木寺英史氏(九州共立大学教授)

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江戸時代の人々は1日30〜40キロ歩いていた。どうしてそんな長距離を歩くことができたのか。九州共立大学の木寺英史教授は「草履やわらじを履いていた頃の日本人は、地面にかかとがしっかりとついていた。ところが靴を履くようになって、つま先のあたりに圧力をかけるようになり、歩き方が変わってしまった」という。ノンフィクション作家のかじやますみこ氏が聞いた――。

※本稿は、かじやますみこ『人生100年、自分の足で歩く 寝たきりにならない方法教えます』(プレジデント社)の第2章「正しく歩けば寝たきりは防げる」の一部を再編集したものです。

■「腕振り、大股歩き」は、実は身体に悪い

【かじやますみこ(ノンフィクション作家)】木寺さんは江戸時代以前の身体運動文化を研究され、その成果を歩行などの動作改善の指導にとり入れているとうかがいましたが、昔の日本人はどんな歩き方をしていたのですか。

【木寺英史(九州共立大学教授)】ひとことで言えば、昔の日本人は実に多様な歩き方をしていました。たとえば、武士、農民、町民など身分によって歩き方が違うし、職業や性別、年齢によっても違う。同じ人であっても、旅をするときと近所の散歩など、移動する距離や目的によって歩き方が変わるのは当たり前のこと。というのも、歩行はあくまで移動の手段だからです。いろいろと調べてみると、日本人は、その切り替えを無意識のうちにやっていたようなのです。

ところが、現代のわれわれはそうではない。いつのまにか「歩くとはこういうことだ」「これが正しい歩き方だ」と、本来は多様だった歩き方をひとつに集約しようとしている。とりわけ、「ウォーキング」といわれるものに、その傾向を強く感じますし、そのことに対して、僕は危機感を抱いているのです。

【かじやま】それはエクササイズとしての「ウォーキング」ということですか。

【木寺】はい。「エクササイズウォーク」や「パワーウォーキング」と呼ばれるものです。腕を前後に大きく振りながら大股で歩く。後ろの足のつま先で地面を強く蹴って、身体を前に進める。ダイエットに効く、健康になるための歩き方などといわれますが、あんな歩き方をしていると、かえって健康を害します。特に高齢者には身体に負荷がかかり過ぎるため、腰痛やひざ痛、外反母趾などの原因になってしまいます。

死ぬまで自分の足で歩けるような筋力の維持は大事ですが、その方法としては、スクワットなどの体力トレーニングをお勧めします。体力トレーニングのほうが筋力をつけるには効果的だという、最近の研究結果もあります。とはいえ、僕も万歩計はいつも持っていますが。

■「二軸で歩く」を意識すると健康になる

【かじやま】歩くことは重要、けれど必要以上のエネルギーを消費する大股の「エクササイズウォーク」は高齢者には適していないということでしょうか。

【木寺】そうですね。歩くことの本来の目的は移動ですから、なるべく身体に負担のかからない歩き方をするべきです。高齢者には、その体力に合った歩き方があるはずで、それを実践することが健康寿命を延ばすことにつながる。僕が研究しているのも、身体に余計な負担をかけない合理的な身体の動かし方と、そのトレーニング方法です。

実は、動作改善を教えている理由のひとつに、父親がパーキンソン病を患って、歩けなくなったということがあるんです。歩けないまま死んでいった父親を見ていて、「歩けるか、歩けないかは、人生において大きな分かれ目。杖をついてでもいいから、ひとりで歩けるということが重要だ」と痛感した。その想いが根底にありますね。

【かじやま】わたしも交通事故のあと、2週間以上、完全に寝たきりになったのでよくわかります。歩けなくなる、自分の意思で移動できなくなるということが、こんなにもつらいものかと……。目の前で世界が閉じてしまったように感じて、人生に絶望しました。

