実は「多元的」だった、中国文明の出発点【3か月でマスターする 古代文明】
古代文明といえば、メソポタミア、エジプト、インダス、中国といった教科書で四大文明として紹介されていた文明を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
しかし実際には、世界各地に数多くの文明が存在し、多様な社会を築いていたことが、近年の調査・研究によって次々と明らかになっています。
第一線で活躍する考古学者たちが、文明の実像に迫るシリーズが『3か月でマスターする 古代文明』。
今回はその11月号より、2本の大河に育まれた中国大陸で花開いた多様な地方文明についての解説を、抜粋して公開します。
大河が育んだ中国文明
2つの大河が描いた文明の風景 中国の古代の歴史を語るうえで欠かせないのが、北の黄河と、南の長江という2つの大河です。
黄河は黄土高原を削り取って流れ、その土(黄土)を下流へと運びました。肥沃な黄土を利用し、古代の人々は農耕を行いました。しかし、黄河は洪水を繰り返す川でもありました。豊かな土壌をもたらしながら、同時に破壊ももたらす、光と影をあわせもつ大河だったのです。
一方で南の長江流域は、黄河とはまったく異なる環境を備えていました。豊かな水量と温暖湿潤な気候は、稲作に適していたのです。主に雑穀が栽培された北方の黄河流域とは対照的に、長江流域ではイネを中心とした農耕文化が発達しました。
中国文明の出発点は「多元的」だった 中国の歴史上には、数々の大帝国があったことから、中国の古代文明にも大きな「中心」があったとイメージする方も多いかもしれません。しかし、中国文明の「始まり」の段階では、大きなまとまりは見られず、各地にいくつもの拠点集落が存在し、それぞれがモノや技術、情報を交換し合っていたと考えられます。
これらの交換には、人の移動がつきものです。騎馬が導入される以前の古代においては、多くの人々が徒歩でさまざまな地域を移動したと考えられますが、南方の長江流域では舟や筏(いかだ)の利用もあり、早くから陸上と水上のルート両方が使われていました。
その交流の痕跡は、各地の遺跡からも見てとれます。軟玉(なんぎょく)などの美しく緻密な岩石を加工した玉器や特殊な土器など、特定の地域でつくられたと思われるものが、遠く離れた場所からも出土しています。さらに、象牙やワニの皮といった、長江流域以南地域由来の品々も各地で見つかっており、広範な交易の存在を物語っています。
こうした人とモノの往来が重なり合った結果、中国文明は多様な要素を取り込みながら形成されていきました。つまり、中国文明の起源は「単一地域」ではなく、広域的な交流の積み重ねに支えられた「多元的な出発点」にこそあったのです。
環境変動が及ぼした文明の変容
中国文明の「3重構造」 今から約4200年前、乾燥化と寒冷化が数百年にわたって続く気候変動が発生しました。これを「4.2kaイベント」といいます。
中国各地のいくつかの地方文明は、紀元前2千年紀の初頭を境に姿を消しました。そのため、かつては「地方文明が4.2kaイベントによって滅亡し、空白の時間が生じた」と考えられてきましたが、近年の研究ではより複雑な様子がわかってきています。
まず、厳しい環境変動のなかで、新しい生活の形が生まれました。西方から伝わったムギと、ウシやヒツジを飼う牧畜技術です。黄河以北の乾燥化が進んだ地域では、従来の雑穀農耕だけでは生活が不安定になりつつありました。そこに新しい作物と牧畜技術がもたらされ、人々は多様な食糧源を確保することができたのです。
こうして中国では、北部の雑穀、南部のイネ、そして西方由来のムギという「3重構造」が成立しました。この農耕体系は、食糧生産の多様化にとどまらず、地域間の交流や文明の基盤を強化する役割も果たしました。
4.2kaイベントは、「文明を崩壊させた」と考えられがちですが、それはあまりに話を単純化しすぎかもしれません。この危機が新しい農耕と牧畜の受け入れを促し、中国文明の形成を推し進める契機ともなったのです。
また、地方文明についても、単純に「4.2kaイベントによって滅亡し、数百年にわたる空白の時間があった」とはいいきれない状況がわかってきました。
たとえば長江中流域では、4.2kaイベントを挟んで石家河(せっかが)文化(および後石家河文化)が続いています。そして、その基準となる標準遺跡の石家河遺跡は、4.2kaイベントを迎えたあとも衰えることなく、むしろ拡大していたことがわかっています。この地域では、4.2kaイベントによる乾燥化・寒冷化に適応するために、イネと並んで雑穀(アワやキビ)が栽培されるようになったのです。
また黄河上流では、標高の高い場所にあった馬家窯(ばかよう)文化に代わって平地に順応した斉家(せいか)文化が発展しました。黄河中~下流域でも、竜山(りゅうざん)文化が衰退に向かうなか、岳石(がくせき)文化が存在し続けました。つまり、4.2kaイベントによって文明が滅亡したのではなく、文明のあり方が変化し、再編が進んだと理解するほうが妥当といえます。
このように、文明の歴史を「断絶」ではなく「継承と統合」の流れとして捉えると、なぜ中国文明が長期にわたって存続し、複雑で豊かな姿を示すようになったのか、その理由が浮かび上がってきます。
『3か月でマスターする 古代文明』では、毎回、各専門分野で活躍する考古学者を講師に迎え、それぞれの視点から古代文明の魅力と謎を解き明かしていきます。2冊目の11月号では、「インダス」「中国」「中央アジア」「ギリシャ」について取り上げ、多様な文明の社会のあり方や、古代の人々の知恵に注目。今の時代にも通じるヒントを探ります。
ナビゲーター:国立民族学博物館長 関 雄二1956年生まれ。東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。同大学助手などを経て、1999年から国立民族学博物館に勤務し、2025年4月に館長に就任。専攻は文化人類学、アンデス考古学、ラテンアメリカ研究。2015年ペルー文化功労者、2016年日本外務大臣表彰、2023年ペルー功労大勲章を受賞。
◆『NHK 3か月でマスターする 古代文明 11月号』
◆構成 小林 渡(AISA)
◆取材・文 菅原嘉子
◆イラスト 雉○/ Kiji-Maru Works

