ホンダは2050年までに同社の2輪/4輪が関与する交通事故の死亡者をゼロにするという大きな目標を掲げた。交通事故には様々な要因があり、自動車メーカーの努力には限界がありそうな気もするが、ホンダはどうやって大目標を達成するつもりなのか。研究中の技術の一端を見てきた。

ホンダは「安全の考え方と新安全目標」と題し、将来に向けた2輪/4輪の安全技術を公開。栃木のテストコースで体験してきた


死亡事故ゼロの実現に向け、ホンダは今後、新しい全方位安全運転支援システム「Honda SENSING 360」を2030年までに先進国で販売する全モデルに搭載する。このほか2輪安全技術の普及拡大や安全教育技術「Honda Safty Edtech」の展開などを進めていく。

○「Honda SENSING 360」とは

ホンダは現在、日本をはじめとする先進国市場で販売する全ての自動車に安全運転支援システム「Honda SENSING」を搭載している。先ごろ台数限定でリース発売した「レジェンド」には、世界で初めて「自動運転レベル3」(条件付き自動運転)を実用化した「Honda SENSING Elite」を装着した。「Honda SENSING 360」はHonda SENSINGとHonda SENSING Eliteの間を埋める技術だ。

「Honda SENSING 360」のデモ車両


Honda SENSINGがカメラで車両前方を認識するのに対し、Honda SENSING 360はカメラと複数のセンサー類を組み合わせて車両の周囲360度を検知する。

「Honda SENSING 360」のシステム構成。正面に長距離ミリ波レーダー、前後側方に中距離ミリ波レーダーを搭載し、車両の周囲を検知する


これにより、従来から備わる衝突被害軽減ブレーキの検知範囲が広がり、正面衝突や追突を回避する能力が向上する。衝突してしまった際も、これまでより被害を軽くできるようになる。交差点における出合い頭の衝突についても回避あるいは衝突被害軽減が可能になるそうだが、これを実現するにはカメラだけでは難しく、斜め前方用のミリ波レーダーが力を発揮するのだという。左右の見通しの悪い交差点へ進入する際には、左右からの交差車両も検知できるようになる。

○スマホで安全教育? 「Honda Safty Edtech」の考え方

途上国の事故削減に向け、ホンダが目を付けたのはスマホだ。途上国でも多くの人が所有しているスマホを通じ、交通安全に関する「教育」を提供していこうというのが同社の構想である。

ホンダによれば、東南アジアには2輪の運転免許制度が確立されていない国が少なくない。そうした地域では、家族や知人など、周囲から交通ルールや運転テクニックを学んだだけで2輪に乗り始めるユーザーも多いそうだ。ホンダはスマホを通じ、彼らに運転のルールやテクニックを学んでもらう「Honda Safty Edtech」(エドテックとはエデュケーションとテクノロジーを掛け合わせた造語)を展開する。

スマホを通じて交通安全の啓発を図る「Honda Safty Edtech」


「Honda Safty Edtech」では安全運転に関するコンテンツを配信するだけでなく、スマホに備わる位置情報やGセンサーなどを使用し、ユーザーが路上で危険と思われる動きをするとそれを検知して、何が問題だったかを後から知らせるような仕組みも開発しているとのこと。危険な体験をした直後に学ぶため、大きな学習効果を見込むことができるそうだ。

○ヒューマンエラーを根絶?

「2050年に全世界でホンダの2輪4輪が関与する交通事故死者ゼロ」を目指すには、事故の原因となるヒューマンエラーからゼロにする必要があるというのがホンダの考え。そのためのキーワードは、「ひとりひとりに合わせた安心」と「すべての交通参加者との共存」だ。初心者や若年層のドライバーは前方を見るのに精いっぱいで、周辺リスクを認知する余裕がない。一方で高齢ドライバーは、ふらつきや操作遅れによる不安がつきまとう。それぞれに異なるアシストが必要というのがホンダの視点である。

世間一般では「交通事故のほとんどはヒューマンエラーが原因」というのが常識だが、ホンダは「ヒューマンエラーは結果であり、根本的な原因ではない」と考え、ヒューマンエラーが起きる要因を追求して未然に防げば、エラーそのものをなくすことができると主張する。

このため、いわゆるMRIを用い、人間の脳活動とリスク行動の解析をして、ヒューマンエラーの要因を解明しようとしていることなども発表された。実用化に向け、ドライバーモニタリングカメラでドライバーの視線を検知、解析したり、運転操作そのものをモニタリングして操作ミスの予兆を推定したりすることで、ドライバーがミスを犯す前に適切な警告を出し、事故を防ぐ方法を研究している。2020年代前半に要素技術を確立し、後半には実用化を目指す意向だ。

ヒューマンエラーをゼロにするため脳の研究も進めるホンダ


○クルマと歩行者がつながれば事故は減らせる?

歩行車に危険を知らせ、注意を促すのも事故削減に有効な手段だ。ホンダではADAS(現在市販される多くの新車に備わる先進運転支援システム)用のカメラで歩行者を認識し、危険があると判断した場合、歩行者のスマホに注意喚起を行うシステムを開発している。

カメラで車外の人の様子や行動を検知する技術も研究中


自車の前方にいる歩行者の位置だけでなく、向いている方向や具体的な行動も認識できるのが同システムの特徴だ。単に歩行者が歩道に立っているだけでは注意しない。車道側を向いて(出てきそうになって)いたり、顔を下に向け、腕を曲げてスマホを見ている可能性が高いことを検知した場合に限って注意喚起を行う。この技術の実用化には、カメラの性能とAIの行動分析の能力を上げる必要があり、さらに車両から歩行者への通信方法(V2P)も確立しなければならないという。

そのさらに先の段階として、自車の前方の道路脇に停止車両があり、その先にいて自車からは直接目視できない歩行者に対して注意喚起を行う技術についても研究を進めている。停止車両の陰に隠れていて自車からは見えない歩行者であっても、対向車線を走る他車からは認識が可能なこともある。その場合、歩行者を認識した他車から基地局を通じて情報を受け取り、歩行者に対して注意喚起を行うという仕組みだ。

対向車がカメラで検知した情報を共有してもらうことができれば、こちらからは見えない歩行者の存在も把握できるようになる


こうした技術を実用化するには、すべての交通参加者が通信でつながっている社会が前提となる。デモや研究を見ていると、交通事故の死亡者ゼロを目指すにはここまでしなければならないのかと途方に暮れたが、考えてみると、現在では当たり前になっている安全技術も10年前、20年前には予想できていなかったわけだから、ホンダが思い描く安全な社会の到来に期待が持てる気もした。さまざまな技術を研究するホンダが、「安全の総量を増やす」という表現を使っていたのが印象的だった。

塩見智 しおみさとし 1972年岡山県生まれ。1995年に山陽新聞社入社後、2000年には『ベストカー』編集部へ。2004年に二玄社『NAVI』編集部員となり、2009年には同誌編集長に就任。2011年からはフリーの編集者/ライターとしてWebや自動車専門誌などに執筆している。 この著者の記事一覧はこちら