背番号「9」といえば、この5人!
サッカー選手の中には、背番号にこだわりを持つ選手も少なくない。
「背番号○○といえば」というこのシリーズでは、毎回ある特定の背番号を指定し、その番号を長く背負ったことですっかりイメージのついた選手や、その番号に特に縁のある選手を編集部Sの独断で5人選ぶ。
なお、選出は現役の選手に限定する。
今回取り上げるのは、「9」だ。
フェルナンド・トーレス(アトレティコ・マドリー)
背番号の変遷
【アトレティコ・マドリー】
#9 :2000 - 2007年, 2015年 -
#19:2014 - 2015年
【リヴァプール】
#9 :2007 - 2011年
【チェルシー】
#9 :2011 -2015年
【ミラン】
#9 :2015年
クラブキャリアの中で、「9」以外の背番号をつけたのは2014-15シーズンの一年だけ。この事実からも、トーレスがこの番号にこだわりを持っているのがよく分かる。代表チームでも長くこの背番号をつけ、史上3位となる38ゴールをあげている。アトレティコに復帰した2014年はマリオ・マンジュキッチがいたことから19番を選んでいたが、マンジュキッチの退団にともない今季からエースナンバーを託された。
ラダメル・ファルカオ(チェルシー)
背番号の変遷
【ランセロス・ボジャカ】
#? :1999 - 2001年
【リーベル・プレート】
#36:2005年
#31:2005 - 2006年
#11:2006 - 2007年
#19:2007年
#9 :2008 - 2009年
【ポルト】
#9 :2009 - 2012年
【モナコ】
#9 :2013 - 2015年
【マンチェスター・ユナイテッド】
#9 :2015年
【チェルシー】
#9 :2015年 -
イングランドで苦しむコロンビアのゴールハンターも、これまで様々なクラブで9番をつけてきた。リーベル・プレートでは2008年シーズンのクラウスーラ(後期リーグ)からこの番号を与えられ、以後、全てのクラブでこのナンバーを背負っている。ポルトとアトレティコではゴールを量産し、UEFAヨーロッパリーグでは2シーズン連続で得点王に輝いている。コロンビア代表でももちろんこの番号を選んでいる。
ロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン)
背番号の変遷
【スニッチュ・プロスコフ】
#9 :2007 -2008年
【レフ・ポズナニ】
#8 :2008 - 2010年
【ドルトムント】
#7 :2010 - 2011年
#9 :2011 - 2014年
【バイエルン】
#9 :2014年 -
世界を代表するストライカー、レヴァンドフスキももちろん「9」がよく似合う。しかしレフ・ポズナニ時代には8番をつけており、ドルトムントでは香川も後に背負うことになる7番でデビューしていたのは少し意外な事実であるかもしれない。怪我さえなければ、このナンバーを背負って今夏のEURO2016に出場するはずだ。今、世界で最も市場価値の高い「9」の一人だろう。
サミュエル・エトー(アンタルヤスポル)
背番号の変遷
【レガネス】
#11:1997 -1998年
【エスパニョール】
#? :1998 - 1999年
【レアル・マドリー】
#23:1998 - 1999年
#16:1999 - 2000年
【マジョルカ】
#9 :2000 - 2004年
【バルセロナ】
#9 :2004 - 2009年
【インテル】
#9 :2009年 - 2011年
【アンジ・マハチカラ】
#99:2011 - 2012年
#9 :2012 - 2014年
【チェルシー】
#29:2013 - 2014年
【エヴァートン】
#5 :2014 - 2015年
【サンプドリア】
#99:2015年
【アンタルヤスポル】
#9:2015年 -
スペイン2部レガネスでプロデビューを飾ったエトー。その時つけていたのは11番だが、やはり様々なビッグクラブでナンバー9を託された。「9」が埋まっているクラブでも29番や99番を選ぶなどこだわりを見せていたのだが、2014-15シーズン、エヴァートンで背負ったのはまさかの「5」。昨夏、トルコ1部アンタルヤスポルに加入したが、もちろん選んだのは9番だった。今季はここまで17ゴールをあげており、得点ランキングでマリオ・ゴメスの次につけている。
中山 雅史(アスルクラロ沼津)
背番号の変遷
【ジュビロ磐田】
#9 :1997 - 2009年
【コンサドーレ札幌】
#9 :2010 - 2012年
【アスルクラロ沼津】
#39:2015年 -
昨年、47歳にしてJFLで現役復帰を果たした“炎のストライカー”こと中山雅史。磐田時代、背番号固定制が導入された1997年以降は常に「9」をつけてきたが、それ以前の変動制の際にも9番をつけなかったのはわずか2度のみであるという。1998年のワールドカップではこの番号をつけて日本代表史上初のゴールをジャマイカから奪っており、2002年のワールドカップでは10番が与えられている。なお、失点後にベンチで倒れ崩れるシーンが印象的な「ドーハの悲劇」では16番をつけていた。
