森保監督はU-22の監督も兼ねる兼任監督だ。しかしU -22チーム監督として、これまでどれほど活動してきただろうか。事前に練習を行い、その流れで試合に臨んだことは、兼任監督就任直後に行われたアジア大会に限られる。それ以外は全て横内昭展コーチに任せてきた。

「彼と私は全く同じ考えの持ち主であると考えてください」と森保監督は当初述べたものだが、これは言い逃れだ。サッカー競技の特性を踏まえれば、1から100まで全て同じ考え方の持ち主がいたとすれば、それは奇跡。十人十色どころか、1万人いれば1万通りの考え方が存在するのがサッカーである。だいたい同じとか、似ているならわからないでもないが、全く同じはサッカーの道理から外れている。

 当初は、もう少し兼任を実行できると思っていたのではないか。横内コーチに任せる割合は半分程度と読んでいたのではないか。兼任監督に任命した田嶋幸三会長はどう見ているのか。読み違えだとすれば、任命責任は重いと言わざるを得ない。

 来たる14日、日本代表はアウェーでキルギス戦を戦う。森保監督の帰国は16日になると思われるが、17日(12時50分キックオフ/広島)には、日本U -22対コロンビアU -22戦が組まれている。森保監督はこの一戦のスタッフに名を連ねているので、試合現場には駆けつけるものと思われるが、練習には参加できないだろう。スタメン等は横内昭展コーチが決めることになるはずだ。

 一方、日本代表もその翌々日(19日)、大阪でベネズエラと親善試合を行う。ただしメンバーは、5日前に行われるキルギス戦と大幅に入れ替わる。主力の欧州組9人が抜け、代わりに国内組が加わる。この中には新顔も4人いる。従来の「ベストメンバー」で、ここに名を連ねるのは柴崎岳、中島翔哉などほんの数人に限られる。まさに急造チームでベネズエラと対戦するわけだが、森保監督の大阪入りは早くても17日の夜。練習に立ち会えるのは試合前日の18日しかない。

 兼任監督の立場を貫こうとすれば、いずれの試合も前日しか、チーム練習に立ち会えないことになる。二兎を追う者は一兎をも得ずーーの状態に陥ろうとしている。

 ベネズエラ戦のみ招集された9人の選手はとりわけ哀れだ。既存の選手とコンビネーションを図りたくても図れない状態にある。アピールする機会も限られている。フェアな環境にあるとは言い難い。兼任という監督の都合のために理不尽を強いられている格好だ。

 そもそも、なぜ一気に9人も入れ替えるのか。これでは別部隊も同然だ。なぜ4、5人ずつではダメなのか。キルギスとベネズエラ。どちらか強いかと言えば、断然ベネズエラだ。メンバーを落として戦うべきはむしろキルギス戦の方になる。

 代表は循環が宿命づけられている集団だ。現在のベストメンバーは近い将来、ベストメンバーとは言えなくなる。9人の入れ替えはそうした流れに相応しい考え方とは言えないのだ。現状は循環しにくい状態にある。

 U -22との関係性に話を戻せば、なぜ使用する布陣は相変わらず両者で異なるのか。3−4−2−1と4−2−3−1。「3バック、4バックどちらを採用するにしても原理原則は同じだ」と、森保監督は両者に大きな違いがないことを強調するが、だとすれば、その原理原則について声高に叫ぶ必要がある。抽象論ではなく具体的かつ明解でなければならない。

 大した問題ではないと言うのであれば、逆になぜ、同じにしないのか。横内コーチと森保監督が全く同じ考えの持ち主だとするなら、そこは一致させるべきポイントだ。矮小化するための言い訳に聞こえてしまう。

 この2つの布陣を同じ種類のものだという人は、この世の中に決して多くはいない。いま採用されている布陣の数はざっと10通りぐらい存在するが、その中にあってこの両者は、接近した関係にいない。水と油の関係と言ってもいいほど離れている。

 今回もU -22とA代表の布陣の関係に変化はなさそうである。U -22の招集メンバーに目を通せば、3バック(3−4−2−1)をベースに選手を選考していることが想像できる。育成部門とトップチームが全く別のスタイルで戦う姿は、森保監督がなんと言おうと異常というべきなのだ。しかし、その点について追及するメディアはほとんどいない。「原理原則は同じ」という言葉に素直に納得しているのだとすれば、現在の状況は将来も蔓延ることになる。

 代表監督が何をしたがっているのか、コンセプトがよくわからない世界。これもサッカーにおいては異常だ。森保監督と、コンセプトを明快に語りながらJリーグで快進撃を続けるアンジェ・ポステコグルーと、どちらが一般的かと言えば断然、後者だ。日本サッカーをどのような方向に導きたいのか、それを明確に語れるなら、多少無理があっても兼任監督を認めたくなるが、それなしでは厳しい。日本サッカー界は現在の異常さに気づくべきだと思う。二兎を追う者は一兎をも得ず、である。