『呪怨〈4K:Vシネマ版〉』©東映ビデオ

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 1990年代後半に訪れた「Jホラーブーム」のさなか、変革を予感させる2000年という年に、『呪怨』は東映Vシネマ(オリジナルビデオ)作品として誕生した。当初はセールス面で伸び悩んだものの、評判が口コミで都市伝説的に広まり、いつしか噂は海外にも到達。ブームを最高潮にまで高めた立役者となると同時に、圧倒的パワーで他を引き離す孤高の存在ともなった。

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 結局、これほどの衝撃とスター性を持ち得た作品は現れなかったし、のちのシリーズ化とスピンオフによる“増殖”ぶりも他に類を見ないものだった。そのなかでも「いちばん怖い」原点として君臨し続けたのが、最初の『呪怨』『呪怨2』Vシネマ版である。

 監督・脚本を務めた清水崇は、当時はまだ20代の無名の新人。そのためプロモーションの前面に出されたのは、監修としてクレジットされた『リング』(1998年)の脚本家・高橋洋だった。パッケージに添えられたキャッチコピーも「リングの高橋洋が、新たな恐怖であなたを襲う!」というものである。

 監修といっても、大人たちの考えるセオリーを押し付けたり、ジャンルの定型を守らせて商業性を担保したりするような「守りの指導」ではなかった。いま見ると、むしろ若き清水崇の才能と発想を「抑えなかった」ことが最大の功績ではなかったかと思える(それは後年の清水崇プロデュース作品にも通じる姿勢ではないだろうか)。

 初めて『呪怨』Vシネマ版を観たときの衝撃を思い出すと、やはり「徹底した容赦のなさ」が印象深い。修復不可能な家庭不和と本人のストーカー気質によって、理不尽な暴力の標的となり、非業の死を遂げた女性・伽椰子。怒りと執念ではち切れそうな血みどろの怨霊と化した彼女は、自分の世界に近づいた者は相手が誰であろうと暗黒の呪いに染め上げる。その幼い息子・俊雄も、壮絶な家庭内暴力・育児放棄に巻き込まれ、もはや生きているのか死んでいるのかわからない領域で生者の魂を闇の奥に引きずり込み続ける。

 新時代のホラースターは、現代の陰湿な暴力に殺された弱者の代表でもあった。といっても、当時の清水監督がはっきりと日本社会に対する問題意識を投影したわけでもないだろう。おそらくそれは20代の若者にとって、ごく当たり前に「よく見かける人々」の姿だった。

 伽椰子の夫・剛雄は、嫉妬の果てに狂気の無差別殺人犯と化し、妻が横恋慕した教師の家族を血祭りにあげる。現実と霊界の双方向から陰惨な殺人劇が生み出され、その境界は加速度的に崩れていく。さらに、運悪く新たに引っ越してきた家族と、その関係者、たまたま捜査を担当した刑事に至るまで、一見無関係であっても「あの家」に少しでも関わってしまったが最後、等しく呪いのえじきとなる。この「例外を許さない厳しさ」が怖かった。

 通常のドラマなら救いをもたらしてくれそうな霊能者の女性・響子も、ここでは家族ぐるみで狂気へと引きずり込まれる。片や霊感は一切ないまま、「あの家」の媒介役となる不動産屋の彼女の兄・達也が作中でいちばんタチが悪いような気もしてくるが、彼もまた無傷ではいられない。呪いは「あの家」からも解き放たれ、外界に広まっていく予感とともに幕を閉じる。

 清水監督へのインタビュー記事でも触れたが、当時の心霊ホラーとしては、ここまで直接的で過激な暴力表現は珍しく、痛快ですらあった。見せすぎない演出による静謐なムード醸成を重視するJホラーの風潮は、ともすれば「地味」に傾きがちだったが、『呪怨』には手加減抜きの派手さがあった。血まみれの機械人形のごとき伽椰子の禍々しいビジュアルはもちろん、「下顎を引きちぎられた女子高生」「電話ボックスで胎児の入った袋をメチャクチャにぶん回す男」といったイメージに、トラウマ級のインパクトを植え付けられた人は多いはずだ。

 考えてみれば、池田敏春監督の『死霊の罠』(1988年)、石井てるよし監督・小中千昭脚本の『邪願霊』(1988年)、黒沢清監督の『スウィートホーム』(1989年)など、Jホラーブーム以前の日本製ホラーには強烈な人体破壊描写がしっかり見せ場として盛り込まれていた。『呪怨』は、それらの「なかったことにされた」映画史を復活させる試みでもあったのかもしれない。

 複数の視点からバラバラの物語が進行するオムニバス風の構成も、いまなお新鮮である。しかも、クエンティン・タランティーノ『パルプ・フィクション』(1994年)のような、ある意味「古典的な物語のまとまり」には収斂されず、あちこちに生じた呪いが無軌道に伝播し広がっていく型破りな展開は、先行きの見えない不安と恐怖を誘った。のちにハリウッド版2作目のタイトルにもなる「パンデミック」の霊的解釈、あるいは「誰にも止められないまま世界が戦争に突入していく恐ろしさ」にも似ているのかもしれない。作劇の定型を逸脱するストーリーテリングは、海外のファンにはクリストファー・ノーランの初期作に匹敵する発明にも見えたのではないか。これまた原点には、鶴田法男監督のビデオ版『ほんとにあった怖い話』(1991年)をはじめとする心霊ホラービデオの構成の影響も感じられる。

 『呪怨』Vシネマ版は、『邪願霊』『ほんとにあった怖い話』といったホラービデオ作品の魅力とエッセンスを正しく継いだ作品でもあった。アナログ時代のビデオ画質は生々しい臨場感と禍々しさを生み、モニターの片隅に反射した自分自身の姿、その背後にある自室の空間さえも恐怖の増幅装置となる。それは劇場体験とはまた違う、ビデオならではの醍醐味だろう。

 今回の『呪怨』4K化で、最も大きな変化といえるのが、劇場で観ることを前提としたブラッシュアップが施されていることだ。もともと秒30コマのビデオ映像を、フィルムと同じ秒24コマに調整し、色味やコントラストなどを引き締めた結果、劇場の暗闇でこそ恐怖を最大限に発揮する作りになっている。また、当時の家庭用モニター基準に合わせたステレオ音声から、5.1chサラウンド化された音の広がりと奥行きも聴きどころだ。

 だからといって原典の魅力が失われたわけではまったくない。むしろ、プリミティブかつシンプルな作りで、誰もが期待する以上の成果を叩き出したVシネマ版のもともとの出来の良さをじっくりと堪能できる。いち早くレンタルビデオで『呪怨』Vシネマ版の洗礼を受けた初期のファンにもぜひ劇場へ駆けつけてもらいたいし、現代の若い客層にも「異形の快作ホラー」として十二分に通用するだろう。たったの25年ぐらいで、この恐怖は薄まらない。

(文=岡本敦史)