「ホス狂い」を経て、現在はYouTubeの出演やバーでの勤務をしている(「ホス狂いあおい」さんのインスタグラムより)

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「ホス狂い」。狂うほどにホストクラブに夢中になっている女性のことだ。ホス狂いを自称するYouTuber「ホス狂いあおい」さんもその1人だった。現在は、「ホスト巡り」動画で人気を集めるYouTuberで、登録者数は13万人。

【写真】「今でも借金は500万円残ったまま」あおいが入れ込んだホストとのツーショット

ユーチューバー「ホス狂いあおい」YouTubeで消された壮絶人生

「いまはお仕事でご一緒するくらいで、プライベートで通い詰めることはなくなりましたが、以前はホストに計5000万円くらい貢ぐ立派なホス狂いでした。好きだったホストにクレカを作って貢ぐよう言われて、言われたとおりに5社分のカードを作り、限度額までキャッシングしまくりました。いまでも借金は500万円ほど残ったままです」(あおいさん、以下同)

 彼女が「ホス狂いあおい」になるまでには壮絶な過去があった。

「自分のチャンネルで生い立ちの話をする動画を出したら『不適切なコンテンツ』って言われて動画を消されちゃいました。私の人生なんですけど(笑)」

 あおいさんは1996年に熱海で生まれた。生まれて間もなく両親が離婚。母親が親権を持ち、母とともに母方の祖父母のもとで暮らすことになる。しかし、母親はすぐに失踪。直後、末期癌を患っていた祖父が亡くなり、残されたあおいさんと祖母との2人暮らしが始まった。

「おばあちゃん、パチンコ中毒だったんです。だから物心ついたころには、朝は保育園に行って、夕方迎えに来てもらって、パチンコ店が閉まる22時半までパチンコ屋さんの隣にある公園でおばあちゃんを待つ、みたいな生活でした。そのころは寂しいとか悲しいとかすらわからず、ただ夜に包まれる感覚だけがありました」

 また、祖母からはご飯も与えられなかったという。

「整理が苦手な人で家はゴミ屋敷でした。そもそも台所がどこにあるのかもわからないという感じで。でも、お腹を空かせながら公園でおばあちゃんを待っていると、『ヤマモトさん』というおじさんが迎えにきてくれることも多かったです。ヤマモトさんはおばあちゃんと仲がよくて、おばあちゃんから親戚のおじさんだと教えてもらいました。ご飯をくれたりお風呂に入らせてくれたり、洋服を買ってくれたりもしていい人でした。葬儀屋さんを営んでいる50代前半くらいの人で、お金もあって見た目もかっこよくて、すごく優しかった。唯一の味方みたいに思っていましたね」

 しかし、ヤマモトさんはまったくの味方というわけではなかった。

「ご飯を食べさせてもらうのと引き換えに性的虐待をされていました。親戚というのも嘘で、家族に問題のある小さい女の子を狙って性的虐待をしている変態のおじさんでした。私の友達で『あかねちゃん』という子がいたんですが、その子も複雑な家庭環境で、ヤマモトさんが引き取って支援したそうです。詳しいことは知りませんが、何もなかったわけないですよね」

叔父夫婦の養子になるも虐待される日々

 パチンコ中毒のうえ、ゴミ屋敷で暮らす祖母のもとでは幼い子どもは育てられないと、子どものいない実母の兄夫婦に引き取られることになった。

「ほかのインタビューでは『児童相談所が介入して、伯父さん夫婦に引き取られた』って答えてるんですけど、これはあくまで伯父さん夫婦の言い分で、ほんとのところはいまでもよくわからないんです。本当に伯父さん夫婦に救われたのかもしれないし、連れ去られたのか、単にたらい回しにされただけなのか……。いずれにせよ、引き取られて、養子にしてもらいました」

 しかし、新しい家族ともうまくいかなかった。伯母は怒ると手が出る人で「お前の母親に似ている」「いうこと聞かないなら死ね」と言って殴られたり、1日じゅう土下座をさせられたりすることもあった。

「伯母さんがちょっと高飛車な人で、PTAとかでも嫌われていたみたいなんですよね。それに、若いうちに子どもを押し付けられたっていう不満もあって、いっぱいいっぱいだったんだと思います」

 そのころの伯母さんと同じくらいの年齢になったあおいさんはそう話すが、心の痛みは消えない。

「私、お風呂に入るっていう習慣がなかったので臭かったみたいなんですよね。で、伯母さんがそれを気にして、お風呂で全身を思いっきり擦り上げたんです。そしたらアトピーになっちゃって、1ヶ月くらい全身を包帯でグルグルにされ、ミイラみたいになってました(笑)」

