年一度の温泉旅行に趣味三昧。年金生活・60代両親の老後が崩壊したワケ…実家暮らしを“3食・清掃付きの賢い選択”として人生を謳歌する「年収700万円」「貯金1,200万円」34歳エリート息子の〈無自覚な搾取〉【FPの助言】
物価高が続き賃金が伸び悩む昨今、固定費を抑えられる「実家暮らし」は現役世代にとって合理的な生活防衛策といえます。しかし、子にとってのメリットは、ときに親の「自由な老後」という犠牲の上に成り立っていることも……。本記事では、Aさんの事例とともに、現代の親子同居に潜む「みえない代償」について、FPオフィスツクル代表・内田英子氏が解説します。※本記事で取り上げている事例は、複数の相談をもとにしたものですが、登場人物や設定などはプライバシーの観点から一部脚色を加えて記事化しています。読者の皆さまに役立つ知識や視点をお届けすることを目的としています。個別事例の具体的な取り扱いは、税理士・弁護士・司法書士など専門家にご相談ください。
定年後、ようやく始まるはずだった「夫婦の時間」
「これからは夫婦で少しゆっくり過ごそう、そう思っていたんです」
都内に住む佐藤さん(仮名/68歳)。3年前に定年を迎え、妻(65歳)とともに、ようやく肩の力を抜ける年金生活を思い描いていました。
朝は少し遅く起きて、近所を散歩する。年に一度は温泉に行き、使っていなかった和室を片づけて、趣味の作業部屋にする。どれも特別なことではありません。しかし、長年働き、1つの役目を終えた夫婦にとっては、「楽しみに描いていた老後の暮らし」そのものでした。
その計画は、ある出来事をきっかけに、少しずつ形を失っていきます。
「問題のない息子」と始まった同居生活
定年からほどなくして、次男(34歳)が実家に戻ってきました。都内のIT企業に勤め、年収は約700万円。仕事も安定し、毎月、家には生活費として5万円を入れており、貯蓄額はすでに1,200万円を超えているそうです。いわゆる「自立できない子ども」とはまったく違い、堅実で計画的な自慢の息子です。
それでも、佐藤さんはこう語ります。
「贅沢な悩みだとはわかっています。でも……家の中が、どうにも休まらなくなってしまって」
抜け落ちた「親の老後のライフプラン」という視点
次男が実家に戻ってきた理由は、極めて合理的でした。都内でワンルームを借りれば、家賃は10万円も下りません。しかし実家に戻れば、家に入れる分だけ。月5万円で済みます。しかも、掃除や洗濯、食事の準備に時間を取られず、浮いたお金と時間を、すべて自分のやりたいことや、将来のための資産運用に回せるのです。
「物価が上がる一方なのに、賃金は据え置き。僕らみたいな好景気を知らない不遇な世代は、住居費を削らないとやってられない。将来のためにはこれが一番なんだ」
次男は、自分のライフプランを真剣に考えていました。将来の老後生活や早期リタイアを見据え、生活コストを抑え、着実に資産を築く。そのために、実家に戻ってきたのだと話します。
ところが、親の老後のライフプランという視点は抜け落ちていました。親がこの家で、どれだけ心地よく暮らせているのか。これからの定年後の時間を、どのように使いたいと考えているのか。親の暮らしは、息子という「現役世代」の基盤として組み込まれ、暗黙のうちに「使い続けられる財産」として、暗黙のうちに扱われていたようでした。
静かに削られていった、親の暮らし
同居が始まってから、佐藤さん夫婦の生活は少しずつ変わりました。妻は、毎日3食の献立に悩み、息子の帰宅時間に合わせて食事を用意します。子どもたちが学生だったころのように次男の健康に配慮して、なかなか気がおけません。
佐藤さん自身も、次男との同居前はよくドライブを兼ねてお出かけしていましたが、休日は次男が車を使うことがあるため、土日の外出は控えるようになりました。
少しずつずれた生活を重ねることで、佐藤さん夫婦の心の余裕も、知らないうちに削り取られているようでした。しかし次男が、問題なく働いているからこそ、言葉を飲み込んでしまったといいます。
支出以上に削られていた「老後の生活の質」
困り果てた佐藤さんご夫妻が筆者のもとを訪ねてきました。最初は次男のためなら、と受け入れた同居。しかし、やはりいまのように老後生活を送る自分たちが、本来は自分で生計を立てられる子どもをいつまでも支え続けるのはおかしいのでは?と思いはじめたそうです。
家計状況を確認すると、次男が入れている5万円は、増えた食費や光熱費でほぼ相殺されていました。むしろ次男の同居前後で比較すると、支出額は増えていることが確認できました。つまり、実態としては、親が自分たちの老後資金と生活資源を使って、現役世代の子どもの生活コストを下支えしている構図となっていたのです。
お金だけの問題ではありません。佐藤さん夫妻が思い描いていた老後の生活そのものとも、かけはなれています。老後のライフプランをなおざりにしたまま時間が過ぎていくと、「お金はあっても、上手に使えない」消化不良の状態に陥りがちです。老後資金は生活の質を守るために使うものですが、同居が続くうちに「自分たちのため」から「子どものため」へとすり替わり、家計構造が変化することで、やりたかったことが先送りされてしまうリスクもあります。さらに、医療・住まいの修繕・介護サービスなど、晩年に本当に必要な支出ほど判断が遅れ、結果として選択肢が狭まってしまうリスクもあるのです。
「親の定年」を宣言する勇気
筆者と一緒に行ったさまざまなライフプランシミュレーションの結果を経て、佐藤さん夫妻は、話し合いの末、決断しました。
「これからの20年は、私たち自身の人生を大切にしたい」「この家の使い方を、見直したい」
期限を決め、次男に独立を促すことにしたのです。かなり葛藤があったようですが、佐藤さん夫妻は「親の定年」を宣言することにしました。これは、子どもを突き放す行為ではありません。人生の優先順位を子どもではなく自分たちに戻した、前向きな選択です。
同居を続ける場合に守るべき「5つの分離」
成人した子どもとの同居が、すべて問題だというわけではありません。親子がお互いに納得し、生活の質を保てているのであれば、それは一つの選択肢です。しかし話し合いが先送りされるうちに同居が無期限の前提となり、親の老後生活のQOLが少しずつ削られていくケースなら、なんらかの対策が必要でしょう。
もし同居を続けるのであれば、必要なのは「我慢」ではなく、生活の分離です。同居しながらも、家計や家事の運営などの生活はわける。具体的には、同じ屋根の下でも、次のような線引きを明確化します。
家計の分離:毎月いくら入れるか、ではなく、家賃相当・光熱費・食費・日用品などを基準に、負担を明確化する
家事の分離:食事・洗濯・掃除を「親がやる前提」にしない。自分の分は自分で完結させる
時間の分離:食事時間や生活リズムを親に合わせさせない。親の外出・旅行・趣味の予定を最優先にする
空間の分離:共有スペースの使い方、個室の扱い、車の利用など、親の生活を侵食しないルールを決める
将来の分離:親の医療・介護・住まいの修繕など、いまある資金を「親のQOLを守るために使う」方針として明文化する
親にもまた、親自身のライフプランがあります。生活を分離するという考え方は、親が「これからどう暮らしたいか」を守り、子どもが「同居のままでも自立する」ための土台になるはずです。老後とは、「人生の残り」ではなく、ステージの変わったもう一つの大切な人生の時間ではないでしょうか。
残された時間やお金を、誰のために、どのように使うのか。定年後こそ、改めて問い直す必要があるのかもしれません。
内田 英子
FPオフィスツクル代表