【木寺】ご自身で「歩けないつらさ」を体験されたのですね……。

【かじやま】だから必死でリハビリしたんですよ。つらい経験をしたからこそ、筋力を維持する方法を学んで、少しでも長く自分の足で歩けるようにしなければと思ったし、そういう知識を多くの人に知ってほしいと。健康寿命を延ばす合理的な身体の動かし方とはどういうものか、ぜひ教えてください。

【木寺】「二軸動作」という考え方があります。歩行でいえば「二軸で歩く」ということ。これを説明する前に、まず中心軸のことからお話ししましょう。

■女性らしい「ローリングが大きい歩き方」は腰痛を招く

【木寺】中心軸とは身体の真ん中をとおる仮想の軸、つまり、2本の脚で立つときの重心の位置に当たります。中心軸は静止するためのもの。中心軸を意識することは大事ですが、この感覚を強く持ちすぎると、動くことをじゃましてしまうのです。

そこで着想したのが「二軸」の感覚です。左の肩甲骨と左の股関節、右の肩甲骨と右の股関節を結ぶ2本の軸を意識すれば、いろいろな動作が合理的にできると考えたのです。

なぜ合理的かというと、左右の足の間隔(歩隔)をあけて二軸で歩くと、中心軸の感覚を持って歩くときよりも、骨盤の水平回転(ローリング)が小さくなって身体への負担が減るからです。

【かじやま】骨盤の無駄な動きが減ることが効率的に歩くことにつながるということですか。

【木寺】そうです。くわしく説明しましょう。わたしたちが歩くときは、無意識のうちに一直線上を歩いています。左右の股関節は離れているにもかかわらず、踏み出した左右の足はほぼ一直線上に着地する。中心軸の感覚を持っているために、こういう歩き方になるのです。

実際に歩いてみるとよくわかりますが、右脚を振り出すときは、右の腰が前方に動く。上から見ると、骨盤が反時計回りに回転する。これがローリングです。そのままでは身体が左を向いてしまうので、バランスをとるために左手が前に出る。ツルツルの氷の上で動くことをイメージすると、もっとわかりやすい。片方の足を出すと、腰がくるっと回っちゃうでしょう。だから、回転しないように反対側の手が出るのです。

このとき、上半身は右に、腰は左に回ろうとして体幹がねじれてしまう。大股の「ウォーキング」だと、脚を大きく出せば出すほど強くねじらなければいけないので、身体に無理がかかるわけです。ハイヒールを履いたり、内股で歩いたりする場合は、ローリングがさらに大きくなります。

【かじやま】ハイヒールや内股歩きでローリングが大きくなるとすれば、男性より女性のほうが足腰に負担がかかりやすいのですか。

【木寺】そういう傾向はあるでしょう。ローリングが大きいと女性らしい歩き方になるのですが、無理が重なるため、中高年になったときに腰痛などが出やすい。できるだけ「二軸で歩くこと」を意識するといいと思います。

■昔と今の剣道では、身体の使い方が明らかに違う

【かじやま】そもそも、身体運動文化や動作改善を研究されるようになったきっかけは何だったのですか。

【木寺】僕の専門は剣道です。今も大学で剣道部の監督をやっていますが、若い頃は、学校の体育の教師でした。中学校で教えていた29歳のとき、剣道でアキレス腱を切ったことがありました。そのとき、ふと、「昔の剣道家も、アキレス腱を切ったのかな?」と考えた。興味を引かれて調べ始めたら、昔の剣道と今の剣道では、身体の使い方が明らかに違うことがわかったのです。

たとえば、今の剣道では、踏み込むときにかかとを上げています。だからアキレス腱が切れやすいのですが、江戸時代はかかとを地面につけたままだったと考えられる。そんなことを調べていると、江戸時代と現代の歩き方の違いに行き着きました。それが剣道における身体の使い方の根底にある。そう気がついて歩き方について研究するうちに、世間では、剣道の専門家というよりも、「歩き方にくわしい人」と思われるようになってしまって(笑)。もともとは、剣道をより深く知りたかっただけなんですけどね。