 そんなことに4年間耐えたが、小学4年生になったころついに限界に達し、家出を決意する。

「素っ裸で家を出されたときに『もう無理だ。逃げよう』と思いました。素っ裸のままで家を出るわけにはいかないので、いったん我慢しましたけど(笑)。伊豆に母の弟、叔父の家があったのですが、ある日3人で熱海に行った際に逃げ出しました。必死に走って、お父さんを探しました」

 父親に会えれば新しい穏やかな暮らしができると思っていたという。幸い、叔父夫婦はあおいさんの父親と連絡をとっていたため、電話番号を知っていた。

「お父さんに電話をしたら、『とりあえず会おう』と言われて、これで救われると思いましたね。会っていままでのことを話したら、音信不通だったお母さんを探し当てて裁判を起こしてくれて、親権が父親に渡りました。お父さんが神様に見えましたね」

安住の地に見えた父親のもとでの生活

 福井にある父親の実家で暮らすことになった。父方の祖父は離婚していたため、父・祖父・あおいさんの3人暮らしだ。少し変わった3人家族ではあったが、生き別れになった父親との再会を果たし、ようやく穏やかな日々が訪れるはずだった。が、その希望はすぐに打ち砕かれる。

「すごく大きくて立派な家で『ここは天国だ!』と思ったんですけど、中に入るとその家もゴミ屋敷で、仏間以外はすべてゴミで覆われていました(笑)。洗濯機も台所もお風呂もゴミで埋まっていたので、ご飯は食べられないわ、臭いはするわで全然神様じゃないじゃ〜んって」

 祖父からの暴力も酷かった。

「おじいちゃんはすごく気性が荒い人でよく殴られました。1度だけ同級生を家に呼んだことがあったんですけど、同級生の前で殴られて私が吹っ飛んで障子がバキバキに壊れちゃいました。痛いし恥ずかしいしでおじいちゃんを呪いました。お父さんも見て見ぬふりというか、あんまり自分の子どもって感じがしてなかったんじゃないかな。なんかやってるなって見てるだけでした」

 学校にも彼女の居場所はなかった。

「田舎だったからなのか排他的なところがあって、転校生ってだけで目立っちゃうんですよ。『都会風を吹かせてる』『東京からきたよそ者』といじめの標的にされていました」

 どこにも居場所がなく、じょじょに精神的におかしくなっていったという。それを自覚したのはあおいさんが中学1年生、祖父が他界したときだ。

「おじいちゃんが死んで、すごく嬉しかったんです。それと同時にそんなことを思っている自分が怖くなった。でも、おじいちゃんが亡くなった悲しさはまったくありませんでした」

 祖父が亡くなっても父親はあおいさんを育てる気がなく、関係は悪いまま。また、中学生になってもいじめは収まらず、ついに心が壊れた。

 解離性同一性障害(多重人格)になったのだ。

「中学2年生のころ、私とは別に幼い女の子の人格が現れたんです。小さいころの自分の悪魔バージョンみたいな感じで、発狂したり凶暴になったり、なにをしでかすかわからない子でした。性的暴行を受けていたころの私が復讐しにやってきた感じですね。それまでも肺炎や腸炎で1か月に1回くらい入院していたんですけど、この解離性同一性障害は決定的でした」

 あおいさんは養護学校への転入を希望したが父親はそれを許さず、いままでと同じ中学校で、保健室通いをするようになった。そんなとき、事件が起きた。

別人格で起こしてしまったボヤ事件

「学校でボヤ騒ぎを起こしちゃったんです。小さい女の子の人格になっているときに保健室の隣にある更衣室で雑巾を燃やしたみたいで。カバンに自傷用のライターを入れていたので、それを使ったそうです。でも、本当に覚えていないんですよ。けがをした人はいなかったのでそれだけはよかったんですけど、めちゃくちゃ反省しました」

 この事件のこともあり、3年生になったころからはまったく学校に行かなくなったという。それでも、高校には進学した。

「私立の高校に入学しました。入学金はお父さんが払ってくれたんですけど、半年経ったあたりから授業料を払ってくれなくなって、1年生のうちに退学しました。でも、その高校の担任の先生が親身になって話をしてくれて『定時制の高校に行ったらどうか』と言われ、そんなに言うならと1年遅れで定時制高校に進学しました」

