安易な道は許されないとき。リーダーは覚悟を【私の雑記帳】
要は、社会インフラの整備だ。
「貯蓄から投資へというのは、一朝一夕にできるものではなくて、国民みんなが使える、長く使える税制優遇制度をしっかりつくった上で、20年、30年かけてやるものだと思っています」
NISA(小額投資優遇制度)が出来たのは2014年、〝ジュニアNISA〟も2016年にスタートしたばかり。資産形成力の真価が問われるのはこれからという認識を示しながら中田さんは、顧客と投資一任契約を結んで投資信託を売買・運用する『ファンドラップ』などの商品開発に注力。中長期視点で、着実に事業構造改革を進めて行く考えである。
変化対応とデータ活用
変革の時代にあって、データをどう活用していくか─。全国83か所の拠点に約1700人もの調査スタッフを抱え、日頃、経営トップ層に面談している帝国データバンク。同社の情報統括部長、上西伴浩さんによると、混沌状況を生き抜いているのは、「データ活用の上手なところです」と言う。
原材料高騰、人手不足の状況下、コストアップ分を価格転嫁できないのも日本の産業界の課題。
そこを逞しく、しなやかに生き抜く企業はどんなところか? という問いに、「変化対応できているところですね」と上西さん。
こうした企業は情報共有もできていて、トップダウンとボトムアップの連携もうまい。データを扱うのは、あくまでも「人」だ。
南九州とウクライナ
ロシアの侵攻が始まるまでのウクライナといえば、旧ソ連邦の一員で黒海に面した農業国ぐらいの認識しかなかったが、多様な文化、歴史と民俗を誇る国ということを思い知らされた。
大相撲の名横綱、大鵬関の父君がウクライナ出身だったし、日本とのつながりもいろいろとある。
筆者の母校、鹿児島県立志布志高校の後輩、五代裕己(ごだい・ひろき)君もウクライナの魅力に引きつけられ、同国で剣道を教えるかたわら、チェルノブイリ原発事故の調査研究に貢献した人物。
大学でロシア語を専修して修得。「普通の生活は嫌だ」と、25歳でウクライナに渡り、以後、20年近く首都キーウで暮らし続けた。
「日本とウクライナの架け橋になる」という思い。現地の人との交流を深め、同国で剣道連盟を創設。
ところが、コロナ禍が始まった2020年7月、五代君は急死。死因は心不全。享年44。余りにも早い死だった。
教え子は数多く、彼の武道精神に触れた人の中には、日本に避難してきた人もいる。親交のあった同国の大学関係者は、「彼はウクライナ人の心を持った日本人」と五代君を評価。
筆者は直接の面識はなかったが、やはり後輩の又木清嗣君(プルデンシャル・ジブラルタエージェンシーのライフプランアドバイザー)は次のように語る。
「郷里の志布志市では、わたしの家と近くでした。温厚で思いやりのある人物でした」
南九州の地とウクライナの縁。つくづく人の縁の妙、深さを感じさせられる。
