【サムライ通信】小笠原復帰の効果
「僕は30歳の新人だからね」
1月25日からスタートした日本代表合宿中、彼は毎日のようにそう繰り返し、周囲を笑わせていた。
2006年6月のワールドカップドイツ大会以降の代表招集となった小笠原満男。Jリーグ史上初の三連覇を達成した鹿島アントラーズのキャプテンの代表復帰の声は、岡田武史が監督就任直後から根強いものがあった。もちろん、小笠原自身も常にそれを願っていた。後輩ボランチの青木剛が代表入りしたときの落胆は小さいものではなかっただろう。
小笠原が復帰できない理由として、囁かれていたのが「ドイツ大会での態度の悪さ」というものだった。試合に出られないことで溜めた不安でチームの和を乱したというのだ。協会の公式レポートとして残っているという噂もあったが、真相はわからない。4年前、26歳の小笠原は確かにいつもギラっとしたオーラを代表で放っていた。中田英寿、中村俊輔、小野伸二……海外でプレーする選手たちが不在のときにしか、試合に出場機会がない。「そんな現実に納得できるわけがない!!」というようにわずかなチャンスで“仕事”をし、ボーダーラインを超えようと奮闘。しかしそれでも現実が好転しないのもまた事実だった。体調不良の中村がピッチに立つ姿をベンチから見ることになったドイツ大会。
「2002年は試合に出られなかった。2006年は試合に出る機会はあったけど、負けてしまった。日本代表として国民が応援してくれる中で、残念な結果だった」
失意のまま切ったドイツへ向けてのリ・スタートはイタリアで切られた。2006年8月セリエAメッシーナへ移籍。しかし1年の在籍中、出場試合はカップ戦2試合を含む合計8試合。彼にとって生涯初の“試合に出られないシーズン”の経験が小笠原を変えた。もちろんサッカーの本場、海外での生活という環境の変化も彼に影響を与えた。アントラーズ復帰後は、ファンサービスや地域貢献にも積極的となり、「チームのために」と繰り返す男になった。
岡田ジャパンの中盤もまた激戦区だ。
中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛、長谷部誠、大久保嘉人、松井大輔、本田圭祐……。しかも、ほぼ固定されたメンバーで、ワールドカップ最終予選を勝っていた。果たして小笠原の居場所はあるのだろうか? いくらイタリアで苦渋の日々を過ごしたとは言え、自分と同じ年や年下の選手の控えとしておとなしく代表のベンチに座っていられるのだろうか?
「僕はあとから入ってきた人間。まずはこのチームのコンセプト、やり方を知ることが大事。自分のアピールというよりも、まずはチームのことから」
ベネズエラ戦前日は繰り返した。そこにはライバル心むき出しだった4年前の姿はない。
2月2日、ベネズエラ戦では前半FKの場面でキッカーを遠藤に譲る場面もあった。試合に勝てなかったことはもちろんだが、ミスの多い自身のプレーに苛立ったと語ったが、淡々とプレーしているように感じられた。忙しなく廻るパスのリズムを変えるという小笠原の持ち味も見られなかった。
「このチームはシンプルに廻して、ゴールに向かうというコンセプトだからね。それがダメなとき、リズムを変えるプレーだとか、オプションが必要なんだと思う」
この試合を境に「チームのやり方ありき」という姿勢は崩さないものの「少しずつ自分の色も出したい」「もう少しこうすればいいかなと思ったことをやっていきたい。チーム戦術だけではダメなこともある。すべてはチームのために臨機応変に対応したい」と話すようになった。
「ショートパスを繋ぐと相手が寄ってくるから、逆サイドにスペースが生まれることもある。そこへのサイドチェンジだとか、遠くを見る意識がもっとあってもいいと思う。ひとつのやり方に固執しないで、いろいろなやり方があっていいと思うから」
1月25日からスタートした日本代表合宿中、彼は毎日のようにそう繰り返し、周囲を笑わせていた。
2006年6月のワールドカップドイツ大会以降の代表招集となった小笠原満男。Jリーグ史上初の三連覇を達成した鹿島アントラーズのキャプテンの代表復帰の声は、岡田武史が監督就任直後から根強いものがあった。もちろん、小笠原自身も常にそれを願っていた。後輩ボランチの青木剛が代表入りしたときの落胆は小さいものではなかっただろう。
「2002年は試合に出られなかった。2006年は試合に出る機会はあったけど、負けてしまった。日本代表として国民が応援してくれる中で、残念な結果だった」
失意のまま切ったドイツへ向けてのリ・スタートはイタリアで切られた。2006年8月セリエAメッシーナへ移籍。しかし1年の在籍中、出場試合はカップ戦2試合を含む合計8試合。彼にとって生涯初の“試合に出られないシーズン”の経験が小笠原を変えた。もちろんサッカーの本場、海外での生活という環境の変化も彼に影響を与えた。アントラーズ復帰後は、ファンサービスや地域貢献にも積極的となり、「チームのために」と繰り返す男になった。
岡田ジャパンの中盤もまた激戦区だ。
中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛、長谷部誠、大久保嘉人、松井大輔、本田圭祐……。しかも、ほぼ固定されたメンバーで、ワールドカップ最終予選を勝っていた。果たして小笠原の居場所はあるのだろうか? いくらイタリアで苦渋の日々を過ごしたとは言え、自分と同じ年や年下の選手の控えとしておとなしく代表のベンチに座っていられるのだろうか?
「僕はあとから入ってきた人間。まずはこのチームのコンセプト、やり方を知ることが大事。自分のアピールというよりも、まずはチームのことから」
ベネズエラ戦前日は繰り返した。そこにはライバル心むき出しだった4年前の姿はない。
2月2日、ベネズエラ戦では前半FKの場面でキッカーを遠藤に譲る場面もあった。試合に勝てなかったことはもちろんだが、ミスの多い自身のプレーに苛立ったと語ったが、淡々とプレーしているように感じられた。忙しなく廻るパスのリズムを変えるという小笠原の持ち味も見られなかった。
「このチームはシンプルに廻して、ゴールに向かうというコンセプトだからね。それがダメなとき、リズムを変えるプレーだとか、オプションが必要なんだと思う」
この試合を境に「チームのやり方ありき」という姿勢は崩さないものの「少しずつ自分の色も出したい」「もう少しこうすればいいかなと思ったことをやっていきたい。チーム戦術だけではダメなこともある。すべてはチームのために臨機応変に対応したい」と話すようになった。
「ショートパスを繋ぐと相手が寄ってくるから、逆サイドにスペースが生まれることもある。そこへのサイドチェンジだとか、遠くを見る意識がもっとあってもいいと思う。ひとつのやり方に固執しないで、いろいろなやり方があっていいと思うから」