 だが、学校にはどうしてもなじむことができず、アルバイトに没頭した。

「ファストフード店とアパレルでバイトをしていました。接客業が向いていたのかすごく楽しくて、解離性同一性障害も自然に治り人格が統合されました」

 いままでの生い立ちを聞いていると接客業が好きな人にはならないように思うがと疑問を投げかけると、

「たしかにそうですね(笑)。でも、他人の大人はけっこう優しくて人間嫌いではなかったんですよ。それに、仲良くしてくれる人のことは大好きになっちゃうところがあって、バイト仲間やお客さんと話すのはすごく楽しかったんです」

 自立と並行するように父親との関係は悪化していった。

「バイト代は父親に全部取られてましたね。だから反抗して、家には帰らずに学校に行っていない先輩とかとツルんで、毎日、ゲーセンとか、カラオケとかで朝までフラフラしてました」

すべてを消すため東京へ

 そんな生活をしていたとき、ネット友達に「そんなに言うなら東京来ればいいじゃん」と言われ、その言葉に背中を押されるように東京行きの夜行バスに飛び乗った。

「もう嫌になったんです。家や親のこともそうだし、死にたいのに死ねない自分のことも。上京すればすべてを投げ出せると思いました。それで、ネット友達に泊めてもらう約束を取り付けたんですけど、いざ東京に着いたら『え、本当に来たの? 無理だから』って拒絶されちゃって、ひとりで東京をさまようことになりました」

 あてもなければお金もない。あおいさんは当時はやっていた「家出少女神待ちサイト」という、家出中の少女が寝泊まりする場所や、食事や金銭を援助してくれる男性を探す出会い系サイトを使い、ひとりの男性を見つけた。

「いま思えば絶対にヤバいサイトですけど、そのときは選択肢がなかったんですよね。でも、出会った人が奇跡的にいい人でした。もちろん身体の関係はあったけど、暴力的なことはいっさいなくて食事と寝場所を提供してくれました。それで事情を話したら『とにかくお母さんと話したほうがいいよ』とアドバイスしてくれたんです」

 父親が裁判をするときに探し当てた母親の連絡先をこっそりメモしていたため、その番号に電話をかけた。

「連絡を取ったら、お父さんが捜索願いを出してるよって教えられたんです。どうしてもお母さんの家に行きたいと言うと『お母さんは再婚して家族がいるから無理』と拒否されました。実の母親にそこまではっきり言われたらどうしようもないですよね(笑)」

 彼女は母に頼み込み、父の説得をしてもらい、東京でひとり暮らしをすることを許可してもらった。母親は、一緒に暮らしてはくれなかったが当座のひとり暮らしの資金を援助してくれたという。しかし、仕送りなどない。ファミレスで働きながら福祉を頼り、家賃と学費を補助してくれる制度を利用して、介護士の資格を取得するための学校に通った。

「区が主催する『介護職員初任者研修』を受けて介護ヘルパーになり、デイサービスに就職しました。おじいちゃんやおばあちゃんとカルタをしたりおしゃべりしたりと仕事はすごく楽しかったです。でも、友達はできないんですよね。周りにいるのは高齢者か先輩の主婦だけで遊び相手が欲しかった(笑)」

 社会に出ているとはいえまだ17歳の少女、当然のことだ。職場がある池袋でひとり飲みをしていたとき見ず知らずの女性に声をかけられ、親しくなった。

「その人が筋金入りのホス狂いだったんですね。その人にホストに誘われて、とにかく遊びたかったので簡単にOKしました」

「ホス狂い」で自分の存在価値を見つける

 初めて訪れた歌舞伎町は、あおいさんにとって魅力的だった。どんどん友達が増え、歌舞伎町に行けば必ず友達がいる。あっというまに歌舞伎町が生活の中心になった。

「1年くらいで100店舗ほどのホストクラブに行きました。初めて行くお店は初回料金なので高くても5000円以内で飲めるんです。だから普通に飲みに行くノリでした」

 1年半を過ぎたころ、初回で行ったお店で担当(お気に入りのホスト)ができた。すると一気に出費が増える。

「もちろん指名するし、その人に気に入られたいからボトルを入れたり、シャンパンを入れたりする。でも払えないじゃないですか。なので、作れるだけのクレジットカードを作って限度額まで借り入れして、借金は200万円くらいになりました」

 お金を使えば使うほど自分の存在価値が上がるように思えたという。

「もともと依存する体質なんですよね。お金を使えば『好きだよ』って言ってもらえて、ご飯に連れていってもらえて、デートしてくれて、全肯定してくれる。そんなこと初めてで、その人のために生きようとまで思いました」

 そのために仕事も変えた。

「もっと稼ぎたいと思って21歳の頃にバーを始めました。恩人のゆーじさんと出会って、その人にお金を出してもらって始めたお店なので、オーナーはゆーじさんなんですけど、店長として働いて月30万〜50万くらいは利益がありました。接客業が好きだったので仕事はめちゃくちゃ楽しかったですね」