【かじやま】江戸時代と比べて、日本人の歩き方は大きく変わったとのことですが、なぜ変わってしまったのでしょう。

【木寺】僕たちは「身体の断絶」と呼んでいますが、近代以降、日本人の身体運動にとって大きな変化が2度起こりました。1度目は明治維新、2度目は終戦です。

明治維新のとき、強い軍隊をつくるために、明治政府は農家の青年を集め基礎となる行進の練習をさせました。ところが、当時の若者は隊列を組んだ行進ができなかったそうです。なぜかというと、歩き方が違ったから。和服を着ていたため、足を高く上げ手を大きく振って歩くことに慣れていなかったのでしょう。草履やわらじといった履きものの影響も大きかったと思います。

■日本人の歩き方は「変わった」のではなく「変えられた」

【木寺】そこで政府は、学校教育の場でも盛んに歩く訓練をさせました。巧妙に計画を立てて、若者たちを一人前の兵士にするための準備をしたのです。言い換えれば、近代教育における体育は、子どもたちの幸せのためではなく、子どもたちを戦場に送るために始まったということ。

たいへん残念なことに、スポーツはその後もさまざまな形で利用されることになります。日本人の歩き方は「変わった」のではなく、「変えられた」と表現するほうが正しいと思います。

【かじやま】戦後の変化はどうだったのですか。

【木寺】終戦後の占領政策で、さまざまなスポーツやトレーニング法がアメリカから入ってきたのです。このとき、つま先や足の親指の付け根に体重を乗せて動くことがよいとされた。これが2度目の「身体の断絶」です。

草履やわらじを履いていた頃の日本人は、地面にかかとがしっかりとつくような立ち方をしていました。つま先は外側を向き、かかとやアウトエッジ(足裏の小指側)に圧をかけるようなイメージです。僕らはそれを「外旋立ち」と呼んでいます。

宮本武蔵の『五輪書』の足さばきについて書かれた一文にも、「きびすをつよく踏むべし」とあります。「きびす」とはかかとのこと。当時の武士は、かかとのあたりを踏みしめるようにして動いていたということでしょう。

ところが、西洋文化の影響で、靴を履いて歩くことが当たり前になった現代のわたしたちは、つま先のあたりに圧力をかけて立つようになったのです。

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木寺英史(きでら・えいし)
九州共立大学スポーツ学部教授・なみあし身体研究所代表
1958年、熊本県生まれ。83年、筑波大学体育専門学群卒業後、福岡県広川町立広川中学校教諭等を経て、91年、国立久留米工業高等専門学校講師、同准教授等を経て2012年より現職。13年、大阪教育大学大学院教育学研究科健康科学専攻修了。なみあし身体研究所/動作改善普及センター代表。「二軸理論」をはじめとした合理的身体操作を提唱し、スポーツや武道において先進的な動作研究者として活躍中。著書に『本当のナンバ 常歩』『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』など。


かじやますみこ(梶山寿子)

ノンフィクション作家、放送作家

神戸大学文学部卒業。ニューヨーク大学大学院で修士号取得。経営者、アーティストなどの評伝のほか、ソーシャルビジネス、女性の生き方・働き方、教育など幅広いテーマに取り組む。主著に、自らのリハビリ体験をもとにした『長く働けるからだをつくる ビジネススキルより大切な「立つ」「歩く」「坐る」の基本』のほか、『トップ・プロデューサーの仕事術』『鈴木敏夫のジブリマジック』『紀州のエジソンの女房』『35歳までに知っておきたい最幸の働き方』『そこに音楽があった 楽都仙台と東日本大震災』などがある。

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(九州共立大学スポーツ学部 教授 木寺 英史、ノンフィクション作家、放送作家 かじやますみこ 写真=iStock.com)