《慰安婦問題》韓国が仕掛ける“歴史戦”…日本に国際司法裁判所で闘う準備はあるか?
韓国の文在寅政権が、元慰安婦の李容洙さんから「日本の罪をICJ(国際司法裁判所)の判断ではっきりさせて欲しい」と詰め寄られ、右往左往している。もし韓国政府がICJに持ち込めば、裁判は韓国敗訴となる可能性がきわめて高い。事実の認定ではなく、韓国に日本の主権を裁く権利がないからだ。
元慰安婦らが韓国で日本政府を訴えた損害賠償訴訟で、韓国司法は今年年初に「人道に対する罪」として日本政府に賠償支払いを命じた。だが、国家の主権行為は他国の裁判権に服さないとの「主権免除」が国際慣習法の常識である。ICJには過去の判例もある(詳しくは後述)。
元慰安婦たちのデモ
李容洙さんは元慰安婦のなかでもきわめつきの有名人だ。米議会では号泣して証言し、訪韓したトランプ米大統領に晩さん会で抱きつき、韓国挺身隊問題対策協議会(現・日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯)前代表の尹美香氏を「慰安婦を利用した」と告発した。
今回は、米ハーバード大ロースクールのJ・マーク・ラムザイヤ―教授が慰安婦制度を戦時下の公娼制で「性サービスの契約」だったとした学術論文に反発、「日本の罪を明らかにして」と記者会見し、ハーバード大のオンライン・セミナーに出演した。
身動きが取れない文政権の反日
「被害者第一主義」を声高に唱えてきた文在寅政権は、そんな李さんの「願い」をないがしろにはできない。
しかし、文政権の反日はいま身動きが取れない。東京五輪は開催の方向に動き出している。日本に働きかけ「北朝鮮参加の東京五輪」での南北融和の機会を作りたい。一方で韓国世論を引きつける反日カード「慰安婦判決」は手放したくない。
ICJでの敗訴は困るが、元慰安婦のおばあさんを黙らせるわけにはいかないのだ。
日本はそもそも裁判自体を認めていない。韓国が日本資産の差し押さえなどの挙に出れば、即座に報復の構えだ。自民党外交部会は判決そのものが言語道断としてICJ提訴などの対応検討を決議している。
だが、「ICJで勝てばいい」というほど物事は簡単ではない。
先に述べた国際司法裁判所の「主権免除」の判例とは、ドイツとイタリアが争った「フェリーニ裁判」(2012年)だ。
第二次世界大戦末、ドイツで強制労働させられたイタリア人がイタリア国内でドイツを訴えた。イタリア最高裁が原告勝訴を出したため、ドイツ政府がICJにイタリアを訴えた。
ICJはドイツの主権免除を認めドイツが勝った。しかし、判決文には、ドイツのイタリア人捕虜に対する不法行為を認めたうえ、それを糾弾するICJの立場が何か所も明記されている。フェリーニ判決は、賠償について「2国間交渉の主題となるだろう」と両国の継続協議をアドバイスしている。
国際関係論が専門で「フェリーニ判決」に詳しい福井県立大の島田洋一教授がこう指摘している。
「一大歴史戦を覚悟した準備が必要」
「ICJで闘えば、確かに判決の主文は主権免除に反した韓国側敗訴となるだろう。日本側の弁論書はそのまま判決文の一部に載せられて公開資料になる。しかし、それだけではすまない」
ICJの判断はあくまで「主権免除」についてであり、賠償請求問題は2国間に残るというわけだ。
「ICJの裁判官の大半は、東京裁判史観やクマラスワミ史観の持ち主だ。日本が慰安婦制に関して、ファクトに踏み込んだ相当に精緻な議論をしないと、主文以外では日本非難の文言が並び、日韓に改めて交渉を求めるアドバイスが付け加えられることになるだろう。日韓請求権協定で解決済みといった形式論で乗り切れるなどと思ったら、大きく国益を損なうことになる。国際社会で闘うためには、一大歴史戦を覚悟した準備が必要だ」(島田教授)
韓国は提訴された裁判の受け入れを義務づける「強制管轄権」を受託していないため、日本が提訴しても韓国が応じなければ訴訟は成立しない。
また、ICJには現在、日本人裁判官の東京大学名誉教授、岩沢雄司氏(66)がいるため、訴訟を起こす場合は、公平を期すため訴訟国の国籍を持つ者が裁判官として参加する。
韓国から強者(つわもの)の裁判官が参加することになる。
日本政府の責任は重大だ
日本の慰安婦問題に対する国際世論は、逆風の嵐であることを今一度、肝に銘じる必要がある。
国連のクマラスワミ報告書以来、国際人道主義の世界では「慰安婦イコール性奴隷」がまかり通っている。「歴史的事実は公娼制である」と言っても、それを世界に発信してこなかった日本政府の責任は重大なのだ。
韓国が拡散してきた慰安婦の捏造の歴史を全否定するには、有無を言わせない歴史的事実を堂々と主張する必要がある。日本政府は証拠を揃えてICJに付託する準備を始めるべきときだ。
詳しくは月刊「文藝春秋」(3月号)および「文藝春秋digital」掲載の久保田るり子氏のレポート「『慰安婦判決』韓国の破滅」をお読みください。
(久保田 るり子/文藝春秋 2021年3月号)