「ホス狂いシェアハウス」の住人たち

「私、歌舞伎町にいる女の子を拾っちゃう癖があったんです。道に転がってる女の子を家に連れていって住まわせるみたいな(笑)。たぶん、自分を重ねていたんですよね。『この子は私自身だ』って。自分に優しくできない代わりに道で寝ている女の子に寝場所や食事をあげて、一緒にホスト遊びをしました。そんなことしてたら、あだ名が『ゴミ収集車』になっちゃって。6畳のワンルームで、多いときには4人くらいで住んでました。たしかにごみ溜めみたいだったのかも(笑)」

 あおいさんの自宅は、問題児たちが集まる『ホス狂いシェアハウス』になった。破天荒な女の子が集まるこの家はハチャメチャだったという。

「驚いたことはたくさんあったんですけど、ミカちゃんという友達がユニットバスのお風呂場で子どもを生んだのは衝撃的でした。本人も私も気がつかなかったんです。出血を生理だと勘違いしていて、お腹も普通にちょっと太ったくらいの感じで。早朝に急にお風呂場から叫び声が聞こえて見に行ったら、もう頭が出ていました」

 どうにか子どもは産まれた。お風呂場で生まれた子どもを見て、自分が育てようかとも考えたという。

「ああ、この子も望まれない子どもなんだな、私といっしょだなって思いました。もう私が引き取ろうかなって。でも育てられないから結局、乳児院に預けました。いい養子先が見つかったみたいで、いまは幸せに暮らしているそうです」

 ミカさんは子どもを産んだ後、あおいさんに感謝をして「一生裏切らない」とまで言ったが、すぐにその言葉は嘘だったことがわかる。

「私を借金の保証人にして逃亡しちゃったんです。保証人になってほしいとは言われていたんですけど、ちゃんとした相談はせずに勝手に書類を書いて、ヤミ金で60万円の借金をしてどこかに消えて、私が肩代わりすることになりました。歌舞伎町のヤミ金だったので、どんどん膨らんでいくんですよね。返しても返しても増えて、結局500万円くらいになりました」

 その借金は恩人であるバーのオーナーに立て替えてもらい、現在もオーナーに借金をしている状態だ。「ホス狂いシェアハウス」ではミカさんの妊娠騒動以外にも数多くの事件があった。

ホストクラブで売掛をした女の子が住所を私の家にしていて、ホスト5人が土足で家に上がり込んできたり、私がいない間にホストを連れ込んだあげく、私が持っていたベルサーチのキャップを勝手にホストにあげた女の子がいたり、朝起きたら財布から1万円がなくなったり、いろんなことがありました」

 借金を返すために必死に働いたことで、自然とホストクラブに行く頻度は減り、YouTubeを始めてからはプライベートで遊びに行くことはなくなったという。

いま、笑っていられる理由

 取材中、ずっと笑って話してくれるあおいさん。「不幸の幕の内弁当」のような人生でとても笑えるようなエピソードではないがと問いかけると、

「いまとなっては全部よかったかなって思ってるんです。毎日幸せですから。子どものころ愛されなかったから、同じように愛情に飢えている子に寄り添えるし、歌舞伎町に出合わなければいまの仕事もできていないし、そもそも生きていられたかわからない。だから、誰にも怒っていません」

 現在は母親とも仲がいいのだとか。

「お母さんも人生が落ち着いたんだと思います。それで、あのころできなかった子育てをやり直している感じ。お母さんのなかでは、私が小さいころで時間が止まっているんですよね。だから、私の家に泊まってご飯を作ってくれたり、洋服を買ってくれたりします。でも、私の人生を話したYouTube動画があって、その動画が出たときはだいぶもめました(笑)。なんだかんだで許してくれましたけど」

 あおいさんはいま、居場所のない女性の支援をしている。

「まなみちゃんっていうホームレスをしながらホスト通いをしている子がいて、私のYouTubeチャンネルに出てもらって出演料を支払っています。その子以外にも、食べるものも居場所もない子って結構たくさんいるんですよ。ゆくゆくはそういう人にとっての居場所を作りたい。いますぐできることは片っぱしからやりたいと思っています」

 あおいさんが急ぐのには理由がある。

「実は私、余命4年って言われているんです。慢性心不全、低心機能、高血圧症だと言われちゃって。これ以上悪くなると心臓移植しないといけないっていう話にまでなってるんですよね。生命線長いから大丈夫かな〜って思ってるんですけど(笑)…時間がないからそれまでは悔いなく生きたい。生き急いでいるくらいでちょうどいいって」