが、こちらはイビチャ・オシムから激しく尻を叩かれた経験がある。「なぜキミたちは、私をもっと叩かないのか」。「こちらはキミたちから侮辱されても何とも思わないのに」と。